抜け雀は何人かの噺家さんの高座を聴いています。客の入らない宿の主人が,無一文の男を客引きしてしまいます。「せめて酒代だけでも」と支払いをお願いすると無一文のことが判明します。男は絵描きでした。宿賃のかたに雀の絵を描きます。「決して売ってはならぬ」とくぎを刺します。後日雨戸を開くと,その雀が飛び立って餌をあさった後戻ってくることがわかり,それ見たさに客が殺到します。殿様が千両もの値を提案しますが,絵描きの了承を得ないと売れません。そんな中,絵描きの親がやって来て,「抜かりがある。とまり木がなければ鳥は死ぬ」と言って,鳥かごを描きます。後日,絵描きがやって来てこの出来事を知ります。それが親であることを悟り,「親を駕籠かき(籠描き)にした」と嘆きます。

 ぼろい宿に無一文が泊る噺はいくつかありますが,まくらで駕籠かきの噺をすればこの落語だと分かります。観客にオチが分かるよう,あらかじめ駕籠かきの噺をするのは,駕籠かきには悪い人たちがたくさんいて,卑しい職業だと聴衆に予備知識として知っていてもらうためのようです。絵描きが「決して売ってはならぬ」という必然性はどこにあるか考えてみました。殿様に「千両で売れ」と言われ,この言葉がないと売ってしまい,親が籠を描く場面へと展開できなくなるからでしょう。

 他の噺家さんの噺では,硯をするのは,宿屋の主人だったと思いますが,ここでは絵描きがすっていました。これまでは,「硯をすった手では震えが来て良く描けないから」と思っていました。しかし,最近観た書道家のドラマでは,本人がすっていました。このことは特に誰がすってもよかったのかもしれません。話の展開上,宿屋の主人にすらせた方がよいと考えた噺家さんはそうしただけなのでしょう。