一週間遅れの盆帰りで、大阪は先週少し暑さが増しだったようだが、今週また暑さがぶり返したようだ。私も自分の部屋でクーラーが必要で、朝まで付けていた。翌朝、体がだるく感じ、体調がおかしくなる。鎌倉では今年一回もクーラーは着けていない。寝るときは網戸だけで扇風機もつけない状態で過ごしている。大阪で水曜日の朝に到着し、昼寝をし、夜は野球を見に行き、木曜日は散髪に行き、買い物に出かけ、夜は京都の行きつけの店に顔を出す。京都は夏の祇園祭、大文字の送り火が終わり、ひっそりと静かであるが、やはり日昼、独特の暑さが残っていた。四条通、河原町界隈だけが、悲壮感を表した外国人観光客でにぎわっていた。大阪に帰ると何某ら用事ができる。
金曜日は奈良に出かけた。目的は、行きつけの蕎麦屋さんに行って、一合のお酒とあての三品盛り、そして十割そばを食べ、帰りに鎌倉へのお土産に、お酒を買うことだ。さてどこに行こうか考え。唐招提寺に行くことに決めた。今回も申し訳ございませんが、鎌倉とは関係ないですが、記載させていただきます。
唐招提寺は近鉄橿原線、西の京駅を北に十分程度歩いたところにある。西の京には玄奘三蔵院、薬師寺、休ヶ岡八幡宮と素晴らしい寺社があるが、唐招提寺を含め、それぞれ人によって好みが違う。大池からの薬師寺の風景は奈良の象徴の一つである。昭和・平成の改修で美しく薬師寺の伽藍が整った。私はどちらかと言うと唐招提寺の方が好きである。静かで古色に彩られ、創建から千二百五十年以上経つが、南大門から金堂・行動と一直線で並んでいる伽藍は天平の面影を色濃く残す寺院である。
唐招提寺は鑑真和上により天保宝字三年(759)に創建され、律宗の総本山である。失明になりながら六度目で来朝された鑑真和上は「三師七証」(三人の師と七人の証人)による正式な授戒制度を伝え、厳格な戒律伝道の拠点として、また研修道場として創建された。鑑真和上はわが国に十二年間をかけ仏教修行の第一歩と言える戒律を伝えた。「戒」は仏教徒が守るべき道徳論理的な戒め。「律」は出家者が守る集団生活の規範とされる。何の隔てなく、一切の衆生に対し仏教徒となる戒を受ける「授戒」の機会を開くことを理想として、自分を律し相手を思いやることが唐招提寺の教えの中心で、医療活動をはじめ、社会事業を伴う慈善活動を中心に据えて、布教活動が進められた。
解体修復は行われており、金堂は平成十二年(2000)から十年をかけ解体修復が行われた。その金堂は厳格な戒律伝道の拠点として、また研修道場の風格と気品と静寂性を保つ金堂としてよみがえった。解体により、堂内を構成する天井部分と組物の部材の九十四パーセントが、創建時のものと判明した。金堂内には光背に千の化仏が埋まる(現在は864体)廬舎那仏座像を中心に右に約壺を持たない薬師如来像、左に九百十一本の小脇手が埋められた千手観音像が並ぶ。四隅に四天王像、廬舎那仏の漁前脇に梵天像と帝釈天像が配されている。この配置による形式は経典には見いだされず、唐招提寺のみ独特な配置をなしている。すべて国宝である。講堂の外観は鎌倉時代の中世建築様式の趣になっており、講堂内には中央須弥壇に本尊弥勒如来坐像(重文)が配されている。
境内の西端には僧尼に戒律を受ける場所「戒壇」があり、東端に鑑真和上の御影堂と廟所がある。両所とも木々に囲まれた静寂な風景の中訪ねる事が出来ます。御影堂には日本の肖像彫刻で最古と言われる鑑真和上座像がある。和上の姿を写実的に写され、静かな微笑みの中に強い意志を感じさせ、独特の生命感が与えられているという。私には人を思いやる優しげな笑顔のみ、映し出されていると感じる。
奈良に行かれる時は一度訪ねられたらと思います。また、奈良の観光地は広く離れているので、入江泰吉記念奈良市写真美術館に行くと古き良き奈良の風景を見る事が出来ます。展示内容が変わるので、私は年に数回訪れました。新薬師寺や春日大社も近く、今井酒造(春鹿)で五百円のガラスのお猪口を買い、五種類ほどの利き酒も楽しめます。
参考:小学館「古寺を行く」編集部・編 唐招提寺