鎌倉散策 荏柄天神 針供養 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 二月一日に、帰阪し京都の北野天満宮に行き、梅を観る会(友人との個人的な行事)を行った。鎌倉に戻り、二月八日、鎌倉の荏柄天神で針供養の行事を参拝しに出かけた。荏柄天神は京都、北野天満宮と福岡、大宰府天満宮と日本三大天満宮と言われる、御祭神は菅原道真公である。詳しくは鎌倉散策の八月五日に荏柄天神を紹介させていただいている。

 京都、福岡において北野天満宮では針供養を聞いた事が無く、この行事を楽しみにしていた。関西で有名なのは和歌山県の淡島神社、祭神が少彦名命(大国主とともに国土を開発し、関西では薬の神様)で裁縫を伝えたことから全国各地から瓶詰めされた針が一年で五万本が届き、ご供養が行われ、針塚に納められる。京都では嵐山の十三参りで有名な虚空蔵法輪寺で年に十二月八日と二月八日に行われる。虚空蔵菩薩は技芸・芸能関係者に守護物と信仰されている。また、平安期の清和天皇が京都嵐山の法輪寺に針供養堂を建立したと伝えられている。大阪では北野天満宮では遣唐使の吉備真備が祀られ、唐から裁縫技術を伝えたとされ、道真公にあやかり裁縫も学び故、針供養が行われる。

 

 京都、大阪とも蒟蒻(こんにゃく)に針を刺し供養する。鎌倉の荏柄天神では、お豆腐に針を刺し供養され、荏柄天神では豆腐に針を刺す。古来、絹に針を刺す事を考えれば白い絹こし豆腐趣き深い。柔らかい物に針を刺すのかは明確な答えは無いが、絹織物などで刺繍、裁縫をする際に力を込めて縫う。曲がった針、折れてしまった針、一生懸命働いてくれた針に対し、柔らかに指し、針に安らぎを与え、感謝を込めるのだろう。また、針供養は同時に裁縫の向上も願われる。そして、こういった行事は、本当に日本独自の精霊信仰(アニミズム)と言える。

 

十二月八日と二月八日に行われるのは、「事八日(ことようか)」の事始め、事納めが行われる日に由来する。どちらが事始めで、どちらが事納めかは、その行事、神事によって変わる。事とは祭の事で事神様(ことがみさま)を祀るのが十二月八日と二月八日に祀られる。年神様(としがみさま)は事始め十二月八日で、事納めは二月八日であり、田の神様では二月八日が事始め、十二月八日が事納めになる。日本人の農耕の習慣が残っていた頃の旧歴は、新暦では一月後であるため、新暦の三月が事始めになる。温かくな、そろそろ農作業を始める事始めになるわけである。従って二月八日が一般的に事始めと言われる。針供養は事始めなのか、事納めなのかは分からない。

 

今年の針供養は十時半から十二時近くまで拝観させて頂き、三百名ほどの参列者、拝観者であった。甘酒を頂き、色々とお話を聞く事が出来、参考になった。本殿(市指定文化財)は鎌倉期の木材を使用し、鎌倉で最も古く、鎌倉建築様式をつたえる遺構である。また、階段を上がってきた境内右横に大きな銀杏の木がある。これは八幡宮にあった大銀杏と同年代の銀杏との事である。七月二十五日の例大祭に来るように、お声がけしていただいた。海の日の神輿渡御は盛大で、荏柄天神さんの神輿は京都で作られ、この神輿もかなり立派であるとの事である。十月の日曜日は絵筆塚祭が有り、プロの漫画家さんの絵行灯が飾られるとの事である。荏柄天神さんも年明けから行事が多く、針供養でひと段落つくとの事であった。

 

 温暖な冬でありながら、立春を過ぎ、際立った寒さが襲ったため、梅の開花も始まりつつある状態だった。梅は春の到来を告げつつ、春の余韻を感じさせ、花が開くたびに香りを感じさせてくれる。昔は桜に美しさを感じたが、最近はもう咲くか、何時満開か、何時散るのか、せわしなく、梅を好むようになった。ゆっくりと梅を観る自分に、鎌倉でのゆとりと、年を取った自分を感じる。