ふん女の事(二)
城中(ふん女の居館)は、静まりかえり、音もしなかった。しかし警護は厳しく、容易に入れない様子である。外道共及び五百の兵は、しばらくの間、そこに留まった。このふん女と申す者は、同じ福者と言いながら、三宝を崇め、仁義を乱さない賢人であり、そうした事で、諸天もふん女を捨てる事は無く、諸天各々が、ふん女を擁護なされた。以前に如何あったかは知らないが、命知らずの外道共は、喚(おめ)きを叫んで乱れ入る。その時に、悪魔を降伏させる東方の持国天、正法の広目天、南方の増長天、北方の多目天の四天、そして一切の天竜・鬼神・星宿・冥官を統べて世を護る十二の神が、仮の姿を変わり、ここに現れ、四角四方の周り一面を護られる。四天は、もとより甲冑を鎧、弓箭を帯する勇士なれば、わき目もふらずに支えられた。火天は、猛火を放ち、風天は風を吹かせ、各々が城を守られる。中にも、水天は、弓矢を守ろうと誓えば、数多くの眷属を引連れて、妙観察智(存在の相を正しくとらえ、仏教の実践を支える智。そして諸善の武具を喩える)の旗を差して特に進み出られた。
(丹波篠山城)
その日の御装束は、「久遠正覚(くおんあしょうかく:久遠あるいは九品の昔に真実の悟りを成就して仏となった事)」の直垂に、「相好荘厳(そうがくしゃごん:仏の顔形が貴く厳かな様)」を擁した籠手を差し、「上求菩提(じょうぐぼだい:菩薩が上に向かって自らのために菩提を求める事)」の小具足に、「下化衆生(げげしゅうぞう:菩薩が利他の行として、生を受けたものすべてを教化し救済する事)」の脛当て、「二求両眼あるいは四弘請願(にぐりょうがん・しくりょうがん:衆生の二種の欲求の楽と長寿を求める事)」の綱貫履き、「大悲大受苦(だいひだいじゅく:他の人に変って苦しみを引き受ける菩薩の衆生に対する慈しみ)」の頬当てをして、「無数方便(むしゅうほうべん:仏が人の晋の教えに導くための数えきれない手段)」の赤色の鎧を覆い、「紫摩黄金(しまおうごん:紫色を帯びた純粋の黄金)」の裾金物(鎧の袖や草摺りの菱縫いの板に飾りとして打ち付けた金物)が打たれていた。「万徳円満(まんとくえんまん:あらゆる徳を完全に備えた)」の月を、兜の正面に打ち付け、「畢竟空寂(ひつきょうくうじゃく:つまるところすべては実体のないのだという事)」の四方白の兜(四方に銀を張った兜)を少し後ろにずらし、あみだに被り敵の矢も刀も恐れない、勇ましい被りかたで、「五却思惟(ごこうしゅい:阿弥陀如来が一切の衆生を済度するための願いを起こし、五却の間〔極めて長い時間〕思惟したことを言う)」の外装をいかめしく造られた太刀を腰に佩(は)き、「首楞厳定(しょろうごんじょう:悪魔を調伏する勇猛で堅固なさま)」の刀を差し、「火生三昧(かしょうざんまい:不動明王が身から出す火炎で、一切の悪魔、煩悩が焼き尽くすもの)」の槻(つき)の木で作られた弓に、「実相般若(じっそうはんにゃ:真実のさまを見抜く智慧)」の弦をかけ、智徳無量(ちとくむりょう:知恵と道徳が計り知れない様)」の矢数を差し、「随類化現(ずいるきけげん:仏菩薩が、衆生の素質、能力に応じて身を現わし、強化する事)」を羽に交え、矢筈(やはず:矢を入れる箱)を高く肩越しに見えるような様で背負う。もとより手慣れし大蛇が、後ろより這いかかり、左右の肩に手を置き、兜の上に首を持たせかけて、両眼の光(ひかり)明らかにして、時々、稲妻が四方に散り、紫の舌の色が鮮やかで、時々火炎を吹き出す勢いは、天にも届く。今の世に、兜の前立物に龍頭を打つ事は、この時からの始まりである。
(丹波篠山城)
四天・十二神は、各々が床几に腰を掛け、申されるのは、
「阿修羅王が戦いに強くとも、仏力には叶わず、ましてや言わん、彼らが勇み、物の数に数ならず。蟻の猛りと思える。城中静まれ」と下知される。
ここに、城の内より武者一人が進み出て、申すには、
「ただ今寄せてくる兵は、何処の国の如何なる者か。また如何なる宿意(兼ねてからの望み)があって来たのだ。詳しく名乗れ」と言うと、五百人の兵は、これを聞いて、
「我等には親も成く、氏・系図も無い。生まれた所を知らないため、どうして何処の誰と名乗れるか。さらに宿意はない。朝夕思う事には、宝が欲しいばかりだ。急いで蔵を開き、財宝を与えよ。我等が思う様に取って帰る」と言う。四天・十二神は、
「心得ぬ言葉だな。人により、分に従い、氏も名字もある者だ、猛悪になったのは不思議である。詳しく申せ」と問うと、
「問うて、どうするのだ。しかしながら、この川上より流れきたる五百人の卵(かいこ)の流人である。その云われを知る人もいない。ただ急いで宝を取って帰るだけだ」と申した。
流れ来たという事を聞いて、ふん女がそれをつくづくと聞いて怪しく思い、櫓(やぐら)の下に歩み出て、
「五百人の殿ばらよ、近くに寄りなさい。訪ねる事があります」と言うと、一人が塀の際に寄った。ふん女は、
「そもそも、『流れ着たる』と仰せられる言葉について申すぞ。姿は何にて流れたのですか」と尋ねた。
「宝を出さないので無理だ」と、その男は言いながら、
「我らが昔、如何なる者かが我等を産んだ。五百の卵(かいこ)にて、水上より流れて来たところ、取り上げて育てられたが、この様になった」と言う。さればこそと思い、ふん女は続けて問うた。
「その卵は何に入っていたのですか」、その男は、「玉の手箱に入り、上には銘を書かれてあった」と言うと再びふん女は、
「銘は何と書いてあったのです」と問う。
「『坊城楼(ぼうじょうろう)』と書かれてあった」と、
「それは疑う所なし。これは、そなたの裏付けとなる証拠であります。こなたの証拠には、『もしこの蚕の卵がつつがなく成長したならば、尋ねてきなさい。ふん女』と書いて、判を押し、箱の底に入れたのだが」、
「きわめて短い時間でも肌身離さずに、首に懸けて持っている」と言って、男は懐より取り出した。
「さても疑う所なし。汝らは自らの子供です」と言って、門戸を開いて出て行けば、雄花の花の如く支える鉾・剱を持捨てた。母も子供も懐かしさに、剱の刃も忘れて、彼らの中へ走って入り、見渡せば、兵も兜を脱ぎ、弓矢を横たえ、各々台地に跪いた。いつしか母は、懐かしく、思いの涙で袖を絞れば、なみたる兵の中を、あちらこちらに行き廻り、「彼もかこれもか」と言う。情けの袖も芳ばしく、憐れみ憐れむ装いは、見るに涙も大いに流れた。実に、愛情に引かれる親子の間柄ほど悲しい事は無い。真に、夜叉・羅刹を従えて、勇猛な武士も、母一人の言葉に、皆々がなびくことは哀れである。こうして、城中に誘い入れて、親子睦まじく、懇ろになった。
(神奈川県 江の島)
※四天・十二天は、須弥山の中腹にある四天王の主で、東方の持国天、正法の広目天、南方の増長天、北方の多目天の四天または毘沙門天のそれぞれを主宰する王の総称である。八部衆を支配して帝釈天に仕え、仏法と仏法に帰依する人々を守護する。十二天は、一切の天竜・鬼神・星宿・冥官を統べて世を守る十二の神で、八方天と上下の天と日月とからなる。東に帝釈天、東南に火天、南に閻魔天、西南に羅殺天、西に水天、西北に風天、北に多聞天(毘沙門店)東北に大自天、上に梵天、したに地天及び日天、月天の総称である。
弁財天の件
このふん女と申す人は、後には、大弁財天として現れたとか。五百人の人々は、五百童子となり、その一人は、印鑰(いんやく:印判と鍵)を預かりし神として現れた。坊城楼(ぼうじょうろう)の箱をも、その五百人の子の中に持たせた。一切衆生の願いをことごとく満ちて、安楽世界、極楽浄土に迎えんと誓われる。このように猛々しい弓取りも、母には従う習いなのである。
※大弁財天とは主に奈良の天河大弁財天社に祀られている水の神・芸能の神で、日本三大弁財天の厳島神社、江島神社と並び、滋賀県の琵琶湖の竹生島の宝厳寺も「大弁財天」と呼ばれ、もっとも古くから信仰されており、このニ社が特に有名である。また宮城県の金華山黄金神社を加えた五社を「日本五大弁財天」と呼ばれることもある。弁財天は元々インドの水の女神「サラスバァティー」聖川の神の名で、仏教に取り入れられて舌・財・福・知惠・延寿・などを与えて、災厄を除き戦勝を得させるという。後に吉祥天党と混同され福徳神としての性格も生じた。この弁財天の件で記載される五百童子は、弁財天の眷属「十五童子」に付会したものと考える。それら十五童子には、それぞれ役割があり、「印鑰童子」も存在する。 ―続く―







