浪人柳田格之進は曲がったことが大嫌いの武士で,それが原因で浪人となっていた。碁会場で知り合った質屋の主人と懇意になり,質屋の離れで碁を打つことになった。あるとき,そこに番頭が売り上げ金を主人に渡すが,格之進が帰った後,その金が行方不明になった。主人はなかったことにしようとするが,番頭が気をきかせすぎて格之進のところに行き,問い詰める。「お上に訴える」と言われて,格之進は名誉が汚されると自害を決意する。それを察した娘は,吉原に身を売って金を工面する。番頭には「自分は盗っていないが,この金を持って行け。もし他からその金が出た時は,番頭の首をはねる」と言う。番頭は自信があったので「自分どころか,主人の首も差し上げる」と返事。質屋では,年末の大掃除のとき,額の裏からその金が出てくる。あの時,主人は番頭から受け取った金を,厠に行くときに仮に置いたことがあり,それを忘れていた。「両名の首をはねる」ということになったが,主人と番頭は「自分だけの責任だ」と互いに相手をかばあう。それに感銘を受けた格之進は,首の代わりに床の間にあった碁盤をたたき切る。そして,また仲良く碁を打つ仲となった。

 と言う噺ですが,何故碁盤をたたき切ったのか,自分なりの解釈をしてみました。以前の,歌舞伎「金閣寺」の記事で,「将棋盤(碁盤も同じらしい)の裏にはへこみがあり,切った首を,将棋盤を裏返して据えるときの血を受ける所だそう」と言う旨を書きました。両名の首を切るので,碁盤が関連してきます。“首を切らなくしたので,碁盤が不要”という意味を込めていたのではないか,と言うことです。この演目は落語研究会の放送だったので,解説も入っていました。しかし,このような解釈はありませんでした。しかし,もしかしたら作者にはそんな意図もあったのではと思います。