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鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

波斯匿王の事

 そもそも、富楼那の弁舌によって匿王の怒りを宥めたという由来を尋ねると、昔、釈尊が、霊鷲山で、御法を説いていた時、波斯匿王が、聞法結縁(もんほうけちえん:仏法の聴聞をして、仏道と縁を結ぶ事)のために参られた。富楼那尊者と申す者は、弁舌第一の仏弟子であられた。しかし、匿王の臣下の子であった。教法に深く心を寄せて、匿王のいる方に目を向ける事が無く、匿王は、お怒りになって申された。

「そうして、尊者は、自ら仏前にいるにもかかわらず、終に私を見ることなく奇怪である。次に、参った時は、怒っている様子を見るが良い」と言われた。この度、高位のある家臣を伴って、恨みの気持ちを含んで参られて、富楼那尊者は、路中にて行逢った。匿王は、

「いかに尊者、何処へ行かれるのか」と言われると、尊者はそれを聞いて、事の他、謹み敬って、

「先日の仏の御説法の時に、君が参られましたが、聞法歓喜の砌(みぎり)、身を忘れて、他の事は知る事が出来なかったために、その礼を行う事が出来ませんでした。匿王は、未だ仏の教えと世俗の教えで、俗世に教えを残し、是非の差別に囚われなされておられます。それは又、道理にかなってないわけではございません。御憤りは、そのままにして置けません。王宮よりの御企み、既に知られて、急ぎ参りました。真に真如の理をお話ししましょう。真如(一切存在の真実の姿。事物の本来の在り方)心を統一して、静かに対象を観察した時、ただ一つで、他には類のない事の無二亦無三(むにやくむさん:無二無三。唯一無二)と説かれております。すると、自も無く他も無く、一切の存在はその本質上、平等で差別がない事です。何者であっても、邪とも正とも隔てません。万法(まんぽう:精神的なすべての存在)は、返す所は一如(万物の備わる永久不変の真理)にて同体であり、阿の字はすべての文字の始めである事を見て、これに『本』の義・『不詳』の儀が有るとし、阿の字は、一切が不生不滅、すなわち空であるという心理を表し、『阿字本不生』は此処から表しております」と示されれば、匿王、さらに邪に入られて、

「自らの言葉は、無駄であり、武礼に等しい物である」と言い、いよいよ怒りを高めて、尊者の理は受け給はず。これはひとえに、驕り高ぶり怒り恨む外道(仏教以外の宗教を信奉する者)と、あさましく思われた。

 

 その時、富楼那は、

「『形や声によって私(仏)を求める者は、よこしまな道を修める者であって、この様な人はまさに邪道を行い、如来に出会う事は出来きない』と説かれました。色にふけると、言葉に尋ねるには、縄も無いのに、自ら我が身を縛り、迷者は迷いに、悟る者は悟りに囚われて、自由になる事が出来ない無縄自爆と、光がかんかんと輝いているのが見えます」と言うと、匿王は、なお承って、

「その縄は誰が出したのだ」と言うと、さらに富楼那は、

「自分自身の心に立ち返って尋ねてみても、求めている真理は外側の世界には存在しません」と申された時に、匿王は、一つの道理を見つけて、恭敬礼拝(くぎょうらいはい:心から謹み敬って、神仏を拝む事)して、仏道修行の結果として得られる成仏と言う結果を受けられる。則ち、尊者の教えを受けた者が、霊山への参詣を通じて、終に仏果(悟り)に成就できる。匿王は、

「実に本文に、『私の志を忘れ、真の恭敬によって、波斯匿王も、衆生を教え導く方便の強化による』。返す返す私なし」と示されてこそであった。

十郎祐成と五郎時致は立向き合い、

「それで、梶原と言う曲者(くせもの)の屋形の前は、いかがすべき。我等を知っている者である。しかしながら、帰るべき道にも非ず。浮沈、ここに窮まれり(行き詰まる)。運に任せよ」と言って通るが、案の定、辻を固める警固の兵が数十人、長具足(槍、薙刀、大太刀、さし股などの長柄の武器)を並べ、真に厳しく見えた。しかたなく、

「南無二所権現、助けたまえ」と念じて、知らぬようにして通り抜けた。それは、神慮の恩助けで、咎める者も無かく、

「すはや、よきぞ(急な出来事に驚いた時などに発する語。「さあ、いそげ」)」と囁いて、足早にて通り過ぎた。

 

 

祐経、屋形を替えし事

 すでに祐経の屋形が近くなり、

「ここだ」と言えば、頷き、既に屋形へ入ろうとした。その時、十郎は弟の袖を引き、

「我々は、敵に討ち合うならば、刹那の隙もないだろう。今こそ最後の間際だ。心静かに念仏を」と言うと、

「そうですね」と五郎が言うと、兄弟二人は、西に向かって手を合わせて、

「臨命終の仏(念仏業者の死にいどんで現れるという阿弥陀仏や諸菩薩)が立ち、親のために功徳を廻らせ給へ。安楽世界に向かへ給へ」と祈念して、屋形の中へ入った。しかしながら祐経は、王藤内が、兄弟を侮ってはならないと忠告したため、思わぬところに屋形を替えており、ただ空しく土器(かわらけ:土器の盃)が踏み散らかされており、敵はいなかった。これはどういうことかと、松明を振り上げて見れば、屋形も同じ屋形で、座敷も宵の所であった。人は多く寝ていたが、昼の狩場の疲れで、酒に酔って寝ているので、誰も二人に気づく者はいなかった。兄弟二人は漠然として、屋形を立ち出て、天に仰ぎ、地に伏し、悲しんでいる事が理であった。

「敵に縁なき者を訪ねて、我等には勿体ない事だ。今宵はどんな事があっても、敵を討つという思いに、取り逃して悔しい。このようになると知るならば、曽我へ人は返すべきではなかった。ただでさえ、世間に披露できなかった事が哀しい。自害して死のう」と言って、出て行った。      ―続く―