鎌倉散策 鎌倉歳時記 令和五年三月の鎌倉の行事 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 今年もあっという間に二月を終え、三月に入る。暖冬のため二月に入るとすぐに梅が咲き出し、桃も蕾が出てきつつある。この調子で行けば、四月初旬に鎌倉を彩る桜や海棠の花は、三月末に咲きそうだ。海棠は、中国では「楊貴妃桜」とも「睡れる花」とも呼ばれ、美人の代名詞になった。桜よりも濃いピンクの色をした花弁が、枝に落ちこぼれるように咲く。鎌倉の妙本寺、海蔵寺、光則寺が有名である。

 

 二十四節気では、三月一日に雨水の末候の草木萌え動く(そうもくもえうごく)には入り、主に草木の息吹が感じ取れるようになる。そして、六日から啓蟄入り初候、蟄虫戸を啓く(すごもりのむしとをひらく)。次候は桃始めて笑う(ももはじめてわらう)。末候は菜虫蝶と化す(なむしちょうとかす)で陽気に誘われて土の中から虫が動き出す。一雨ごとに春が訪れるが、その雨は冷たい雨になる事が多い。桃の節句が三月三日であるが旧暦においては三月下旬から四月上旬である。時間を造り鎌倉の桃の咲く寺社もめぐってみたい。安国論時の枝垂れ桃、龍寶寺の桃が有名だ。そして三月二十一日、春分がやって来る。太陽が真東から登り、真西に沈む。昼と夜とが同じ長さになるこの日は、二十四節気の大きな筋目の一つである。春分の初候は雀始めて巣くう(すずめはじめてすくう)。次候は桜始めて開く(さくらはじめてひらく)である。この頃は、お彼岸の時期にあたり、暑さ寒さも彼岸までと言うように、春を感じさせてくれる。雲雀が鳴き、タンポポが咲き始め、三月末の次候の時に桜が咲き始める。

植物や動物が活動しだす良い季節であるが、ひどいアレルギー性鼻炎の私にとっては杉、ヒノキ、カモガヤそして黄砂と毎月違う抗原に脅かされる。毎年三月に入ると突然、クシャミ、鼻水、鼻閉、目の痒みが襲いう。今年の花粉は多く二月中旬から飛散しているという。私自身も五月末まで続くためにもう既に服薬している。

 

 花が咲き始める中、鎌倉の行事は行われる。寺院が多いため、春の彼岸の月である三月(三月二十日から二十六日まで)は一年で行事が一番少ない。

・三月三日、鎌倉宮で「南方祭」が開催。鎌倉宮には「南方社」と「村上社」の二つの境内者がある。「南方社」は護良親王と共に鎌倉に下り親王に仕えた藤原保藤の娘・南の方を祀っている。神楽浦安の舞が披露される

・三月十三日、鎌倉宮での「建武の中興祈年祭」十時開催。詳細は鎌倉宮にて。TEL0467-22-0318

・三月十八日、鶴岡八幡宮にて「宇佐神宮遙拝式」が行われる。全国に約四万社余りある八幡社の総本社である、大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮で例祭が行われる日であり、鶴岡八幡宮でも例祭日を寿いで「宇佐神宮遙拝所」にて神職により遙拝が行われます。一般は参加不可で、境内にて遙拝に向かわれる神職を窺う事が出来る。

 
・三月二十日鎌倉宮にて「春季皇霊祭」が行われる。好例際は春分の日と秋分の日に斎行される。本来お彼岸の日であり、先祖を祀る日であった。お彼岸に最も近い戌の日に社日として氏子が氏神たる社殿に参詣し、春は五穀豊穣を祈り、秋は実りある収穫に感謝する例祭である。

・三月二十四日、鶴岡八幡宮で献詠披講式が御前十時より舞殿にて開催。神前に和歌を献詠する古式ゆかしい神事である。披講とは詩歌に曲節をつけて詠み上げることで、本来、和歌は披講することを前提とし、披講の諸役には読師・講師・発声 各一名、講頌 四名があり、読師は司会役、講師は全句を、節をつけずに歌を詠み上げた後、発声の先導によって講頌が唱和する。披講は平安時代より宮中に伝わってきた古式ゆかしい行事ですが、鎌倉時代の鎌倉においても源頼朝公が花見の宴を催した際に、管弦詩歌の儀を行ったという記述が『吾妻鏡』に見られ、また源実朝公に至っては歌集『金槐和歌集』を遺すほど和歌に精通し、文人将軍として知られています。

 

 この様に三月の鎌倉の大きな行事は少ないが、浄智寺、来迎寺(西御門)、英勝寺、安国論寺、光則寺の桃が美しいと聞く。中旬以降には来迎寺(材木座)ミモザ、海蔵寺の三椏(みつまた)、光照寺の雪柳と連翹(れんぎょう)、鶴岡八幡宮の馬酔木(あせび)、九品寺の木瓜(木瓜)、宝戒寺の白木蓮と杏子、貞宗寺の白木蓮と諸喝采、龍寶寺の木五倍子(きぶし)が咲くのを見ることが出来、晴れた日の早朝の寺院を訪ねるのが鎌倉散策の醍醐味だと私は思う。