NNNドキュメント’10 
~泣いちゃおれん 全盲の娘 おりえがくれた28年~

全盲で懸命に生きている森本おりえさんの28年、支え協力しあって来たその家族のドキュメント

「小眼球症」(見る機能が備わらない病気)という百万人に一人の確率の難病で生まれ盲学校2年生の時
「どうして、友達と一緒の学校に行ったらあかんの?」
と疑問を持つ瞳のとっても綺麗な女の子の素朴な疑問、
三重県の盲学校に通っているが同学年生徒はおりえさん1人
交流学校で小学校に週2日だけ通う事になるが更に
「どうして、友達と一緒の学校に行ったらあかんの?」
との問いが強くなるばかり
ご両親は身体をはっておりえさんと共に、行政、教育機関等に五年間、転校を訴え続けた。
交流日でない日も何度も小学校に登校し
校長先生に「転校を認めて下さい」とけなげに訴えるおりえさん。
驚いた
この時にこの小学校の校長がおりえさんに発した言葉、
「授業が遅れて迷惑との父兄の声がある」
「認められない」
と、全盲の小学2年生の女の子の前から平然と退席してしまう。
マジか?マジ!ムカつくこの校長 

とっさにムカついて
      目頭が熱くなった。

信じられない態度の公立小学校の校長、本当に教育者なのか??
教育委員会の決定が必要なのはわかっている
校長の一存で決められない事もわかっている。
でも、けなげな訴えをしている少女の前で取る態度ではなかった。
教育者なら子供に対しそれなりの対応と話し方があるはず 唖然だよ。
結局小学校卒業までに転校が許されず、卒業式にも参加すらできなかった。
自宅で家族と卒業式を行った。
2年生から6年生まで
何時、転校許可が出てもいいように
転校が決まり、少しでも周りの関係者や同校の生徒父兄に迷惑が掛らないように
毎日毎日お母さんと2人で通学路を一人で歩ける(覚える)練習をしていた。
結局その努力も無駄な形とはなってしまったが、
参加する事が出来なかった卒業式の数日後
教育委員会から中学からは認めるとの手紙が届き5年かかり願いはかなった。
無事に中学高校大学と順調に進学した。
でも、望んだみんなと学べる学校では、「虐め」を経験した。
「障害者」との言葉の重みも得てしまった。
両親は「カレー屋さん」を経営し
おりえさんの進学費用の為に必死に働いていた。
忙しい両親の代りに妹と弟の面倒を一生懸命おりえさんは見ていた。
お母さんの薦めで大学では福祉学部に進み全盲者でも日本に数人しか取れていない資格を獲得した
点字の本を100冊以上勉強して得た資格。
お父さんは資格を獲得した時、凄く喜んだそうです。
でも、おりえさんの就職が決まる前に胃ガンで亡くなってしまったそうです。
まだ、週に数日だそうですが三重県の福祉施設で現在は働いている。
本採用になる為一生懸命頑張っているおりえさんは今、28歳
28歳になったおりえさんの瞳は子供の頃と変わらず 綺麗でした。
今の目標は、一人暮らし(独立)だそうです。
彼氏もほしい
ともブラウン管の向こうで語っていました。早く叶ってほしいなぁ。

悲しい事に今の俺の瞳はおりえさんと比べ物になりません
くすんでいます
健常者とも気が付かず、当たり前に暮らしてきた俺の瞳には
見てはいけない物、見えた事を拒否した心や欲など・・・
おりえさんの瞳には映らなかった物を
知らずも知っても沢山瞳に映してしまった俺の瞳がかなう訳が無い。

俺にも、
迷いも有る、
悩みも有る、
行き詰まった事も何度も有る、
引篭る事も最近経験した。

恥ずかしいよ

健常者な事だけでも、とっても幸せな事なのに・・

頑張らなきゃ、今年はいい年にしたい、決断もしなければならない。
自分を見つめる
そんな、元気をもらいました。