大阪で育った私にとって、幼い時から粉物文化に浸ってきた。たこ焼き、お好み焼き、きつねうどん、餡掛けうどん、串カツと目がない。大阪人の家庭では一家に一台、たこ焼き機がある。それも二十四個用である。お好みは今やホットプレートがあり便利になったが、私が小中学生の頃四十センチほどの鉄板があり、ガスコンロに置きお好みを焼いたものだ。
諸説あるが、大阪の本来のお好み焼きは現在の広島焼の蕎麦無しの様な物で、現在の様に混ぜて山芋を入れ、ふんわりと焼くのは混ぜ焼きと言われた。お好み専門店で昭和四十年代くらいから作られだし、好まれ、お好み焼きが変遷していった。
東京の友達に言われるが、お好み焼きをおかずにして、ご飯は食べられないと言う。大阪ではこれに味噌汁と漬物が有れば十分な晩御飯になる。お好み焼きの具材が多く豊富なのだ、シーフードなるイカ、エビ、ホタテ、かき(冬場)、それと厚切りの豚である。これをミックス焼きと言う。非常にヘルシーである。これを食べた東京の友人は感激のあまり、ご飯と、みそ汁、漬物をすべて平らげた。
広島焼の様に、そばを入れる広島焼もあるが、大阪では、混ぜ焼きにそばを乗せ、モダン焼きと言われる。これも大変美味しい。しかし、量が多く、もう私は三分の二程度でお腹いっぱいになる。しかし、一人で生活すると無性にお好み焼きを食べたくなるが、どうも一人では店に行き辛い。勇気を出して、出かけた。
御成通りのお好み焼き津久井さんに行き、お好み焼きと鴨の鉄板焼きを食べた。鉄砲と店では言われ薄切りの鴨肉の両面を程よく軽く焼き、ポン酢で食べる。柔らかく、鴨特有の臭さはなく、美味しかった。混ぜ焼きのお好み焼き(津久井焼)が出来上がり、山芋が入っている為、ふんわりと台焼かれていた。七味を少し掛け、食べる。関西ではほとんどの店で、テコで食べるが、お皿に乗せ、お箸で食べた。これも美味しく、ビールも三杯おかわりした。
台湾から来られ、日本語が少しできる二人連れの二十台の方が来られ、私の隣の席に座った。私は少し酔ったせいかスマホで台湾映画の『KANO』のポスター写真を見せると、「私、観ました、あなた観たのですか」と尋ねられ、「すごくいい映画です」と答えた。台湾の人は感激してくれ、握手を何度も求められ、話は盛り上がった。第二次世界大戦前の旧制高等学校野球大会、今の甲子園だ。日本の各地方の代表校とその時の統治下であった台湾、韓国、満州も代表校を選出し大会に出場した。そこに万年弱体チームの嘉義農林学校野球部が甲子園を目指す話である。野球からある理由で離れ、台湾で生活する松山中学の選手、後監督として率いた近藤平太郎(永瀬正敏)が台湾にいた。監督に据え、漢人、満人、日本人の混成チームを作り1931年、一年で甲子園に出場し、準優勝と旋風を巻き起こした感動の名作である。この映画ではその当時東洋一と言われた嘉南大シュウと言う農水施設の水利工事を指揮した八田與一の話が含まれている。現在の日本と台湾の友好関係を鑑みられる映画である。日本映画と違い、本当に選手の野球が上手い。一度見られることをお薦めします。お好み焼きの話から映画の話になり支離滅裂ですが、台湾の方に最後には一緒に写真を撮ることを求められた。
私にとっては楽しい一日だった。その後、行きつけのバーに行きマスターと語った。