定礎とは、マンション・企業ビルなど、大きな建造物に多く見られる記念碑です。
この定礎を記念し、事業の門出を祝い、事業の永続を望む儀式として定礎式というものがあります。
定礎に使われる石は「定礎石」と呼ばれ、建造物に埋設したり壁面に組み込まれます。
定礎式の由来はヨーロッパ。礎石を鎮定する儀式”Corner Stone Laying Ceremony”
からとされています。
定礎石が設置される場所は、東南の隅とされ、埋設される定礎箱の中には、記念の品が入れられます。
日本では、神道の儀式に則り粛々と執り行われる定礎式ですが、礎を定める神聖なる儀式の割りには、現代風のやり取りが見受けられることもあります。
「なるべく簡素に 来賓に気配りさえしておけば...」
こうした言葉が式次第の裏側によくあることです。これは定礎式に限らず、冠婚葬祭にも日常的に見受けられます。
儀礼あっての儀式でありながら、私たちは”手際よくスマートに”事を運ぼうとするあまりに、本来求められる
祈りや労わりといった思いは二の次になりがちなのです。
定礎式は派手でも地味でも構いませんが、祈るという純粋な思いを根底に、素直な心で行うものでは
ないでしょうか。
来賓や重役クラスがおぼつかない足取りで表に立つ姿を不自然に感じる方はいらっしゃいませんか?
永続を願うのであれば、次世代を担う子どもたちや若い方々に表立っていただくべきだと考えます。
祀りごとは本来、人々の幸せを願うことを基本に、若さ・躍動感・感情といった”動き”を重んじてきました。
ダイナミックなお神楽の動き、これぞまさしく若さの躍動感です。そして神輿を担ぐ若衆の心意気もそう。
若い人がダイナミックに活動し、それを時に厳しく時に優しく見守る年配者がいてムラは息づくのです。
こうした人々が集う原初形態を澄んだ眼で学び取ると、目的を見失い、形ばかりを心無きままに通り過ぎようとする現代人の”形式儀礼”が見えてきます。
こうした祀りごとを例に持ち出すのは強引に見えますが、定礎は志を持つとされた人々が集うことを始まりとし、更に未来への繁栄を願う儀式である限り、ムラの存続と繁栄を願う祀りごとと同意義の位置にあることは否定しようのないところです。
さて、定礎式はもちろんのこと、祈りやお祓いといった宗教的儀式には”右足が先か左足が先か?”といった作法に気配りをはたらかせることが多いと思います。
たしかに作法の間違いはその場で目立ち、赤面の時を生じさせてしまうこと多々ありでしょう。
この作法は自分以外の存在を尊重する(神前に尻を向けないなど)ことを前提に編み出されたものが多いのです。
それなりに意味ある作法ですが、この作法を堅苦しく捉えることなく、”こうした場合にはこうするべきだ”とい
う確固たる思いがあれば、自然と正式な作法に近い所作をとるものです。要は素直に感じていくことが大切。思いやりある所作には美が存在し、多少の間違いも美しく捉えられることでしょう。
「定礎石は日々貢献するモニュメント」
当研究会では、この定礎式の精神を”初心”と捉え、定礎式を過ぎれば忘れ去られる現代の定礎を、現実生活の中で人にとって有意義なるものにアレンジすべきだと考えています。
人の歴史には汗と涙があります。希望に燃えて未来を描きながらも、いろんな出来事に押しつぶされそうになることもあります。
その気の遠くなるほどの時間を経て私たちは少しずつ成長し続けます。
定礎という初心を日々心に感じながら、健全なる日々を願うこと、すなわち日常の中に定礎を取り込むライフスタイルを提案したいのです。
定礎には、初心という純粋な心が宿ります。
定礎は現代人が忘れかけている心の結晶。
今から事業を推し進めようとする社の方々、そして今から暖かい家庭を築こうと希望を抱くご家族にも大変に意義あるものと考えています。
新時代の定礎石の詳細については、今後、環境免疫学研究会本サイトにて掲載予定です。