鎌倉散策 青梅聖天社(あおうめしょうてんしゃ) | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 今は行き止まりになり、通る事が出来ない鎌倉七口の一つ、巨福坂切通しの途中には青梅聖天社がある。南北朝期に造られた双身歓喜天(市指定文化財)が祀られている。歓喜天は仏教の守護神である天部の一つであり、像の頭に人の体をして立像で抱擁していることが多い。ヒンズー教のガネーシャという神に由来するとされ、非常に強い力を持つ神とされる。青梅聖天の歓喜天は人の頭、身体を造形している。日本の仏教寺院では歓喜天像は男神と女神が抱擁する形であるため秘仏として公開されることはあまりない。現在では鎌倉国宝館に寄託されている。神徳は諸願成就、邪悪除去、夫婦和合などがある。

 

 『新編鎌倉志』巻之三に「鎌倉の将軍一日疾劇シフシテ、時ナラズ青梅ヲ望マル、諸所ヲ尋ヌルニ、此宮ノ前ニテ俄ニ青梅ミノル、是を将軍ニ奉テ、終ニ疾癒ヌ」ことから青梅聖天社と名付けられたと言う。

 江ノ電八幡宮裏のバス停近くから、巨福坂を登って行く。しばらくすると梅の木が植えられた斜面の横に鳥居が有り階段を上ると社殿が有り、ここに歓喜天像と将軍地蔵が祀られている。また丸山稲荷と言われる社も置かれている。

 

 巨福坂は三代執権北条泰時が建長二年(1250)に整備されたと伝わり、要害としての役割を終えた江戸期には鎌倉もうでを行うふと太刀の交通経路になった。江戸末期の改修工事では多くの人の命が亡くなったとされ供養塔も建てられたと伝わる。青梅聖天社の下の道に供養塔および庚申塔が並べられている。

 

 歓喜天                                       丸山稲荷社

 青梅聖天社は足柄峠の「聖天堂」と同様に峠を往来する人の旅の安全を願い創建されたと考えられる。鎌倉で歓喜天は宝戒寺と青梅聖天社が有名であり、実物はまだ見た事が無い。