鏡の中のフィロソフィア(予告編1) ― 講義ノートから(14) | 内的自己対話-川の畔のささめごと

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日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

 今日から、集中講義の第1日目に取り上げる、邦訳のない3つのフランス語文献を紹介していく。

 その1冊目は、ルイ・ラヴェル(
Louis Lavelle, 1883-1951)の『ナルシスのあやまち』(L’erreur de Narcisse, Grasset, 1939 ; La Table Ronde, 2003)である。

 ラヴェルは、フランス・スピリチュアリスムの
20世紀前半における正統的継承者で、フランスの「精神の哲学」を代表する哲学者の一人である。「最後の偉大なるフランス人形而上学者」と言われることもある。この四半世紀、本国フランスでは、ルイ・ラヴェル協会の創設(1989)、その哲学をめぐってのシンポジウムの開催、いくつかの著作の復刊等に見られるように、ラヴェル哲学再評価の機運が高まっている。ところが、管見の及ぶところ、日本にはラヴェルの研究者と呼べるような専門家はいないようであるし、翻訳は1つもない。紹介論文あるいは記事すら寥々たるもののようだ。しかし、私は、かねてから、ラヴェルの文章をフランス語における哲学的言語の精華の1つだと考えており、現在古本でしか入手できない著書も含めて、ラヴェルの本を収集してきた。
 『ナルシスのあやまち』は、極めて美しいフランス語で書かれた哲学的エッセイである。「この小著はその内容によって偉大である」(La Table Ronde版のJean-Louis Vieillard-Baronの「前書き」より)。そこには、自己意識の成立契機とその本質という哲学的問題をめぐっての考察が、ナルシス神話を出発点として、平明かつエレガントな仕方で展開されている。一切の専門的術語を排し、ソクラテス、プラトン、パスカル等、若干の哲学者へのごく僅かな言及はあるにしても、哲学書からのあからさまな引用に依存しているところはまったく見られない。この作品は、ラヴェルの哲学的散文精神の粋であると言うことができるだろう。ラヴェルの文章は、その繊細な思考と完全に調和した文体によって、丁寧に思索の道標を示しながら、私たち読み手に自らのこととして一つ一つの問題を考えさせ、一歩一歩「魂の頂き」へと私たちを導く。それぞれ10前後の短い節からなる12の章によって作品全体が構成され、それはあたかも「精神的生の偉大なる年の12ヶ月」のようであり、その冒頭から最終節まで、精神の「高貴な光」によって貫かれている(「前書き」より)。
 20世紀後半、フランス本国においてさえ、長らく忘れかけられていた同書は、20世紀前半にフランス語で書かれた哲学的エッセイの傑作の一つとして、今改めて日本でも丁寧に紹介されるに値する名著であると私は思う。フランス語を読まれる方には、是非原書(電子版はこちらから無料でダウンロードできるし、8.70€で文庫版が今でも簡単に入手可能)でお読みになることをお勧めします。このブログでは、明日から前後2回に渡って、集中講義の内容に直接関係する第1章「ナルシスのあやまち」を中心に同書の内容を紹介していく。