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No.308 阿蘇の神々・神沼河耳命(女神)と奈留多姫

 
宮原誠一の神社見聞牒(308)
令和8年(2026年)03月13日
 

【No.146 光と影の奈留多姫を祀る福岡県糸島の産宮神社 2020年7月3日】の改訂および、増補版です。

奈留多姫(なるたひめ)は諏訪大社の祭神・建御名方神(たけみなかた 建南方)の妃で、諏訪にあっては、八坂刀売神(やさかとめ)と名を変えられました。福岡市西区にあっては、奈留多姫と名乗られ、雨宮姫(天照女神)の御子・姫君です。
「奈留多姫」も「八坂刀売」も、この名称は『記紀』には出て来ません。

奈留多姫を祀る産宮神社(さんのみや) が福岡県糸島市波多江駅南に鎮座です。
ここ産宮神社の奈留多姫命は安産守護の神様として広く崇敬されています。奈留多姫は懐妊に当たり、胎教を重んじ、豊玉姫、鴨玉依姫の両神の前にて、「月満ちて生まれん子は端正なれば永く以て万世産婦の守護神ならん」と誓い出産に臨まれています。
しかし、生まれてくる子が誰であったか、社説由緒に明確に表示されていません。

 

産宮神社 二の鳥居
福岡県糸島市波多江駅北四丁目6−10

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(Google Map から)



百嶋神代学にみる奈留多姫
百嶋神代学では、奈留多姫の夫となる鵜草葺不合命と建南方は南九州の人です。鵜草葺不合命と奈留多姫の間の御子が熊襲タケル(川上タケル)と豊姫(ゆたひめ) です。後に、建御名方(建南方)と奈留多姫の間の御子が息長宿禰です。
息長宿禰と葛城高額姫の姫が息長足姫(神功皇后) で、息長足姫は開花天皇の皇后です。『記紀』では、孫娘の息長足姫は仲哀天皇の皇后ですが、仲哀天皇死後、開花天皇の皇后となられます。

息子の川上タケルは熊襲の頭領で、乱を起こし、ヤマトタケルに成敗されます。

妹の豊姫は兄の川上タケルの反乱の後始末で、汚名を灌ぐため大変苦労され、天皇家(開花天皇)に尽くされます。孫娘の息長足姫が開花天皇の皇后となられと、豊姫は神功皇后よりも年上ですが、妹として活躍されます。

以上は、百嶋神代学説です。

 

百嶋神代系図の奈留多姫(1)

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百嶋神代系図の奈留多姫(2)

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糸島市の産宮神社
糸島市波多江の産宮神社の社説では、
主祭神は奈留多姫で、脇神は、夫の「鵜草葺不合命」と鵜草葺不合命の妃の「鴨玉依姫」となっています。しかし、社殿の造りは、男神の鵜草葺不合命が主祭神で、妃の奈留多姫と鴨玉依姫は相殿となっています。

さらに、奈留多姫は懐妊に当り祖神をお祀りし「月満ちて生まれん子端正なれば永く以って萬世産婦の守護神とならん」と仰せられて無事皇子を安産された由。以降、産宮と称える、とあります。皇子を安産され、産宮と称すと、産宮神社の神号の由来が述べられていますが、「皇子」の名の表記がありません。名を隠されています。


産宮神社(さんのみや)
福岡県糸島市波多江駅南一丁目13-1
(旧)福岡県前原市大字池田706

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拝殿の左に「せいくらべ」があります

 

※「粽 ちまき」は屈原の死により、姉によって作られた。
紀元前278年、中国の楚の国に屈原という人望の厚い国王の側近がいた。陰謀によって失脚。深く失望した屈原は5月5日に汨羅(べきら)江に投身自殺をした。屈原を慕った楚の国民は太鼓を打って魚を脅かし、餅を笹の葉で巻き、茅で縛った粽(ちまき)を川に投げ込んで屈原の遺体が魚に食べられないようにした、という。

童謡『背くらべ』(せいくらべ)
作詞・海野厚、作曲・中山晋平
歌詞に「ちまき」と「せいくらべ」があります。作詞者は「ちまき」の由来を理解され、5月5日の端午の節句と結びつけをされています。屈原は楚の人であり、
山人(やまと)です。祀られる神様(熊襲)も楚国に関係があるのでしょう。



神紋は十三菊紋です、奈留多姫の紋章ではありません。
九州王朝の神紋の十二菊紋を変形されています。
十五菊紋を掲げる神社もみかけます。これも十六菊紋の変形です。

 

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神紋は十三菊紋です

 

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産宮神社(さんのみやじんじゃ)
御祭神
奈留多姫命
玉依姫命
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
略縁起
御祭神奈留多姫命は御懐妊に当り祖神をお祀りし「月満ちて生まれん子端正なれば永く以って萬世産婦の守護神とならん」と仰せられて無事皇子を安産された由。以降産宮と称え安産守護の神様として広く崇敬をあつめて来ました。
又神功皇后三韓遠征に際し当宮に産期の延びん事を祈られ、御帰朝後皇子を安産せられた由、その奉賽の為百手的射の神事を奉納され、この故事にならって二月二十五日には的射の神事が修行されている。

社前に梅樹あり「子安梅」と云う此の神木は神功皇后が韓土より持帰り初めて此の地に植えられたものと云う。
※奈留多姫が主祭神(正殿)です

 

※福岡県神社誌 産宮神社
糸島郡前原町大字池田字宮ノ前
祭神 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊、奈留多姫命、玉依姫命
由緒 社地は字井多に有り この所を本村と云ふ、人詣でて安産を祈る、依て神号を産宮大明神と云ふ。
社説に云ふ、神功皇后三韓に赴かせ給ふ時 安産を祈らせ給ひ、帰朝の後 皇子降誕ませしかば報賽に百手の的射修行し給ひしと云ふ。その旧例とて今に2月25日祠官村民等弓矢を取て儀式をなす。

社前に梅樹あり 子安の梅と云ふ、社説にこの神木は后宮の韓土より持帰り給ひて 初めてこの地に植え給ふと云ふ。尚古説に鎮懐石の片石はこの社の神宝なる由を伝ふ。 明治5年11月3日村社に定めらる。
氏子区域及戸数 池田区一円 約百戸
境内神社 熊野神社、宮地嶽神社、天神社、庚申社


※神社配布リーフレット
安産育児の神様 産宮神社
産宮神社略記
御祭神
正殿 奈留多姫命
相殿 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
相殿 玉依姫命
由緒
御祭神奈留多姫命は御懐妊に当たり大いに胎教を重んじられ、母玉依姫命・おば豊玉姫の産育の瑞祥あるを尊重され、両神の前に「月満ちて生まれん子端正なれば永く以て万世産婦の守護神とならん」と誓われました。果たしてお産に臨んで心忘れたように何の苦しみもなく皇子
神渟名川耳命(第二代綏靖天皇) を安産されました。以後「産宮」と称え安産守護の神様として広く崇敬をあつめてきました。
安産の御神徳
相殿にお祭り申し上げてる鸕鷀草葺不合尊は天つ神の御子彦火々出見尊と海つ神の御女豊玉姫との間にお生まれになられた神様で、お産の為に建てられる産屋の屋根がまだ葺き終わらぬ内に安らかにお生まれになったという神様で、安産の神様として崇敬されています。



安産の皇子の名が「神社配布リーフレット」にありました。

この社説によれば、「奈留多姫は懐妊に当たり、大いに胎教を重んじ、玉依姫命、豊玉姫命、両神の前にて、「月満ちて生まれん子は端正なれば永く以て万世産婦の守護神ならん」と誓いて、出産に臨み、苦もなく皇子、神渟名河耳命(第二代、綏靖天皇)を安産し、以後、「産宮」と称えて安産守護の神と祀る、とあります。

また、彦波瀲武 鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと 以後「鵜草葺不合命」と表記します)は、天神の御子・彦火々出見尊と海神の御女・豊玉姫との間にお生まれになられた神様で、お産の為に建てられる産屋の屋根がまだ葺き終わらぬ内にお生まれになったという神様で、安産の神様として崇敬されています、とあります。

神渟名河耳命と鵜草葺不合命の安産出産を合わせて、以後、「産宮」と称するようです。

 

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神額は天照女神の形式です



産宮神社の祭神は
主祭神が奈留多姫(正殿)であり、鵜草葺不合命、玉依姫は相殿です。
玉依姫は鵜草葺不合命の最初の妃ですが、妃の奈留多姫を主祭神に祀っているのに、さらに、妃の玉依姫を祀るでしょうか。三神祭祀であれば、一般に御子と父母を祀ります。
二神祭祀であれば、普通には、母の雨宮姫(天照女神)を祀ります。それで、神額は天照女神の形式なのでしょう。

 

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梅紋が社紋となっています


※糸島郡誌(部分抜粋)
産宮神社 糸島郡波多江村
大字池田字宮の前にあり。祭神三座、彦瀲波武鵜草葺不合命、奈留多姫命、玉依姫命。
池田及川面久保田楠等の産土神なり。
聖武天皇天平年中、僧行基に詔し、当社にて庶民の安産を祈らしめらる。
社前に梅一株あり孕婦其の枝を挟めば産安しといへり
故に遠近より詣来り安産を祈るもの常に多し。


社前に梅一株(子安梅)があり、孕婦(はらめ)が、その枝を挿せば産安になるというのが、梅紋の由来のようです。
子安観音、子守観音は天照女神の本地です。

 

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池田村の氏子さん (三嶋、中原、波多江、藤井さんが多いようです)

本殿の屋根

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境内社・宮地嶽神社
祭神は天照女神と大幡主です

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熊野神社、天神社も「天照女神と大幡主」を祀ります。




社殿前の八葉の鏡の石碑
産宮神社の社頭に八葉の鏡の石碑があります。
同様に近くの高祖神社にもあります。

 

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八葉は、大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)の紐の部分からとられています。

 

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大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)
天照女神のご神体と想定されています

 


※天孫降臨の神勅(宝鏡奉斎の神勅)
吾が児、この宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。
与に床を同くし 殿を共にして、斎鏡をすべし。

「我が子よ、この宝鏡を見るときは、まさに私を見るようになさい。
宝鏡はあなたと床や殿を同じにして、お祀りする神聖な鏡としなさい。」



糸島の高祖神社(たかす)は彦火々出見命と高礒比咩(たかぎひめ)の夫婦神を祀ります。記紀では、彦火々出見命と豊玉姫との御子が鵜草葺不合命とします。

木瓜紋(もっこうもん)を神紋とする高祖神社の祭神は彦火々出見命・高礒比咩ですが、木瓜紋の神紋は彦火々出見命の紋章ではありません。(No.293)
飯盛神社の主祭神は伊弉冊尊であり、その神紋は木瓜紋です。祭神の伊弉冊尊は天照女神の置き換えで、神紋・木瓜紋の所有者は天照女神となるのです。花菱紋も天照女神の紋章です。

高礒比咩とは、天照女神であり、拝殿の前には、天照女神の「八葉の鏡」の社号標石碑があります。木瓜紋を神紋とする高祖神社の主祭神は高礒比咩の天照女神となります。神武天皇は別名、火々出見命です。すると、高祖神社の祭神は天照女神と神武天皇(大幡主)ということになります。


高祖神社 福岡県糸島市高祖1578
祭神 彦火々出見命、高礒比咩

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同様に産宮神社の社頭にも「八葉の鏡」の社号標があります。
高祖神社と産宮神社の関係は、「彦火々出見命・豊玉姫」と「鵜草葺不合命・玉依姫」の関係を示しています。
また、産宮神社の境内社にある宮地嶽神社、熊野神社、天神社は、天照女神と大幡主の存在を示します。
概していえば、
彦火々出見命と豊玉姫、
鵜草葺不合命と玉依姫
の関係は
神武天皇(大幡主)と天照女神の関係を示唆し、その子が、奈留多姫と言わんばかりです。

※百嶋神代系図では、神武天皇と天照女神の関係は「姉と弟」の関係とします。
魏志倭人伝では「ヒミコと男弟」の関係になります。




神渟名河耳命と神八井耳命
産宮神社のリーフレット社説は、
「お産に臨んで心忘れたように何の苦しみもなく皇子神渟名川耳命(第二代綏靖天皇)を安産されました。以後『産宮』と称え安産守護の神様として広く崇敬をあつめてきました。」とあります。

産宮神社は、神渟名河耳命(かみぬなかわみみ 第二代綏靖天皇 すいぜい)は、初代神武天皇と奈留多姫の間の御子と言われる。奈留多姫は神武天皇の妃ではありません。勿論、神渟名河耳命の母でもありません。

それでも、
「神武天皇とその皇后・吾平津姫」は一宮と二宮
「綏靖天皇とその皇后・天豊津姫」は三宮と四宮
とすれば、
神武天皇を鵜草葺不合命、皇后・吾平津姫を奈留多姫に当てれば、綏靖天皇は三宮(産宮)となり、産宮神社の主祭神は男神の綏靖天皇となり、本殿屋根の男千木と鰹木五本は祭神に一致します。しかし、この見立てには無理があります。

 


※手研耳命(たぎしみみ)
『日本書紀』では、神武天皇とその皇后・吾平津姫は手研耳命(たぎしみみ)をも儲けます。しかし、後に、異母弟の綏靖天皇らを誅殺しようとして逆に殺され、「反逆者」となり、その生地や墳墓はなんら記録されていません。異母弟の綏靖天皇らは神武天皇とその皇后・五十鈴姫との皇子となります。



日本書記では十代歴代天皇を次のように記します。

1.神武天皇(神倭磐余彦天皇 カムヤマトイハレビコ)
2.綏靖天皇(神沼川耳天皇 カミヌマカワミミ)= 金凝彦
3.安寧天皇(磯城津彦玉手看天皇 シキツヒコタマテミ)= 大幡主
4.懿徳天皇(大倭彦耜友天皇 オオヤマトヒコスキトモ)
5.孝昭天皇(観松彦香殖稲天皇 ミマツヒコカエシネ)
6.孝安天皇(倭足彦国押人天皇 ヤマトタラシヒコクニオシト)
7.孝霊天皇(大倭根子彦太瓊天皇 オオヤマトネコヒコフトニ)
8.孝元天皇(大倭根子彦国牽天皇 オオヤマトネコヒコクニクル)
9.開化天皇(稚倭根子彦大毘毘天皇 ワカヤマトネコヒコオオビビ)
10 崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇 ミマキイリヒコイニエ)

しかし、百嶋神社考古学神代系図では、天皇は姫氏・呉太伯王の流れとし、それ以外の天皇は日本書記によって与えられた天皇で(贈)天皇として扱います。
よって、本来の天皇は次のようになります。

1.神武天皇(神倭磐余彦天皇 カムヤマトイハレビコ)
2.懿徳天皇(大倭彦耜友天皇 オオヤマトヒコスキトモ)
3.孝霊天皇(大倭根子彦太瓊天皇 オオヤマトネコヒコフトニ)
4.孝元天皇(大倭根子彦国牽天皇 オオヤマトネコヒコクニクル)
5.開化天皇(稚倭根子彦大毘毘天皇 ワカヤマトネコヒコオオビビ)

和風諡号2字目に「倭 やまと」が共通に付いているのが特徴で、(贈)天皇には付いていません。「やまと」は「山人」とも表記し、楚人という意味があります。
(贈)天皇は、
2.(贈)綏靖天皇(神沼川耳天皇)
3.(贈)安寧天皇(磯城津彦玉手看天皇)
5.(贈)孝昭天皇(観松彦香殖稲天皇)
6.(贈)孝安天皇(倭足彦国押人天皇)
10.(贈)崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇)
と百嶋神社考古学神代系図では記します。

その第二代綏靖天皇は「神沼川耳」であり、金凝彦であるとします。そして、神沼川耳(神渟名河耳)は弟であり、神八井耳は兄で兄弟とするのです。(百嶋神社考古学)


しかし、今までの神社巡りからすると、神沼川耳は女神様なのです。神八井耳とは兄弟でなく、姉弟の関係なのです。
「沼川」がつく有名な女神様がおられます。沼川姫、別名・市杵島姫(壱岐島姫)です。神沼川耳命は市杵島姫であり、天照女神となるのです。

今まで、私は、神沼川耳命は男神であり、神八井耳命と神沼川耳命は兄弟と思いこんでいました。産宮神社に至って、初めて、神沼川耳命は女神と気づかされました。

すると、阿蘇の神々で述べてきましたように、神八井耳命(神八井命)大幡主であり、神沼川耳命は天照女神であり、姉弟の夫婦神となるのです。

※伊勢神宮の神様、天照女神と大幡主が朝廷から遠避けられるのはなぜか?
それは、二神が姉弟の夫婦神だからです。「きょうだい婚」は・・・と言います。




神沼河耳命を祀る神社
神沼河耳命を祀る神社は、九州を中心に複数存在します。特に熊本県に神社があり、阿蘇神社(中殿)や皇宮神社(相殿)で祭神としてまつられています。神沼河耳命は、阿蘇神社の金凝神として三の神殿の十二宮に鎮座し、皇宮神社でも祭神として崇敬されています。

皇宮神社(皇宮屋こぐや)
宮崎市下北方町横小路5872
(宮崎神宮の元宮)

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祭神 神日本磐余彦尊
相殿 吾平津姫命(あひらつひめ)、
 . 手研耳命(たぎしみみ)、渟名川耳命(ぬなかわみみ)

※吾平津姫は神日本磐余彦の后で、後に吾平津姫と神渟名川耳尊との子が手研耳命で阿蘇の神(百嶋学)。神渟名川耳尊と手研耳命が祀られているのは創祀に関係したことによるのか 百嶋学では神八井命と神渟名川耳尊は兄弟で阿蘇の多氏
古事記の編者である太安万侶も多氏
日本書紀では神八井命、神渟名川耳尊は神武帝と五十鈴姫の皇子とされる?

※神武天皇(大幡主)と神渟名川耳命(天照女神)の御子が手研耳命となります。


御座石神社
長野県茅野市本町東15−5307
祭神 高志沼河姫命
由緒 諏訪大社の境外摂社
祭神は建御名方命の御生母の高志(こし)沼河姫命を祀っている
『諏訪神社明細帳』によれば、高志沼河姫命は高志の国(越国)から鹿に乗って諏訪入りと 高志沼河姫命は、八千矛の神=大国主命と結婚したと伝えられる女神で、この地方では
諏訪明神の母神と信じられている

※奈留多姫の母は沼川姫(天照女神)となります。大国主(大幡主)と沼川姫(天照女神)は夫婦神となります。

 

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神沼川耳命と奈留多姫
神沼川耳命は市杵島姫(壱岐島姫)であり、天照女神だったのです。
「沼川」の「沼」は「玉」の意とされ、「沼川」とは、「玉を産出する川」の意とされます。越の国(新潟県) 糸魚川で算出するヒスイ(翡翠)の勾玉のことです。広義的にみれば、「玉の井」です。水沼君(みぬま)に関する玉の井(蚊田の渟名井) です。

 

※古昔、筑後川を神代川(くましろがわ)と言った
天孫降臨の折、天牟羅雲命(大幡主)は、その霊水を日向の高千穂の藤岳山の神代川の瑠理井(たまのい)と筑紫の道中(大城)の神代川の蚊田の渟名井に遷しています。高千穂と筑紫の道中には共通名の神代川があります。(No.295)

※止誉比咩縁記
蚊田は筑紫の中瀛海(なかつうみ)に秀(ひい)でたる潟の地なり。故に、「潟」と「蚊田」は同訓なり。古歌に詠めるに『筑紫の潟はこの地に起これる言葉なり。』この潟の渟中より湧き出でたる霊水ゆえに、『蚊田の渟名井』と号(なづ)けたり。この筑紫の潟 神代川は当国の名所なり。

※日向の高千穂の神代川の天真名井(瑠理井)  (No.286)
筑紫の道中の「道主貴」は、丹後では與佐の真名井を守る神で「道主」という。
天真名井の霊水は
日向高千穂の藤岳山の瑠理井(たまのい)、
筑紫の蚊田の渟名井(ぬない)、
丹後の与佐の真名井(まない)
に遷された。

※益影井(蚊田の渟名井)
福岡県久留米市北野町大城(筒井)
大城小学校グラウンド南 (No.286)

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井手左大臣・橘諸兄(684-757年)の本拠地、京都府綴喜郡(つづきぐん)井手町井手には、地名として「玉」がつく、玉川、玉水、玉ノ井があります。この名称は天照女神の玉垂命、許黄玉に因みます。(No.286)

※玉津岡神社
京都府綴喜郡井手町井手東垣内63
祭神 下照比賣命(したてるひめ) → 天照女神
配祀 味耜高彦根命(あじすきたかひこね) → 大幡主
由緒 飛鳥時代540年、下照比賣命が兎手(いで)玉津岡南峰に降臨し祀ったことに始まるという「玉岡の社」が玉津岡神社の起源。「玉岡の社」は「玉岡春日社」、江戸時代に「八王子社」と称号を変え、現在は玉津岡神社となる。
境内社・橘神社 祭神・橘諸兄(たちばなのもろえ)

※宮崎高千穂の二上山の祭祀線
宮崎県高千穂五ヶ瀬の二上山の祭祀線は男岳から女岳を通り、高千穂神社を通り、高千穂小学校に向かい、きれいな直線上に乗ります。高千穂小学校・天真名井(瑠理井 たまのい)・槵觸山(藤岳山)のラインも祭祀線となります。高千穂神社の古宮は高千穂小学校にありましたが、後に現在の地に遷座となりました。(No.297)

高千穂神社 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井1037

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高千穂小学校・天真名井(瑠理井 たまのい)・槵觸山(藤岳山)の祭祀線

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男岳・女岳・高千穂神社の祭祀線

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※伊藤正子氏ブログ「地図を楽しむ・古代史の謎」
信じますか? 高千穂ライン 2012-02-18
高千穂神社の祭祀線が卓見に語られています。
高千穂神社-草部吉見神社-阿蘇高岳
高千穂神社-阿蘇中岳火口-高良大社
この祭祀線が直線に乗る、とあります。
この考察は、高千穂神、高良神、草部吉見神、阿蘇神が同系統であると語ります。

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【沼河比売(姫)について】
國學院大學「古典文化学」事業 神名データベース
https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/nunakawahime/
『日本書紀』には登場せず、『古事記』の大国主の神話の段に登場する。
高志国にいた神で、八千矛神(大国主神)に求婚され、その妻となった。八千矛神がその家に到って求婚の歌を贈ると、戸の内から返歌をして、翌日の夜に結婚した
諸説
沼河比売が居た「高志国」(越国)は、北陸地方の広域にわたる、越前・越中・越後の分割前の国名である。神名の「沼河」は、越後国頸城郡の沼川郷にあたり、その所在は、現在の糸魚川市のおおよそ全体(合併前の糸魚川市・能生町・青海町)に比定されている。ヌナカハのヌは玉の意とされ、玉を産出する川の意と考えられている(ナは連体助詞)。
一方で、ヌナカハの語を川の美称と捉え、沼河比売を含め、必ずしも沼川郷に結び付ける必然性はないとする見解もある。

また、『古事記』の沼河比売は、出雲の神話中に組み込まれている上に、『古事記』の編纂者による内容の編集を経ているため、沼川在地の伝承を直接反映したものではないことが指摘されており、『古事記』の記述によってどこまで沼河比売の原像に迫れるかは問題が残る。
『延喜式』越後国頸城郡には「奴奈川神社」が見えるが、糸魚川市内でこれに比定される古社は諸説あり、
① 天津神社(一の宮鎮座)境内の奴奈川神社、
② 能生白山神社(大字能生鎮座)、
③ 奴奈川神社(田伏鎮座)が候補に挙がる。
現在は①が最も有力視されており、奴奈川姫とされる平安時代後期製作の木造の神像も伝わっている。

なお、『古事記』には子孫の記述がないが、時代の降る『先代旧事本紀』には、沼河比売が大国主神との間に、諏訪神社の祭神、建御名方神を生んだという異伝が記されている。

『古事記』『出雲国風土記』の沼河比売の神話で、出雲の神が越の沼河比売と結婚するという内容は、古代の出雲と越との間に地域的な結びつきがあったことが基盤になっているとされる。ただし、神話の中に史実がどの程度反映されているかは定かでなく、確証を得るのは難しい。
また、高志国(越国)にまつわる神話として、『古事記』には八岐大蛇退治の神話があるが、この内容が沼河比売求婚の神話と構造的に対応しているとする捉え方もある。



大国主と沼川姫の神話は、大幡主と天照女神の物語ではないでしょうか。
奈留多姫は神沼川耳命(天照女神)と神八井耳命(大幡主)の御子と考えられます。
これからすると、産宮神社(さんのみや)の祭神は次のように置き換えられます。

 
※産宮神社の祭神の置き換え(私説)
 正殿 奈留多姫命
 相殿 神沼川耳命(母・天照女神) → 置き換え(神玉井耳命)
 相殿 神八井耳命(父・大幡主)

産宮神社の遺構に、天照女神と大幡主に関係するものが多々あることに理解できます。
奈留多姫は雨宮姫(天照女神)の御子です。

さらに、建御名方(建南方)も天照女神と大幡主の御子となります。
すると、建南方と奈留多姫は「きょうだい」であり、後には、年老いた夫婦になられるのです。それで、諏訪大社は上社と下社(奈留多姫)に諏訪湖によって分離されているのでしょうか。
恐るべき関係の連続です。


※産宮神社の社紋が梅紋の意味
神沼川耳命(天照女神)と神八井耳命(大幡主)を祀れば、
産宮神社は天(てん)神社になるのです。
天神社(天満神社)の神紋は梅紋(梅鉢紋)です。