鎌倉散策 鎌倉歳時記 鎌倉三十三観 御朱印巡礼(十)第九番浄明寺 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第九番浄明寺(じょうみょうじ)聖観世音菩薩

 鎌倉五山第五位に列する禅寺であるが、建長寺や円覚寺のような重厚な面影はなく、明るい境内を持つ寺院である。かつては多くの塔頭がある巨刹であった浄妙寺であり、本堂の大きな銅葺き屋根は、その面影をしのばせている。開山は退耕行勇、開基は足利義兼(よしかね:北条正子の妹の夫)で、創建は文治四年(1188)。当初密教系の寺院で極楽寺と称したが、正喜元年(1257)に蘭渓道隆の弟子月峯了然が従事してから禅寺に改められた。寺名も浄明寺に改名される。中興開基は足利貞氏であり、室町時代は七堂伽藍を供える二十三塔の塔頭が存在したが、度重なる火災などで寺院は衰退した。本尊は釈迦如来像で本堂に安置されている。本堂裏手の墓地には足利貞氏の墓と伝わる「明徳三年(1392)」銘の宝篋印塔がある。

宗派:臨済宗建長寺派。山号寺号:稲荷山浄妙寺。創建文治四年(1188)。開山:退耕行勇。

開基:足利義兼。 本尊:釈迦如来。 寺宝:本尊釈迦如来坐像(南北朝時代作)。木造退耕行勇座像(国重文・非公開)。絵画、紙本淡彩地蔵菩薩像・足利尊氏自画像(市文)、阿弥陀如来立像、三峰荒神立像室町時代作。

 浄明寺の観音様について調べてみたが、聖観世音菩薩という事だけで、その云われ等を記した物を見つける事が出来なかった。

 

 

 藤原鎌足が鹿島神宮(茨木県)の参詣の途中、相模国由比の里で夢に現れた老師に鎌槍を受けられ、「この地に埋めれば天下が良く治まる」と告げられたとされる。鎌足は白狐に案内され浄妙寺の裏山に埋め、堂を建てたと伝えられる。これが鎌倉の地名となったとも言われる。境内には茶室・喜泉庵と言う茶室があり、甘党・辛党の私にとって円覚寺の如意庵とともに大好きな茶寮である。なぜかと言うと、抹茶に付く錬り切りの和菓子を出していただける。お値段は、少々高いが、せっかく味わうなら季節に合わせた錬り切りの和菓子をいただきたいものだ。ほとんどの寺院の茶寮は和三盆か落雁の干菓子である。今回は小町の美鈴さんの錬り切りの柿をいただいた。本当の柿のように作られた錬り切りの和菓子の美しさと、季節感を感じ、枯山水を眺めながら頂いた。また山腹に洋館があり、石窯ガーデンテラスと言う名でイタリア料理をいただける。鎌倉の腰越漁港や小坪漁港で仕入れられる魚介類、そして農協で仕入れられる野菜は新鮮で美味しい。また本格的な石窯で、薪で焼き上げられるパンも人気である。以前家族と共に伺ったが、乳児から幼児まで連れる家族ずれが多く、落ち着かない雰囲気で食事をした。ここに入るのは浄妙寺の拝観料が必要である。

 

 

(本堂裏の足利貞氏墓)

 今日は、参拝の人も少なく、三十三観音巡礼のご朱印を頂きに来たので、山門横の受付で拝観料を支払い、本殿に行き、手を合わせたが、周りに御朱印の受付はなく、再び門横の受付に戻ると、ご朱印の受付の張り紙があった。来た時は見えていなかったのである。参拝者も増えてきており、二十分ぐらいかかりますと言われたので、御朱印帖を預け、石窯ガーデンテラス上の足利直義の墓を訪ねた。もう何度か来ており、木々の隙間から木漏れ日が差し、山裾の岩場に切り開かれた大きなやぐらに、足利直義の墓や寺院の関係する僧侶の墓が並んでいる。私自身、静寂な此処の空間でいつも何かを感じるのである。手を合わせてその場を後にした。受付に戻り、ご朱印を頂いた。続いて報国寺に向かう。時間があれば、この浄明寺の横に鎌足神社が存在し、時間があれば、参拝されてはと思う。鎌倉と藤原鎌足の由来を考えてみるのも面白い。       ―続く―

 

(足利直義墓)

 

(茶室・喜泉庵)

(足利直義墓)