ご訪問ありがとうございますにっこり

1月5日
4月に90歳を迎えるはずだった父が
心筋梗塞で亡くなりました。

家族で実家を訪ね、楽しく会話し
「またね」と握手をして別れた
翌日の事でした。


腕の良い型枠大工だった父は
30代で独立し、何人かの職人さんを雇っていました。

子どもみたいに純粋で人懐っこく
意地の悪さや狡猾さがないからか
誰からも…特に動物と子どもに
好かれる人でした。

ただ…人の良さと弱さに付け込まれ
騙されたり、保証人になったりを
何度か経験してしまいました。

おまけに、職人としては優秀でも
経営の才能は乏しかったようで
我が家の経済は、いつもかなり
厳しい状況でした。

思うようにならない現実に
苛立つ事も多かったのでしょう。
裏切られ、傷ついてもいたのだと
思います。

家での父は、ピリピリしていて
誰と会話する事もなく、まるで
一人で暮らしているようでした。

二人の兄も私もそんな父が怖くて
小さい頃は每日ビクビクしながら
過ごしていたものです。

お酒を呑んでは暴れたり
訳のわからない事を言い出したり
ヤケになって、家族の目の前で
手首を切った事もありました。

動揺した母が救急車を呼んだら
何故か警察の方たちがやって来て
刑事さんらしき人や、鑑識さんが
土足で家に上がりこんで来て…

「刃渡り〇〇センチ!!」とかって
まるでドラマみたいでしたよパトカー

母が事情を聞かれている隣で
高校生の私は壁や畳に飛び散った
大量の血液を拭きながら
「血って生臭いんだな」と思ったのを今でもはっきり覚えています。

あ、父は歩いて救急車に乗った後
数時間後には処置を終え帰宅し
翌日は何もなかったように
仕事に行きました。

たくさんお酒を呑んでいたため
血流が良くなっていたので
勢い良く出血したみたいですほんわか

他にも書ききれないほど…
父のおかげで(!?)本当に色々と
経験させてもらいました。

大人になった今なら
父の弱さも辛さも理解して
寄り添う事も出来たかも知れません。
だけど若くて幼かった私は
ただただ父が憎く、大嫌いでした。

晩年、仕事の重圧から開放され
顔つきも別人のように柔和になり
畑仕事に汗を流し、孫を可愛がる
優しいおじいちゃんになった父と過ごすうちに、そんな感情は
いつの間にか溶けてなくなりましたが。


亡くなる前日、初めて父から
聞かされた事があります。

「お前が生まれた時、絶対にこの子を守ると思った。
必死じゃった。」
「お前は、早くに亡くなったおふくろに、よう似とる。」

ずっと昔のこと
あまりにも家庭を顧みない父に
「仕事と家族どっちが大事なん?」
と迫った母に、父が言ったそうです。

「家族が大事じゃけー、必死で仕事しょーるんじゃ!!」と。

私はずっと父に愛されていないと
思って生きてきました。
だけど、不器用すぎるあまり
伝え方を知らなかっただけなのかも知れません。

最後の最後に、父なりの愛情を
伝えてもらう事が出来て
何だかとても報われたような
不思議な気持ちがしています。

昨夜、無事に四十九日の法要を
終えました。
思っていた以上に、私にとって
父との別れはダメージが大きくて
まだ不安定になる事もありますが
ゆっくりゆっくりでも
自分を癒やして進まなければと思います。

ある日突然
会えなくなる日が来るかもしれない。
その時、悔やむ事のないように
大切な人には
素直に本当の気持ちを伝えたい。

そして出来ることなら
その人の記憶の中では
いつも笑顔でありたい。

そんな事を思っています。

最後まで読んで下さり
ありがとうございましたニコ


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