嫌な予感なんてものは滅多に当たるもんじゃない。そう思うことにした。おかしかったのはあの一日だけで、あとはマトモ。

たまたまあの日はチョーシが悪かっただけだったんだ。

脳梗塞なんてありきたりな病気で、完治する病。

初めての手術でビックリすることはあったけど、現代医学にかかればこんなものだ。

そう思い込むことができるほど、退院後の父親の容態は安定していた。

退院して帰宅後すぐに彼は近所の中華屋に一人で出かけた。
うす味の病院食にあきあきしていて、濃い味付けのものが食べたかったのだろう。
一人で行かせることに不安はあったが、足どりも軽く、心配ないように思えた。
30分ほどで帰宅し、夕食もモリモリ食べた。
一週間後には仕事に復帰し、定時にしっかりとした足どりで帰ってきた。

良かった。もう心配ない。
毎日菓子パンを買い食いしていて、今までよりも食欲が旺盛なようだ。

食べる事は生命力。食欲があるというのは実に望ましいことだと感じた。


「なんだか胸にポッカリ穴が空いたみたいな感じ」


彼がそう言ったのは退院後3週間が経った頃だった。

「なに訳わかんないこと言ってるの?」

平穏な日常生活を取り戻していた私はすっかり油断していて、彼の言葉を真剣に考えようとはしなかった。

「胸にポッカリ」

心の虚無感をありきたりに表現するときに、よく使われる言葉だ。

その時の私は率直に「弱気になってる場合じゃないよ」とそう思った。

今思い返せば、それは何らかの体調の異変を表したものだったのではないかと類推できる。
通常人間は、心の在り処を胸の内側に求める。「胸に手を当てて考える」なんて言うくらいだ。
が、実際には人間の心は胸の内側には存在しない。在るのは心臓で、心臓はなにも考えずにドクドク動くもの。
実際に人間がものを考え、思い、感じるのは脳だ。

人間の心は脳にある。つまり彼の心の虚無感も脳にある。彼の脳に。彼の患った脳に。変換するとこうなる。


「脳にポッカリ穴が空いたみたいな感じ」


ああ、はじめからそう言ってくれていれば、即座に病院に連れていき、検査を受けさせたのに。これはそのまま脳梗塞じゃないか。きっと、あの時の彼の脳には、ポッカリと穴が空いたように丸い梗塞ができていたのだろう。

そんなこと、どうして気づける?

誰がきづける?

気づけやしない。

無理だ。
無理すぎる。

あとからならば、いくらでも違和感を検証できる。もっともらしい理屈をこねることもできる。

けどその場で察するのは無理。
そんなに気を張って生きてるわけじゃないんだ。

それなのに私たちは今を生きているから後悔がなくならない。


一週間後、退院後最初の外来に行く前夜だった。

トイレに行く廊下で、彼は倒れた。

左足が動かない。

左手が動かない。

あのとき左目は、見えていたのだろうか?

私も慌てていたから確認はできていない。

救急車を呼びながら彼の体を支えていた私が確認できたのは、意識を保ったまま徐々に体の自由を奪われていく恐怖に怯える彼の振動。

「右脳に新たな梗塞ができている。直ぐに手術をする必要がある」

救急搬送された病院でそう言われ、私は了承する。
私が承諾書を記入していると、隣で心配そうに母親が医師に言った。

「万が一はあるのですか?」

「万が一どころではない」

おそらく医師は「1/10000以上の確率でヤバイ」と言いたかったのだろうが、母親は「十中八九死ぬ」と受け止めたようで、手術中の待合室で、あの医師は酷い、思いやりがない、と憤っていた。

不安を医師への愚痴で誤魔化す母親を横目に、私はこんなことを考えていた。

「もしかしたら、万が一があった方が良かったということになるかもしれない」
「そんなこと、思っても口にするもんじゃない!」

母親はピシャリと言った。

確かにそうかもしれない。

それは不道徳で不謹慎な考えかもしれない。

けど確かに、そうなって欲しいという訳ではなく、近い将来、そうなる日が来るかもしれないという予感が、私にはあった。



事実、彼が今までの彼であれたのは、退院後ふたたび倒れるまでのこの一か月が最後だったのだから。