ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ
首都サラエボにやってきました。
わたしがサラエボといえばまず思い浮かべるのはサラエボ事件。オーストリアの皇太子が射殺された事件です。教科書で習いましたね!!この事件があって、第一次世界大戦がはじまったのです。
宿の近くにあるこの普通の細い道が事件現場でした。
サラエボ事件の次に思い浮かべるのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争。
ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで 1992年~1995年まで続いた内戦です。セルビア軍がここサラエボの街を完全包囲し攻撃しました。
当時この場所に住んでいたのは、 44%のムスリム、33%のセルビア人、17%のクロアチア人。
ムスリムとクロアチア人がボスニア・ヘルツェゴビナを独立することを推進したのに対し、セルビア人は猛反対。
そのため両者の関係は次第に悪化。そしてセルビア人は反対しているにも関わらず、ムスリム・クロアチア人がボスニア・ヘルツェゴビナを独立宣言しました。
そして翌日、軍事衝突に発展。
この内戦の死者は20万人。第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となったのだそうです。
約20年たった今でも、街を歩くと至るところに生々しい銃撃の跡が。
これはほんの一部。 街にはたくさん、おびたたしいほどの銃弾の跡が残っているのです。
youtubeにボスニア戦争のドキュメンタリー番組の動画があります。
わたしはボスニア戦争に対する理解が不十分なうえに説明下手なので、ぜひこちらを見てください。当時の様子がよくわかります。とても勉強になりました。
・ボスニア内戦 民族紛争の真実 前編
この動画にも出てくる、ホリデーインというホテル。
ボスニアを出る日の夜に撮ったので真っ暗でわかりづらいですが・・・
ここは戦争中 唯一営業していたホテル。取材にくる世界のジャーナリストたちに部屋を提供していたそうです。
このホテルの前の大通りはスナイパー通りと名付けられていて、ここを動くものすべてが射撃と対象となっていました。
動画を見てもらったらよくわかるんですが、当時の人たちはみんな、ここの通りを建物の影に隠れながら、息をひそめながら、走り、移動していたのです。
ここで射撃され命を落とした人や負傷した人、逃げ惑った人たちがたくさんいたのです。
それもたった20年前の話なんですよね。
オリンピックスタジアムの前には、犠牲者のたくさんのお墓が建てられていました。
犠牲者が多すぎて作るのが間に合わないという理由で、このような簡素なお墓を建てるしかなかったそうです。
そんな、20年たったボスニアの街。
暗くて怖い雰囲気なのかと思っていたけれど、ここは都会で、人々の笑顔もたくさんありました。
宿の人やお店の人たち。明るく優しくわたしたちに接してくれました。
公園でチェスを楽しむおじいさんたち。
この子どもたちは20年前の内戦を経験していない。
「コンニチハ」と日本語で明るく笑顔で声をかけてくれました。
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