左脳の脳梗塞で入院したのに、右頸動脈の血管狭窄の手術をすると言われて若干困惑する。
父親は至って元気で、病院内を歩き回り「早く帰りたい」と言う。
入院することもなかったんじゃないかと、若干気が緩む。
この頃は血液がサラサラになる薬を飲んでいて、その為、左脳の脳梗塞の進行を防いでいた。しかし同時に、それで血栓が溶け出していたのだと思うが、右脳に小さな梗塞がいくつかできていた。
放置すればいずれ詰まっていた血栓が全て溶け崩れて右脳に大きな梗塞をつくるだろう。考える余地はない。手術一択だ。
そう判断し、ステント留置手術を決めた。
この判断も間違ってはいなかったはずだし、ごくありふれた判断だと思う。
父親もそう判断し、いざ手術へ。
手術は二時間程度で終わり、術後の病室に行き、ベッドに寝る父親の姿を見て目眩をおぼえた。
彼は意識混濁し、全身を痙攣させ、ずっとうわ言をつぶやいていた。
想定していなかった彼の容態に私は青ざめた。手術は失敗したのだ、と思うと安易に手術に賛同した数日前の自分が恨めしかった。
しかし、医師は「手術は成功した」と言う。
ではなんだ?この容態は?
「脳が腫れて激烈な症状がでている」と言う。
なるほど、確かにステント留置手術は成功したのだろう。ただし「その後、脳が腫れないとは言っていない」と、そういうことか。手術の成功と健康回復はイコールだと思っていたが、どうやら違うらしい。
「400人に一人くらいの珍しい症例」
「3、4日で脳の腫れはひくだろう」
目の前で医師が説明を続けていたが、その声が遠くなる。血圧が下がり、目の前が暗くなっていく。足元が揺らぎ、立っているのが困難になる。
「スミマセン倒れます」
私はそう言い、倒れた。
翌日、見舞いに行くと彼の激烈な症状は、医師の言うとおり和らいでいた。意識はあり、痙攣もおさまり、うわ言もつぶやいていない。
確かに「激烈な症状」は消えていたが、ひと目でオカシイと判断できた。彼は自分の意思で座ることができていたし、私が誰だか認識できていた。だが、ベッドに足を下ろして座り、右手を左人差し指のまわりで回している彼を見て「これは困ったことになった」と、私は今度は倒れはしなかったが、昨日よりもより深い絶望感を味わっていた。
彼は言った。
「昨日A子が来たよ」
A子は長女で私の姉。今は福岡に住んでいて、もちろん手術のことは知っていたが、昨日も今日も名古屋には来ていない。今後も来る予定はない。
「何言ってるの、来てるわけないじゃない」
「あれ、そうかな?でも来たよ?」
「来てないよ、福岡にいるよ」
「おかしいな、そんなはずないんだけどな」
「ところで、その指クルクルなにやってんの?」
「何って…」
彼は見てわかんないのかとでも言いたげな顔で言った。
「イヤホンをまとめてるんだよ」
彼の手にイヤホンコードは無かった。
父親は至って元気で、病院内を歩き回り「早く帰りたい」と言う。
入院することもなかったんじゃないかと、若干気が緩む。
この頃は血液がサラサラになる薬を飲んでいて、その為、左脳の脳梗塞の進行を防いでいた。しかし同時に、それで血栓が溶け出していたのだと思うが、右脳に小さな梗塞がいくつかできていた。
放置すればいずれ詰まっていた血栓が全て溶け崩れて右脳に大きな梗塞をつくるだろう。考える余地はない。手術一択だ。
そう判断し、ステント留置手術を決めた。
この判断も間違ってはいなかったはずだし、ごくありふれた判断だと思う。
父親もそう判断し、いざ手術へ。
手術は二時間程度で終わり、術後の病室に行き、ベッドに寝る父親の姿を見て目眩をおぼえた。
彼は意識混濁し、全身を痙攣させ、ずっとうわ言をつぶやいていた。
想定していなかった彼の容態に私は青ざめた。手術は失敗したのだ、と思うと安易に手術に賛同した数日前の自分が恨めしかった。
しかし、医師は「手術は成功した」と言う。
ではなんだ?この容態は?
「脳が腫れて激烈な症状がでている」と言う。
なるほど、確かにステント留置手術は成功したのだろう。ただし「その後、脳が腫れないとは言っていない」と、そういうことか。手術の成功と健康回復はイコールだと思っていたが、どうやら違うらしい。
「400人に一人くらいの珍しい症例」
「3、4日で脳の腫れはひくだろう」
目の前で医師が説明を続けていたが、その声が遠くなる。血圧が下がり、目の前が暗くなっていく。足元が揺らぎ、立っているのが困難になる。
「スミマセン倒れます」
私はそう言い、倒れた。
翌日、見舞いに行くと彼の激烈な症状は、医師の言うとおり和らいでいた。意識はあり、痙攣もおさまり、うわ言もつぶやいていない。
確かに「激烈な症状」は消えていたが、ひと目でオカシイと判断できた。彼は自分の意思で座ることができていたし、私が誰だか認識できていた。だが、ベッドに足を下ろして座り、右手を左人差し指のまわりで回している彼を見て「これは困ったことになった」と、私は今度は倒れはしなかったが、昨日よりもより深い絶望感を味わっていた。
彼は言った。
「昨日A子が来たよ」
A子は長女で私の姉。今は福岡に住んでいて、もちろん手術のことは知っていたが、昨日も今日も名古屋には来ていない。今後も来る予定はない。
「何言ってるの、来てるわけないじゃない」
「あれ、そうかな?でも来たよ?」
「来てないよ、福岡にいるよ」
「おかしいな、そんなはずないんだけどな」
「ところで、その指クルクルなにやってんの?」
「何って…」
彼は見てわかんないのかとでも言いたげな顔で言った。
「イヤホンをまとめてるんだよ」
彼の手にイヤホンコードは無かった。