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桜 桜 桜

 

 

22日、樋口美穂子先生の最新インタビューが出ました

 

一部抜粋しますね

 

全文はこちら

 

宇野昌磨ら育てた樋口美穂子コーチ「10年後の自分」のイメージが独立を決断させた

(中スポ)
多くのトップ選手を育てた名古屋市の「グランプリ東海クラブ」から独立を発表した樋口美穂子コーチ(52)、決断した胸中を告白した。
 

虚を突かれる発表だった。樋口コーチは15日、自身のツイッターに「この度、独立する事になりました。宜しくお願い致します」(原文まま)と短くつづり、自ら代表に就く新設クラブのホームページを紹介した。クラブ名称の「LYS」には「Let Yourself Shine」の頭文字を取り、「あなたらしく輝いて」との思いを込める。

 

21歳に指導者となってから、いつもそばには山田満知子コーチ(78)がいた。恩師からの独り立ちには想像を上回る賛否の反響が寄せられているが、決意は揺るがない。

 

「選手を輝かすために、まずはコーチが輝いていないといけない。いい選手を育てるコーチはみんな輝いている。10年後の自分の姿をイメージしたとき、もっと自分を磨かないといけないと思った」

 

クラブに残す選手たちはもちろん気掛かりだ。

そして何よりも山田コーチのことを考え、「満知子先生に恩返しはできたのか」と何度も自問した。尊敬する先輩に相談すると「十分に恩返しはしたよ」と言ってもらえて、気持ちがすっと楽になった。

 

独立の意思を伝えた山田コーチには「残念」とも言われたが、最後は「じゃ、頑張って」と送り出してくれた。10年後、その先の自身の姿を信じて、新たな一歩を踏み出した。

 

 
山田満知子コーチ、樋口美穂子コーチが
 
二人で築いた指導法や、
 
それぞれのお考えがわかるインタビューを集めてみました
 
※すべて抜粋。全文はタイトルクリック
 
 
丸ブルーNEC 著名人から学ぶリーダーシップ
 (2017年6月)

成功したら、抱きしめて一緒に喜ぶ。大切なのはフィギュアスケートを楽しんでもらうこと

 

今でこそ名古屋はフィギュアスケートのメッカのように言われますが、私がコーチになった頃は東京の選手たちには全く敵わない。私もまったく無名のコーチの一人にすぎませんでした。スポットライトが当たる東京の選手たちを見ながら、この子たちに勝ちたい、名古屋でトップ選手を育てたいとは思っていました。そんなときに出会ったのが、伊藤みどりです。

 

私自身、最初から一生の仕事としてコーチを選んだわけではなく、なんとなく連盟のお手伝いをするなかで、コーチを始めるようになりました。それまでは、フィギュアスケートが名古屋でもっと普及すればいいな、くらいの軽い気持ちだったんですが、伊藤みどりと出会ってからは、選手を強化し、その技量を世界レベルにまで引き上げることが私自身の目標になりました。

 

つまり私自身が世界の名だたるコーチと張り合うようにならなければならない。いわば私にプロフェッショナルとしての自覚を促したのも、伊藤みどりとの出会いだったのです。

 

若い選手の自覚を引き出すためには、“駆け引き”のようなもの、そして本人自身の成功体験、さらには本人がしっかりと目標を見定めるまでの時間が欠かせないのだと思います。

 

私自身は、7歳でスケートを始めましたが、当時は難しいことを厳しく言われるばかりで、全然スケートが楽しくなかった。だから、私のコーチングの基本は、子供たちにスケートを楽しんでもらうというのが一番。厳しく叱りつけるような指導をした記憶はありません。
 
一つテクニックを覚えると嬉しくなってまた練習したくなる。友だちと一緒に滑るのが楽しいからリンクに顔をだす。そういうので構わないんです。コーチと選手の関係も、上下関係というよりは家族的。国内外を見ても、こんなに楽しそうに練習しているチームは少ないんじゃないかと思いますよ。
 
選手の母親たちがリンクサイドに並んで、子供たちに声をかける風景も昔からのものです。そういうことを嫌がるコーチもいますが、私は親と共に協力しながら選手を育てることが大切だという考えです。子供の成長に親も感化されますし、何より私自身がよい勉強になります。
 

今のお母さんたちは、私の娘よりも年が下で、その子供たちといったら私の孫よりもずっと若い。でもそういうお母さんたちと話すことで、私の視野も広がります。子供たちとの接し方も時代と共に変わりますから、その変化についていくこともできます。

 

もしそのように人間関係を広げずに、「私はコーチよ」とふんぞり返っていたら、きっと私は視野の狭い人間になっていたことでしょう。お母さんと子供たちには、本当に感謝しています。

 

ピンク薔薇 

 

私は浅田舞・真央の姉妹も指導していました。この姉妹には最初に出会ったときから私自身が魅了されました。フィギュアスケートという上品で気高いスポーツにぴったりの子たち。

 

それまで私はジャンプを教えることにかけては一流と呼ばれていましたが、決してジャンプだけが大切なのではなく、表現力のある美しいスケートを教えたいと常々願っていたのです。真央はその願いが通じる、まさに逸材でした。

 

真央ほどの実力があるのなら、若いうちにもっと世界を見た方がいいと思いました。かといって私が真央たちと一緒に海外に拠点を移すということもできません。私には名古屋でフィギュアスケートの底辺を拡大するというライフワークがあるからです。

 

逸材を発掘し、その成長を手助け、そしていつかは、辛い思いをこらえながら教え子を旅立たせる。コーチというのはそういう仕事でもあると思います。

 

ピンク薔薇 ピンク薔薇

 

絶対に負けられないという勝負のかかった場面で、選手をリンクに送り出すときにかける言葉。「いつもどんな言葉をかけるのですか」とよく聞かれますが、ここぞという魔法の台詞があるわけではありません。その選手の状態を見て、その気持ちを考えながら、その都度、適切な言葉をかけるようにしています。

 

例えば、練習の段階では完璧な仕上がりだったとしても、選手はものすごく緊張しているわけです。あるいはコーチの声も耳に入らないほど集中力を高めているかもしれません。その集中度を妨げないためにあえて言葉を飲み込んで、黙ってリンクに押し出してやることもあります。

 

技量は万全なのに、大きな大会になるとミスが出てしまう選手もいます。浅田真央もそういうタイプ。だから彼女の場合は、いかに気持ちをリラックスさせるか、そのための言葉を選んでいました。心身の緊張がほぐれたときの真央の演技ほど、美しく、可愛らしいものはありません。

 

言葉掛けが大切なのは、試合のときだけでなく、練習でも同じです。なかなか高いジャンプを跳べない選手に私たちは「はい、もう一回!」と声を掛けるわけですが、冷たく突き放したような言い方でそれを言うのか、それともコーチ自らが身振り手振りで、「ほら、こんなふうに、もう一回!」というのでは全然効果が違ってきます。

 

言葉で言えば「膝を屈伸して足首を使って、キュッと上がるのよ」ということになりますが、それを自分からジェスチャーで見せるようにすれば、子供たちも体で理解してくれるようになります。

 

難易度の高いジャンプに初めて成功した子には駆けよっていき、抱きしめて、一緒に喜んであげます。こうした肌の触れあいもスポーツではとても重要なことだと思います。

 

ピンク薔薇 ピンク薔薇 ピンク薔薇

 

かつてはテクニック、選曲、振り付けなど一人のコーチがすべてやっていました。しかし、今はそれぞれに専任のコーチがいて分業体制で教えることが普通になっています。いま私には何人かのアシスタントコーチがついてくれていますが、そういうシステムの採用も私は早い方だったと思います。

 

私もすっかりおばあちゃんですから、いつまでも現役ではいられません。アシスタントを育て、徐々に指導者の世代交代を図っていくために、あえてアシスタント制を採用しているのです。

 

最近は、海外遠征にもめったに帯同しなくなりました。身体がきつくなったというのが表向きの理由ですが、実はコーチの世代交代を真剣に考えての選択なのです。

 

***

 

4回転ジャンプなど最初はとても人間技ではないと思ったものですが、今はトップ選手でできない人はいない。誰かが成功すると、不思議なことにみんなできるようになるんです。どんどん選手のレベルが上がり、競技も面白くなる。

 

フィギュアスケートは進化し続けるスポーツの代表といえるかもしれません。ぜひそういう観点からフィギュアスケートをご覧になって、楽しみながら応援していただければと思います。

 

 

 

丸ブルーコーチの肖像 ~名コーチの素顔に迫る~

 (2015年9月)

コーチ生活50年を超える山田が教えたスケーターは五輪メダリストから初心者まで大勢いるが、その中で40年近く、ともに時を過ごしたのが、樋口美穂子。

村上や宇野の振付師としても世界的な評価を得ている、日本を代表するコーチの一人だ。

出会いから現在までの日々を振り返ってもらった。

 

子どもの時から山田先生のようなコーチになりたかったんです

 

つづきは雑誌でどうぞ😉

 

 

丸ブルーHITACHI~平成の世にサムライを探して

 フィギュアスケートコーチ山田満知子

一人一人の選手を輝かせてあげたい

 (2015年4月)

── 相手が誰であっても変わらない指導方針というものはありますか?

 

「チャンピオンになれなかったから、自分は駄目な選手」なんて考えてほしくないんです。私はいつも、「1位になる選手よりも、みんなの心に残る選手になってね」と伝えています。

 

自分の力を精いっぱい発揮して、自分の魅力を出し切ることができれば、きっとみんなの心に残るスケートができる。そう私は思うんです。

 

名古屋スポーツセンター(大須のリンク)

 

丸ブルーTOSHIBA~hito*yumeインタビュー

特集 山田満知子

 (2011夏)

 

山田コーチが真に目指すのは、心からの「ふれあい」によって、それぞれの個性をいちばん輝かせることができるスケーターへと導くこと。

 

わたしは、(強化型ではなく)普及型のコーチだということを話しましたが、だいたいどんな子ともうまくやっていける許容範囲が広いことが、指導者としてのひとつの特徴だと思います。

 

ふれあって、それを深めているうちに、その子なりの個性を好きになり、それを魅力として受け止められる。そうすると自然に個々の個性が際立ったスケーターに仕上がっていくんですね。

 

例えば、おっちょこちょいの人が落ち着こうと思っても、やっぱりどこかおっちょこちょい(笑)。しかしそこを魅力と受け止めれば、指導の仕方はあるのです。

 

教え子の親たちはうれしいことに山田ファミリーをこう評してくれるんです。「先生は子どもたちを選手というより、大好きな人として愛情をもって接してくれる」と。

 

その原点は、私が育った家族・木下ファミリーなのだろうと思います。わたしたち兄弟の友だちを家に呼ぶこともしょっちゅうで、そんなときは(父の)手製の紙芝居で楽しませてくれたりもしました。いま、私の教え子たちは週末になるとよくわが家で泊まったりしており、あぁ、同じだなと。

 

昔の自分に何かひとつだけアドバイスができるとすれば、「待とうよ」と言いたいですね。例えば若いころは、教え子がジャンプを跳んで失敗し、その原因が腰が回っているからだと思うとすぐに呼んで注意していました。

 

すぐに子どもたちがわかってくれないと焦るんですよね。でも、いろいろその子なりの指導のヒントが見つかることが多いんです。

 

指導者自身も自分が少しずつでも向上したいと本気で思っているかどうかなんです。その本気度が高ければ、我慢もできる。

 

何か特別な言葉ではなく、心を込めて伝える。それが「ふれあう」ということの原点なのかもしれないと、いま思っています。

 

オシャレといえば美穂子先生…ですが満知子先生もとてもオシャレ(*^.^*)

 

***

 

実は、ブログ初期にも満知子先生を取り上げたことがありました

 

その時はURLだけ紹介しましたが、今見たらサイトがなくなってた(涙)

 

サイトの内容を一部ご紹介しますね。

 

 

丸ブルー進学情報誌さぴあ 子育てインタビュー

将来の幸せを願い、ベストを尽くす姿を見守って

 (2009年4月)

 

わたしが指導しているクラブというのは、特別な入会条件も面接試験もありませんから、さまざまな年齢のいろいろなタイプの子どもたちがいて、毎日レッスンに励んでいます。

 

コーチのタイプには“強化型”と“普及型”の二つがあると言われています。わたしは後者を受け持つ指導者でいたい。名古屋の“おばあちゃんコーチ”として、子どもたちにスケートの楽しさを伝えていくことに大きな喜びを感じ、底辺拡大に努めています。

 

ジャンプが上手に跳べなくても怒ったりはしませんが、生き方に関することには厳しくありたいと思っています。「実るほど、こうべを垂れる稲穂かな」です。

 

自分だけ得をしようとか、勝とうとかいうことだけを考えている選手は、絶対にトップには立てません。フィギュアスケートに限らず、子どもにはスポーツを一つの手段として、立派な男性、すてきな女性に育ってほしいですね。

 

わたしは子どもたちの個性を伸ばすことを第一に「(その子の)タイプを変えない指導」というのを心がけています。そのため、生徒を集団にして、一律のマニュアルで教えるということはしていません。指導はマンツーマンが基本です。

 

「(若いお母さんに)最初からオリンピックなんて遠い先を見ずに、明日、子どもがどれだけ成長しているかを楽しみにしてください」と言います。みんな、その段階ごとにプレッシャーと闘い、最高の力を出して挑み、花を咲かせているのですから。

 

 

≪いろいろ読んでみてわかったこと≫

 

満知子先生も、美穂子先生も、めざしているのはいっしょ

 

『自分らしく輝いてほしい』

 

=ひとりひとりを大切にしたい

 

 

いつかまた

 

 

二人の行く道が、交わりますように 。。。