私の癒しの一環である釣船からみた景色です!
場所は八景から東京湾を船で20~30分横断すると着く千葉県大貫沖からの景色
富津岬1
富津岬
写真の左側に見える三角のピラミッド型の所が富津岬の突端!
「五葉の松」をイメージした建造物は展望台になっていて、展望台からは第一海堡、富士山を望む向こう岸は久里浜あたりが見えるそうです。
ちなみに海堡(かいほう)とは、東京と横須賀軍港を護るため明治新政府の東京湾海防計画により着手された洋上における人工島要塞なのです!!
第一防御線として人工島含め、富津岬~第一海堡~第二海堡~第三海堡~猿島~走水~観音崎と防御線を築いたのですね~
第一海保1
第一海堡(明治14年8月に着工、明治23年12月完成)
富津岬の先端の水深5mほどの海中に築かれた人工島は基礎のための石を投入し、野面石で囲った堤防を築き内部には砂を入れて砲台を作ったそうです。
装備?は、探照灯1基、28cm榴弾砲14、機関砲4、7.5cm速射カノン砲4、12cm速射カノン砲4、19cmカノン砲1、28cm榴弾砲14だそうです。
ピンと来ませんが凄いのかなぁ~??
第2海保1
第二海堡(明治22年着工、大正3年6月に完成)
水深10m前後の海中に築かれ49万m3の石材と30万m3の砂が使用され作られたそうです。
装備は機関砲10門、探照灯1基、水雷用探照電灯1基、7.5cm速射カノン砲10、15cmカノン式門入砲塔4基、27cmカノン砲4、27cmカノン式門入砲塔1基、
何だか「カノン砲」なんて聞くと「宇宙戦艦ヤマト」を思い出しちゃいます。
ただ作品の中で「カノン砲」なんて言葉が使われていたかは定かではありませんが、何となく「YAMATO」です。
第三海堡(明治23年着工、大正10年に完成)
水深が約39mあり潮流も激しい場所で明治年間における軍事土木最大の難工事になったそうです。
度重なる高波によって何度も破壊されてしまい、その度に強化してを繰返しようやく大正10年に完成!
しか~し!2年後の大正12年、関東大震災により沈下水没してしまったという活躍の場無くほとんど人目にもふれず消え去ってしまった可哀相な人工島、しかも水没後は大部分が水没して暗礁化し船が衝突や座礁する難所になり、平成12年の東京湾口航路整備事業で撤去作業が進み無事平成19年に完了したそうです。
第三海堡構造物などは南西2,000m の海域に投棄され魚礁などに再利用され、兵舎や弾薬庫など陸揚げされた構造物は横須賀市浦郷町の国土交通省関東地方整備局追浜展示施設で公開されているのだそうですよ
東京湾観音1
東京湾観音
中央、山の上に見えるのが観音様です。
昭和36年に作られた東京湾を一望する南房総国定公園に建つ高さ56mの戦没者慰霊救世観音!
観音様の中から天上界までの324段の階段を登り天上界から一望できる東京湾は絶景で、富士山が綺麗に見えるそうです。

そんなこんなで、今日は海上から見る「私の癒し場からの景色」を独り言してみました。
全然面白くない内容で、すみませぬ。