鎌倉散策 吉屋信子記念館 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 

 鎌倉もようやく土日の秋空の日差しが差す良い天気に恵まれた。木曜日に市中に飲みに行く時、鎌倉駅の西口に向かう高架下を通り御成通りに行く。その高架下の側壁に鎌倉の催しや展示物が陳列される。通り過ぎ、ふと気が付くと吉屋信子記念館の公開日が記載されてあった。春と秋の時期のみ公開の為、急ぎ翌日、予約申し込みを入れ、土曜日十時から伺う事になった。

 

 吉屋信子は日本の少女小説の先駆けである。明治二十九年(1896)一月十二日、新潟県新潟市に生まれた。父が新潟県刑務所長を務め、厳格で男尊女卑的思考を持っていたといわれ、信子は内心反発感を抱いていたと言う。父が行政職に移り佐渡郡長佐渡市等を経て栃木県下都賀郡長を務めている。信子は栃木高等女学校(現栃木県立栃木女子高等学校)に入学。その際、新渡戸稲造の「良妻賢母となるよりも、まず一人の良い人間とならなければ困る。教育とはまず良き人間になるために学ぶことです。」という演説に感銘を受け、十代の時から少女雑誌に短歌、物語の投稿を繰り返し、「鳴らずんの太鼓」が一等に等選し高い評価を受けた。

 

 日光小学校の代用教員になるが、文学の道を求め卒業後上京、大正五年(1916)から『少女画報』に掲載した『花物語』で女学生から圧倒的支持を得る。その後、大阪朝日新聞の懸賞小説に当選し『地の果てまで』で小説家として文壇に登場する。大正デモクラシーの良き時代、彼女の出現は女性達にとって新鮮そのものであっただろう。以後家庭小説、少女小説の分野で活躍し、新渡戸稲造の影響と思われるキリスト教的な理想主義と清純な感傷性により女性読者を中心に人気を博した。そして徳田秋声らの知遇を得る。大正八年『屋根裏の處女』では、自らの同性愛体験をあかし、大正十二年(1923)一月、信子の公私を支える事になる門馬(もんま)千代と出会う。信子ニ十七歳の時であった。活動的な彼女は小説により、多額の印税が入り昭和三年(1928)ヨーロッパ二年の計画で旅立ち、一年近くフランスのパリに滞在後、そしてアメリカ経由で帰国している。神戸港から満州、ソ連、ドイツ、パリを経由しているため、ほぼ世界一周の旅である。

 

 その後、日中戦争が始まり『主婦の友』の特派員とし中国に派遣され従軍ルポライタージュを発表する。昭和十三年(1938)、内閣情報部の漢口攻略戦「ペン部隊」役員に選ばれ、太平洋戦争開戦直前には、特派員として蘭印(インドネシア)・仏印(ベトナム)を訪問、戦時中大東和文学者大会にも参加している。女性に絶大なる人気がある信子の記事が銃後の女性動員に少なからず影響を与えたと指摘され、戦後戦争協力者として批判される事もあった。昭和十四年鎌倉大仏近くに別荘を設け疎開をしている。戦後昭和二十五に年東京に転居するが東京の喧騒とした生活を嫌い、再び昭和三十七年、鎌倉長谷に吉屋信子記念館のこの地に新居を建て秘書の戸籍上養女の門野千代と晩年共に暮らした。この長谷の自然豊かで裏山の美しさに一度で気に入ったと言われる。私はこの門野千代女子について、もっと知りたかった。

 

 戦後、吉屋信子は『鬼火』『徳川の夫人たち』など女性史を題材とした歴史物、時代物でも活躍しベストセラー作家となり、昭和四十八年(1973)S状結腸癌で死去された。享年七十七歳。吉屋信子死去後、「自分の得た物は社会に還元し、住居は記念館のような形で残したいという遺志により」千代により邸宅を鎌倉市に寄贈され昭和四十九年、吉屋信子記念館として管理されている。六十年近く前の建築物であるが、今でもお洒落な佇まいである事に驚いた。

 

 昭和末期から再び少女小説ブームが起こり『海がきこえる(ジブリ作品として映画化)』の氷室冴子は信子の影響を受けたと語る。平成・令和と少女漫画やライトノベルに信子の影響が伏流していると考えられる。平成二十二年(2010)代以降に著作が復刊及び電子書籍化されるなど再評価されている。長谷の海岸通りを一つ北に入り閑静な住宅街の中、ひときわ目立つ敷地に吉屋信子の邸宅がある。朝、散歩に愛犬を連れた人がゆきすぎる。一階建ての邸の趣は解らないが、裏山が鮮やかな緑を彩り、紺碧の空がそれを包んでいる。この界隈は鎌倉文学館の洋風建築、長谷こども会館の洋風建築とそして川端康成邸があり、本当に清閑な鎌倉の昔を感じる良き地と思われる(wikipedia、及び吉屋信子記念館説明文引用)。

 

 春、秋に一般公開されており、入場は電話による予約制となっている。電話予約先は鎌倉市生涯学習センター電話番号0467-25-2030である。公開日は十月、十一月は毎週土日、十一月一日から三日の祝日となっている。入場時間は十時から十五時四十五分まで四十五分ごとの入れ替え入場となっている。