宮原誠一の神社見聞牒(072)
平成30年(2018年)08月17日

No.72 坂本命ともう一人の門神様 ③


9.阿志岐九躰皇子(あしきくたいおうじ) 再掲

旧三井郡山川町阿志岐の高良玉垂命の御子九人を祀った高良御子神社の祭神は、山川校区郷土研究会(平成八年)作成の由緒略記や「寛文十年(1670)久留米藩社方開基」によって、祭神名と読み方は明らかになっています。
しかし、「高良玉垂宮神秘書」160条からの解読は難解です。
「神秘書」は仏教上の菩薩名で記載されており、「秘密なり」で結ばれ、秘密扱いになっています。
改めて、160条を再掲します。

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山川校区郷土研究会発表の名と「高良玉垂宮神秘書」の項目を分かりやすく併記します。

 1.斯礼賀志ノ命神(しれがし)
  弥勒 さ光天皇 千万人に勝つ

 2.朝日豊盛ノ命神(あさひとよさかり)
  普賢 名無ま皇天皇 一日の難を逃れる

 3.暮日豊盛ノ命神(くれひとよさかり)
  薬師 くまる天皇 一切作物虫食い逃れる

 4.渕志ノ命神(ふちし)
  文殊 南無とくたつ天皇 生類眷属難産逃れる

 5.谿上ノ命神(たにがみ)
  釈迦 南無らし天皇 半死の難を逃れる

 6.那男美ノ命神(なおみ)
  観世音 たつつかつ天皇 丑午(ぎゅうば)碧玲の難を逃れる

 7.坂本ノ命神(さかもと)
  阿弥陀 南無しんしょう天皇 ふくひょうの難を逃れる

 8.安志奇ノ命神(あしき)
  地蔵 南無たくしょうしん天皇 わう難を逃れる

 9.安楽応宝秘ノ命神(あらおほび)
  大日 南無一天ほうしんふかとく今生後生の助け

御子名と「神秘書」の文章が、どのように結び着くのか、解読困難です。
高良玉垂命と関係がはっきりしているのは五名です。
斯礼賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命の三子は神功皇后の子で嫡子、那男美命、坂本命は妃・国片姫の子です。



10.宮地嶽神社の祭神

社は福岡県福津市に鎮座し、神功皇后を主祭神とし、勝村大神、勝頼大神を配祀とすると現在表記はなっていますが、実際には開化天皇が主祭神ですが、消されているといわれる。

以下、連携基幹ブログ、ひぼろぎ逍遥(跡宮)「145 宮地嶽神社と安曇磯羅 ⑬"宮地嶽古墳の被葬者藤 高麻呂、藤 助麻呂とは誰」古川清久 代表管理人 を参照しています。

昭和11年当時の資料では、「阿部相亟」(あべのしょうかん)=宮地嶽大明神、藤 高麿勝村大明神、藤 助麿勝頼大明神とされている。
百嶋先生の久留米地名研究会における講演によると、斯礼賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命は正真正銘の九州王朝の嫡子であり、開化天皇と神功皇后の間の子です。この斯礼賀志命が正当九州王朝の仁徳天皇と言われる。
奈良県天理市新泉町に鎮座する大和神社(おおやまと神社)の摂社・朝日神社の表札には次のように書かれている。

 御祭神 朝日豊明神(あさひとよあかりのかみ)
 殖産を興し、交易を奨めさせ給う。桜井奈良街道を行く方は必ず詣でしとす

朝日豊明神は朝日豊盛命(あさひとよさかり)です。= 藤 高麿勝村大明神となります。
暮日豊盛命(くれひとよさかり)は藤 助麿勝頼大明神となります。

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この兄弟の神様は日本の超広域で産業革命を起こしながらおまわりになっておられる実在の方です、といわれている。
北海道の姥神(うばがみ)大神宮(北海道檜山郡江差町姥神町99)の江差山車には、開化天皇の神紋・三階松紋と門光紋が回船の帆と旗に、神功皇后の神紋・「抱き菊の葉に菊」紋が山車の旗に掲げられています。

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久留米地名研究会における百嶋先生講演 2011年2月5日
正真正銘の九州王朝の嫡孫王子宮の方は、"しれかしのみこと"、"あさひとよさかりのみこと"、"くれひとよさかりのみこと"、この"しれかしのみこと"が正当九州王朝の仁徳天皇です。その周辺にたくさん天皇がお出になるのは正当ではありません。全部、別(ワケ)王です。朝日、夕日のご兄弟の神様は日本の超広域で産業革命を起こしながらおまわりになっておられる実在の方です。



11.坂本命とは、一体どういう人なのか?

坂本命の父と母は開化天皇と国片姫、国片姫の父と母は崇神帝と五十鈴姫、五十鈴姫の父と母は事代主と活玉依姫で、坂本命は崇神帝の孫であり、開化天皇の御子となれば、その血脈は、かなりの権力を持つことができると想定されます。しかも、高良山と大善寺の中間の荒木地域を担当されている。その荒木地域は久留米の南部から広川の北部に位置する。
坂本命の史料、資料は少なく、そのご子孫がどの流れかも未知であります。
鴨玉依姫の曾孫となれば、勢い、坂本命こそが、本当の応神天皇=八幡神ではないかと想像することもあります。
高良玉垂神社八人の神官の筆頭である稲員家は高良御子第二子の朝日豊盛命の子孫といわれるが、草壁氏を当初名乗っておられ、しかも、坂本命を特別に祀っておられる。これは天忍穂耳命・海幸彦、崇神帝の流れを意味します。その稲員家の本貫地は筑紫中津国の大城です。その大城は誉田天皇の生誕地である筑紫中津国の北野町大城ですが、この地域には誉田別尊=誉田天皇を祀る神社はないのです。関連してあるのは坂本神社です。これも不思議です。誉田別尊は百嶋神社考古学神代系図にも記載されておらず、八幡神である誉田天皇=応神天皇については謎だらけです。

久留米地名研究会における百嶋先生講演 2011年2月5日
王子宮は九州王朝の嫡孫です。
坂本宮は九州王朝の落胤系です。坂本宮のほうに御神体が三柱おられるが、真ん中の方は坂本命、間違いなく開化天皇のお子さんです。大善寺玉垂宮に行かれると楼門の左右を護っていらっしゃる。あの地区は荒木のシズチャン(五十鈴姫)の地区、坂本さんが担当されたところで、大善寺玉垂宮は高良玉垂宮の出張所と考えられたらよい。

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12.もう一人の門神様

「高良玉垂宮神秘書」に人質の百済王子の「犬の舞」について、面白い記録があります。

高良玉垂宮神秘書11条409条510条 高良玉垂宮縁起
大并(高良大菩薩)、クタラヲ、メシクスルカウ人トウクタラ氏ニ、犬ノ面ヲキセ、犬ノスカタヲツクツテ、三ノカラクニノ皇ハ、日本ノ犬トナツテ、本朝ノ御門ヲ マフリタテマツルヨシ、毎年正月十五日ニ是ヲツトム、犬ノマイ 今ニタエス、年中行事六十余ケトノ其一ナリ

高良大菩薩が百済を召具する降人百済氏に、犬の面を着せ、犬の姿を作って、三韓の皇子は日本の犬となって、本朝の御門守り給いて祀るよし。
毎年正月15日に是を勤める。犬の舞、今も絶えず、年中行事60余箇度のその一なり。

百済の降人百済氏が犬の面をつけて、正月十五日に犬の舞を玉垂宮でおこなう。
また、門の守りとなっている。犬の舞の行事は今も高良大社で続いているという。これは四世紀末から五世紀初頭にかけて、百済王族が人質となっていることを示している。

人質の百済王子が犬の面を着け、御門の門衛となっているが、その姿と象徴が、神社の拝殿から亘殿(弊殿)の入り口の両柱に掲げられている天狗の面と矛ではなかろうか。その天狗の面は犬の面であった。矛と面は犬の面を着けた百済王子の門衛姿の象徴であった。
また、獅子舞の先導役の赤面、青面を着けた鬼役も、実は犬ではなかったのかと思うのです。
また、神社境内参道の両脇の狛犬の起源も玉垂宮の百済王子の犬の面を着けた門衛にあるのではと思うのです。

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13.古代の犬は家畜であった

古代では動物を飼う分業職があり、特に犬については「犬飼」と呼ばれるように、身近な家畜として、狩猟用、番犬、運搬としも使われたようです。
中国南部の少数民族である、黎(り、れい)族、苗(みゃお)族等では、犬祖伝説をもっている。日本列島の天草・阿蘇に移住してきた黎族の代名詞である天忍穂耳命(海幸彦)は別称・犬飼神とも呼ばれている。犬祖族と呼ばれる少数民族で、漢民族の攻撃に南に押しやられた犬祖族は日本列島に新天地を求めて移住してきたことになる。

その犬祖伝説については、連携フログ、うっちゃん先生の『古代史はおもろいで』内倉武久先生管理人の「No.48 東アジアに広範な犬祖伝説『お稲荷さん』の狐も元来は犬?」に詳しい。参考にさせていただきました。

そこには、稲荷神社のおもしろい話がなされている。
「人々は『天の神様』が持っていた稲モミがどうしても欲しい、と犬を使者に立ててお願いに行ったが、断られた。犬は干してある稲モミの中をわざと転がりまわり、体中に稲モミをつけて地上に帰ってきた。が、途中、天の川を渡っている時にほとんど流されてしまった。幸い尻尾についていた一粒が地上の稲作の基になった。」
稲荷の起源と籾種の一粒万倍の稲作拡大が紹介されている。
犬が稲を荷(いな)ってきた。それが稲荷(いなり)と呼ばれ、犬はお稲荷様の神使いとなった。
お稲荷様の使いは「狐」でなく「犬」であるといわれる由縁である。納得です。

日本の七夕伝説の主人公である天忍穂耳命(海幸彦)は犬飼神であり、七夕姫は市杵島姫で、牛飼伝説ではないのです。犬祖伝説、犬の稲荷、天の川、犬飼神、七夕姫とよく揃ったものですが、七夕神社には山幸彦と天鈿女命(あめのうずめ)も祀られています。天鈿女命は以前、海幸彦の妃でもありました。「犬飼」は犬祖族のみならず、豊玉彦系橘族でも使用される。その代表例が県犬養 三千代(あがたいぬかい みちよ)であり、後に橘姓へ改姓します。
稲荷の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたま)で、別名、天鈿女命ですが、稲荷神社の創起は定かではありません。


【参考資料】稲荷神社
稲荷神社の総本宮は伏見稲荷大社とされる
三大稲荷神社(祭神は神社公表による)

 1.伏見稲荷(京都市伏見区深草) - 宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神
                  田中大神、四大神
 2.笠間稲荷神社(茨城県笠間市) - 宇迦之御魂神
 3.祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市) - 倉稲魂大神、大宮売大神、猿田彦大神

稲荷神社の神額の額縁はクマソ物部の性格を表している。

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田中大神は高良玉垂命で、伏見稲荷の額縁には半割り門光紋が打ってある。
四大神(しのおおかみ)は四公様の猿田彦大神ですが、稲荷神社の祭神は天鈿女命と猿田彦大神が基底にあるようです。天鈿女命と猿田彦大神は夫婦神です。
伏見稲荷の祭神・佐田彦大神は「猿田彦大神」の間違いか、と思うのですが。
もともと、男山・伏見地域は豊玉彦の領域で、稲荷祭神に豊玉彦が隠されているといわれています。



14.愛犬ペロ

新婚の息子夫婦が暮れにペット「ペロ」ちゃんを連れて愛知県豊橋市から帰省した時の思い出です。
私と愛犬ペロを我が家に残して、家族総出で買い物に出かけた時です。私とペロは二人で留守番となりました。もちろん、初対面です。私はストーブの前で本を読んでおり、ペロは初対面で恥ずかしくて部屋の隅でうずくまっていました。
私はたまりかねて、仲良くしようと、ペロに言いました。「そこにいないで、ペロちゃん、私の胡坐(あぐら)に来なさい」と。初対面ですので、恐ろしいのか、ゆっくりと歩いて来て、私の胡坐にうずくまり、安心したのか、しばらく、下のほうから私の顔を眺めていました。いつしか、二人共に、居眠りについてしまいました。
その夜、私は愛犬ペロの感激の姿を見ることになります。
私が風呂に入る時、脱衣場のドアを完全に閉めないで風呂に入りました。
風呂から上がって来た時、何と、ペロちゃんが私の服の上でうずくまり、私が風呂から上がって来るのを待っているではありませんか。初対面の私に脱衣場で、わたしが風呂から上がって来るのを待っているとは。私のみならず、家族が驚きました。
もう、それから、二人は仲良しです。
朝、私が目覚めて起きて来ると、部屋の中程で、走りジャレまくるではありませか。会って嬉しくてたまらないのです。一向に止めそうもないので、もう止めなさいというと、大人しくなりました。ソファーに座ると私の両膝に前足を掛け、私の両手で自分の両手を持てと、ワン公が言うのです。
ここまで来たら、もう単なる犬ではありません。家族です。
犬は愛玩動物でなく、やはり家畜なのでしょう。
そのペロも、今は我が家の庭の隅の石の下で静かに眠っています。
家畜との思い出は、中学時代、牛との散歩がありますが、皆さん、犬との散歩は想像できても、「牛との散歩」はとても想像できないと思います。機会がある時にお話しします。