母の勘当許されし事
少し経って、十郎はその場を立ち、
「御許しいただいたぞ、時致。こちらへ参れ」。五郎は、涙で萎れる袖に忍びかねて、しばらくの間、母の前に出ることが出来ずにいた。しばらくして、時致は袖内を払い、顔を押し拭い、出てくれば、十郎も嬉しく、哀れに思い、身を傾けた。兄弟は共に、語る事は出来ずに、たださめざめと泣いていた。
母はこの有様を見て、
「実に、親子の仲程、哀れな事は無い。年老いて、身が貧しくて、取るに足らない私の言葉を一つ重く思い、泣き萎れる事は非常に悲しい事です。身体に障害を持つ子供さえも、親は愛しいと思うのが世の習わしです。どうして憎いなどと思うことが出来ましょうか。ただ良かれと思って言った事です」と、はきりと分かるように言う事も出来ずに、母も涙を流した。その後、五郎は畏まり、母をつくづくと見つめ、いつの間に、こんなことになったのかと気がしていた。母は二人に、
「お前達は、私が自ら子供への愛情が少ないと思ったのだろう。十郎が思う所を進んでいる時、五郎が居ると言う時は安心でし。居ないと聞けば心許なく、私も心配していたのです」。母はこの三年の間。二人と添わなくて、恨めしく口惜しく思われて、つくづくと思うに、直垂の着付け具合や、袴を着た様子、烏帽子をかぶるに至るまで、父の思い出が浮かび、昔の事で涙が袖を萎れさせていた。再び母は、
「それで、五郎は、経文を箱根でも聞いていたのだろう。十郎は如何にして経文を知ったのです」と、母が尋ねると、十郎祐成は、
「馬痩せては毛長く、嘶(いば:いななく)ふる力なし。人貧にして智短く、言葉賤し。何によっても、貴高く行うべきと」と申した。女房たちはそれを聞いて、
「勧学院の雀とか」と申すと、母は微笑んで、
「さあさあ、酒を持って来なさい」と、母は女房たちに言われると、種々の肴、盃を取り揃えて、二人の前に置かれた。
(鎌倉 妙本寺の海棠 楊貴妃が酒に酔ってうたた寝する妖艶ななまめかしさを評した言葉、「海棠の睡り、未だ足らず」の故事から「睡れる花」ともいう。美人を形容する言葉としても用いられる。 四月初旬の開花)
母が取り寄せて、酒を飲んで、その盃を十郎が飲む。続いてその盃を五郎が三度飲み干して置くと、その盃を母が取り上げて、
「三年の不孝の事、ただ今許した標に、この盃を飲み干した。ただし、親と師匠に盃を差すのは、必ず肴を添える者である。当時、鎌倉では、秩父の六郎(畠山重保)が、今様の歌を唄い、梶原源太景季が横笛を吹くと聞く。しかしながら、他人なれば、見も聞きもしない。お前たちは箱根に居た時に、舞が上手と聞いていた。忘れずに舞を行えるか」と問うと、十郎は腰より横笛を取り出して平調で音を取り、
「如何した、如何した。遅いぞ」と五郎を責めれば、しばらく辞退していたが時致は、十郎が囃し立てて、待っているので、扇を開き、この様に歌って舞ったのだった。
「君が代は、千代に一度ゐる塵の、白雲かかる山となるまで」と、押し返し、押し返し、三返、足で床を強く踏み、拍子をとって舞った。そのまま調子を踏みかえて、
「別れのことさら悲しきは、親の別れとこの歎き、夫婦の思ひと兄弟と、どれを特別と思えばよいのだろうか、袖に余る忍び音を返してとめる関もない」と、二返の調子を早めたり高めたりした。母は、昔を思い出しては、彼らはとても儚い運命、最期の時に涙の露は、意外にも他者から見ると都合よく見られてしまう。袖の返しに紛らわして、しばし舞ってか心の内に入られた。こうして酒も進むと、十郎祐成は畏まり、
「今回、御狩りにお供して、兄弟の内で、どの様な功名を立てて、思わず御恩にあずかれば、卒塔婆の一本でも容易く刻み、父の聖霊に供えたいと考えております」と申すと、母はそれを聞き、
「どう言う訳か、此度の御狩りは、心配しています。それでも良いというくらいの事ならば、どうか思い止まってください。そうではあるが、衣装の望みがあれば、小袖も無駄になってしまう。それそれ、女房たち」と呼び寄せて、白い唐織に翼を広げた鶴の形を丸く書いた紋を塗った小袖を一つ取り出し、
「十郎にも差し上げます。失わないように返すように。十郎は常に小袖を借りて返しません。これは、曽我殿の知っている小袖です。再び見えなければ、また、お前たちに与えたと思われて恥ずかしいので、別の小袖を用意しておこう。気をつけて、早く帰り給え」と言うと、
「承りました」と言って、練絹の古くなった小袖を脱ぎ変えて、
「見苦しいですが、人にお与え下さい」と言って、置いていった。小袖が欲しいわけではないが、互いの形見と替えた衣は、袖が懐かしく置かれた。
そうして兄弟は、座敷を立つと、母は見送り、二人に言うには、
「以前、十郎は、小袖を借り、二度と戻ってこなかった。どの様な遊び者に渡されたのか思い、あれこれと思案していたが、弟の五郎に着せていた。また最近、大口袴・直垂仕立ての物を渡したが、これも二度と戻ってこなかったが、道三郎に着せていたと思っていたが、これも弟に着せていたようだな。真に、たとえ、野の末山の奥や、どの様な場所にあっても、兄弟は欲しい者です。父には幼くして死別し、一人居る母には不孝をし、貧しければ、親しき者も疎くなり、落ちぶれて、世人にかえりみられてなく、まさに憐れむべきです」と言って、涙をはらはらと流されれば、その場にいた女房たちも、共に袖を涙で濡らされた。
―続く―





