鎌倉散策 鎌倉歳時記『曽我物語』六十五、生滅婆羅門の事 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

生滅婆羅門の事(しょうめつばらもん) 

 勘当を許されない五郎時致は、「普門経」を母が御存知なのかを聞き、母は、「どの様な観音経の誓にも、(親に背く)掟を背く者を許せとは説かれておりません」と申された。五郎は、すぐさま、

「恐れながら、話は長くなりますが、お聞き下さい。昔、天塾に、生滅(しょうめつ)婆羅門と言う者が居ました。生き物を千日に千を殺して、悪王に生まれ変わるという願いを起こし、既に九百九十九日の間、九百九十九もの命を殺し、今、千日に至る日に、西山に登って見渡しても生き物はいませんでした。曲江(きょくこう)に下り、船に乗って海原に出でみると、比翼の亀を一つ捕らえて殺そうとしました。母はこれを悲しみ、渚に出て見れば、波風が高く、空は暗雲が立ちはだかり、雷電が激しく、その中で婆羅門が亀を殺そうとしていたのです。母はこれを見て婆羅門に、

『その亀を放せ、お前の父の命日である』と言い放ち、婆羅門はそれを聞いて、

『忌日(祥月命日)ならば、婆羅門の以外の僧侶にて供養させよう』と言い、抑えて殺そうとする。亀は涙を流し、

『私は八十年後に、可不堕羅地獄に落ちる事無く、仏の大慈大悲により、必生安楽国の極楽浄土に生まれるはずであった』と泣いた。母はこれを聞き、

『お前は、その亀の言葉を知っているのか』と問うと、婆羅門は、

『知らない』と答えた。

『亀は罪深い物なれば、極めて長い時間の罪障を経て、成仏するため、ここで剣の先にかかったならば、また多却の間を経て地獄に落ちる事を悲しんでいるのです。願わくは、その亀を放し、この私を殺しなさい』と申した。婆羅門は、

『本当に亀の命と代ろうと言うのか』と、言い終わらずして、亀を海に投げ捨てて、剱の先を抜いて母に向かおうとした時、天地地神も婆羅門を見捨てた。大地が裂けて割れ、婆羅門は奈落(地獄)に落ちて行った。母は自らを殺そうとした我が子の命を悲しみ、とっさに走り寄って婆羅門の髻を掴むが。たちまち頭髪が抜けて母の手に残り、婆羅門の身は無間地獄に落ちて行った。けれども、亀を放った功力により、仏果を得て、『法華経』の普門品に、婆羅門身と説かれました。このような子であっても、親は憐みを抱く者でございます』」と申しました。

 

 母はこれを聞いて、

「おい、其方、それも母の言う事を聞いて、亀を放ってこそ、成仏したのだ。お前は何としても私の教えを聞かないのだ」と申した。五郎時致は、話を続ける。

「悪き子を思う事こそ、真の親の御慈悲ではないでしょうか。また、母の憐みの深さは、事長くあれども、ある国の王は、一人の太子もいない事を嘆き、天に祈り、思いが神仏に通じて、后が懐妊されました。国王の喜びはただならず、しかし、三年迄生まれませんでした。公卿等一同で相談して、陰陽道を広く通じた学識者を召して尋ねた。学識者は諸事を考え、調べて上伸するには、

『懐妊した御子御位については、四天下を統一して正法を持って世脩転輪聖王でございます。ただし、御産は無事ではございません』と申すと、后がこれを聞かれ、

『賢聖の太子を、つつがなく生まれるのを待つべきです。自らの腹を裂いて、皇子を無事に取り出してほしい』と、言われた。しかし、大王は、大いにお嘆きになって許されず、后は、

『そうであるならば、自から食事を断ち、餓死いたしましょう』と言って、食事を絶たれると、力なく、大臣に仰せられて、御腹を裂かれた。その途中に后が仰せられるには、

『太子の誕生如は如何に』と尋ねられた。

『御つつがなく』と申せば、喜ばれた顔を見せられ、微笑みながら御年十九歳にて、儚(はかな)く亡くなられた。

 

 さて、この太子は、御位に就かれたが、御母の志を悲しみ、母の死後の冥福を弔うために、三年胎内にいて苦しめた日の千日において、御堂の長さ千間の建物を建てられた。今の慈恩寺がこれである。日本には、西の寺(西大寺)が、この御寺を模倣された寺である。それゆえ、后が成仏される時に、金堂の蓮台を傾け、死ぬ時に仏・菩薩が枕元に迎えに来られた。その紫雲の色になぞらえて、藤を多く植えられた。そうして、唐の慈恩寺が藤の名所として知られています(『白氏文書』十三・三月三十日慈恩寺題などでしられている)。母親の慈悲は、この様な事でしょう」。母はそれを聞いて、

「年老いた私の教訓が、うるさいので腹を裂いて死ねと言うのか。お前も母と見ず、私も子とは思わないぞ」と言って、障子を荒々しく閉ざされた。時致は思うに、此度お許しいただけなかった事は、未来永劫に渡って長い時間を経ても叶わない事と、五郎時至は、投げやりな態度を取る。

 ―続く―