祐経討ちし事
この様に、兄弟二人は敵を討ち漏らした。天を仰ぎ、呆れて立っていると、秩父殿(畠山重忠)の郎等本田次郎親経が甲冑の付属具の小具足を着けて、夜回りの番を行い、庭にて、
「今宵もまだまだ明けないな」と、小声にて話す声が聴こえた。彼らは、これは間違いなく伊豆・駿河の盗賊の奴等だろう。打ち止めて、高名を上げようと思い、太刀の鍔元(つばもと)を二三寸緩めて、足早に歩み寄ったが、意に反して思い止め、きっと、曽我の二人の兄弟が、日頃の仇討の本意を遂げようとして、夜昼に工藤祐経をつけ狙っていたが、その彼らではないかと、障子の隙間より、潜んで見ると、案の定そうであった。兄弟は仇の替えた屋形を知らずに、呆れてただそこに佇んでいた。労しく思い、左衛門尉が替えた屋形の妻戸を、密かに押し開き、何とも物も言わずに、扇を出して招いた。五郎は、この様子を見て、本田が我らを招くのは、左衛門尉の寝所を示されたと思い、松明を脇に引き寄せて、広縁にさっと上がった。
「何事ですか、本田殿」と聞けば、本田は小声で、
「真夜中に名字を呼ぶのは無意味な事である。波に揺らるる沖つ舟、しるべの山はこなたぞ(困惑している兄弟の心情を捉え、目指す敵の居所はこちらだ)」と言い捨てて隠れた。
「そことも知らぬ闇の波、風を頼りの湊入り、心あるよ(何処とも分からない夜の波の上で、それとなく知らせてくれる風を、頼りにして目指す湊へ入る事が出来たのは、深い親切心があればこそです)」と戯れて言葉を返すと、屋形の中に入った。兄弟二人は共に立ち揃い、松明を振り上げて、よく見れば、本田の教えに違わず、敵はここで寝ていた。二人が目と目を合わせて、辺りを見るが、他の人はいなかった。左衛門尉は、手越の少将と寝ていた。王藤内は畳を少し引き放し、亀鶴と共に寝ていた。
十郎は仇を見つけて、弟に言うには、
「お前は王藤内を斬れ。祐経は祐成に任せよ」と言う。時致はそれを聞いて、
「愚かな言葉である。私達は幼少の頃から仏神に祈った事は、王藤内を打つためか。この者は逃げれば逃すべし。たてつく様なら斬るが良い。祐経こそ、千太刀も、百太刀も、心のままに斬るのが当然だ。早く斬り給え。斬れ」と言って勇みかかって立った。果報めでたき祐経も、人の逢瀬を惑わす酒に酔えば、討ち手の入るのも知らずに、前後も知らずに眠っている。二人の遊女たちを絹に押し巻き、
「己、声を出すな」と言って、畳より押し出し、松明を傍に差し置き、十郎は枕の方に廻ると、五郎は後に続いた。二人の遊女共は初めより知っていたが、あまりの恐ろしさに、音も出す事が出来なかった。兄弟二人は、祐経を前にして、各々が目を合わせ、頷き喜ぶ姿は哀れに思えた。
三千年に一度、花咲き実なる西王母の園の桃を、優曇華(うどんげ:は)よりも珍しい。優曇華をば、拝みて手折ると言う。それに例える敵で、拝んで斬ってやろうと喜びながら、二人の太刀を左衛門尉にあてては引き、引いては当てて、七八度斬り当てた。少し経って、時致は、この年月の思いは、ただ一太刀にと思う様相が現れていた。十郎はこれを見て、
「待て、しばし。寝入った者を斬るのは、死人を斬ると事と同じ。起こしてみる」と言って、太刀の切っ先を、祐経の胸元に差し当てて、
「如何に左衛門殿、昼見参に入った曽我の者共が参った。我等程に仇を持ちながら、どうして打ち解けようとしたのだ。起きよ、左衛門殿」と起こされて、祐経も立派なもので、
「心得た、何程の事もあるべき」と言い終わらないまま、起きると共に、枕元に立てていた太刀を取ろうとした所、
「殊勝なる敵の振る舞いだ。起こしても立てず」と言う間に、左の肩より、右手の脇の下、そして床板までも通して斬りつけた。そして五郎も、
「得たりや。ああ」」と大声を出して、太刀を腰の上手を差し上げて、畳・板敷きを斬り通し、床板の横木を支える渡し木まで討ち入れた。さすがである、源氏重代の友切りの太刀、何物をも堪える。刀に触れると全てを断ち切り続ける。
「我幼少より願っていた事は、正しく、これである。迷いの心から起こる執念を払え、時致。忘れろ、五郎」と言って、気の済むまで、三太刀を続けて斬っていた。無慙な有様を呈した。
※優曇華(うどんげ)は、タワ科のイチジク族の一種で、華は小型で壺上の花托に包まれ、外からは見えない。仏教では、花が人の目に触れないため、咲いた時を瑞兆と見て、経典には三千年に一度、咲くと伝えられる。極めて稀な例えとして使われる。
王藤内を討ちし事
こうして、横に寝ていた王藤内は、寝ぼけて、
「しようのない者共の夜中の戯れか。過ち給うな。人違いをするな。お前たちを知っている。後悔されるぞ」と言いながら、刀を取らずに尻を高くして這って逃げ出した。十郎は追いかけて
「昼の言葉に似ざる者かな。何処まで逃げるのだ。逃さないぞ」と言って、左の肩より右の乳の下にかけて、二つに切って押しのけた。五郎も走り寄り、左右の股の上の方を二つに斬って押しのけた。四十余りの男であったが、あっという間に祐成によって、上半身を二つにされ、時致によって脚二本を断ち切られ、身体が四つに分かれて亡くなった。逃がすつもりであったものの、身体を低くして逃げずに、言わなくとも良い言葉を言って、身体が四つになった事は無慙であった。五郎は、王藤内の果てるのを見て、一首、とりあえず詠んだ。
「馬は吠え、牛はいななく逆様に四十の男四つになりけり(馬はいななかずに吠え、牛は吠えずにいななくようなさかさまの世の中で、四十の男がたちまち四つになった)」
十郎は、それを聞いて
「見事にやり遂げた。生涯、歌を詠んでも、これほどの歌を詠む事は無いだろう。優れた歌においては、時致は歌集に撰ばれるであろう。それでは、かねてから願っていた本意を遂げる事が無かった。今は憚る事は無い」と声高らかに言い放ち、どっと笑って出て行った。
※「馬は吠え、牛はいななく逆様に四十の男四つになりけり」は動物・畜生を表す「四つ足」の連想で、死者に対してことさらに侮辱的表現である。さらにそれを笑い飛ばす兄弟のやり取りには何か別の意図を読み取るべきかもしれない。 ―続く―






