鎌倉散策 宝戒寺(ほうかいじ)聖徳太子講 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 鎌倉幕府が倒れ北条氏が滅亡し、北条氏の代々の屋敷も、その時に焼かれた。その三年後に後醍醐天皇が足利尊氏に命じ北条一族の霊を弔うために屋敷跡に天台宗の宝戒寺を建立させた寺院である。鎌倉では天台宗の寺院が杉本寺とこの宝戒寺のみである。平成三十一年の七月に鎌倉散策で宝戒寺について詳しく記載させていただいている。

 

 一月二十二日は宝戒寺にて聖徳太子講が行われた。鎌倉市建築組合、造園業、鳶職の方々が集まり、護摩供養が行われる。聖徳太子は奈良の法隆寺、大阪の四天王寺などを建立し、優れた工芸技術者の育成と保護をされた事から、今も職人の間で守護神として信仰されている。鶴岡八幡宮で行われる手斧始式は建築関係者により奉納される神事で、聖徳太子講は本来、大工、左官、鍛冶屋、屋根葺き、桶屋などの職人が信仰する仏事である。しかし時代と共に、鍛冶屋、屋根葺き、桶屋が少なくなり、今は建築業者の行事になっている。

 

 

 聖徳太子の祥月命日は二月二十二日で、大使を祀る寺院は二月二十二日に太子講が行われるが、宝戒寺では新年早々の一月二十二日の月命日に行われる。護摩供養が行われる前には少し通り雨の小雨が降ったが、護摩供養が行われる十三時には雨も止んだ。太子堂で護摩法要が行われ、護摩木を焚く炎が立ち上がっていた。読経の後、鳶職の方の木遣唱が奉納された。

 

 一般参加は可能であるが、主体は建築業者、造園業、鳶職の方々であるため厳粛に拝見させて頂いた。