今週の万歩計      No.04 | kmhamのブログ

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資本主義的生産様式の現状と資本論を中心にブログに掲載します。
また、ウオーキングの歩数の記録を継続して掲載します。

今週の万歩計      No.04

01月22日: 8266歩 ラジオ体操&日常ウオーキング(こしの内科・市委員会)
01月23日:17608歩 ラジオ体操&日常ウオーキング(大雄会)
01月24日: 3612歩 ラジオ体操&日常ウオーキング(大雪)
01月25日:10667歩 ラジオ体操&日常ウオーキング
01月26日:19992歩 ラジオ体操&日常ウオーキング(名古屋石子映画批評)
01月27日:12720歩 ラジオ体操&日常ウオーキング(カーマ前宣伝)
01月28日:11228歩 ラジオ体操&日常ウオーキング(名古屋映画鑑賞)

週間合計は、 84093歩 一日平均は 12013歩でした。

26日に第213回通常国会が6.23までの150日間で開会した。しかし自民党派閥の
政治資金裏金問題で岸田首相の施政方針演説が「政治とカネ」を巡る予算委員会後
に先送りされるという異例の幕開けとなった。今回から日本共産党の委員長となった
田村智子氏が自民党の「政治改革」の中間とりまとめには、真相解明が一言もないと
して、「自民党が全く自浄能力を失っているもとで、国会の役割は極めて重要である。」
(赤旗1.27)と強調している。同感です。
28日には名古屋の北文化小劇場で映画を3本鑑賞した。
①テルアビブ・オン・ファイア(2018年イギリス・ルクセンブルク合作)
②福田村事件(2023年製作森達也監督)
③ハンナ・アーレント(2012年ドイツ・ルクセンブルク・フランスの合作)

①は、現在実際にイスラエルのガザ侵攻が続くもとでは、脚本家の仕事が現実と2重写し
となって戦争とドグマによる人間の生き様を考えさせる契機となる内容だった。
監督がパレスチナ系イスラエル人というのも皮肉であるが、現実ではそのイスラエルが
パレスチナを追い出そうとしているのは、シオニズムのドグマに基づいているのでは
ないかと考えさせられた。ここには、マルクス言うところの「より高度な経済的社会

構成の立場」が喫緊に求められていると思う次第です。
②は、関東大震災後の社会的混乱の中で実際に起きた虐殺事件を取り上げている。
民主主義とは相反する軍隊の日常生活への介入と、俗耳に入りやすい流言飛語により
一般大衆の集団圧力を強化(狂化)して虐殺を生みだす怖さが感じられた。ここにも
資本主義社会末期の暗部が影を落としているように思われた。特に軍部の市民社会への
日常的な介入と、非科学的なドグマ(流言)によって人権が無視される権力構造が民衆
の集団的圧力とも合流した時の恐ろしさは戦前日本の暗部をてらしているように思われた。
③は、ハンナ・アーレントがナチス戦犯のアドルフ・アイヒマンの歴史的な裁判の
傍聴をもとにした哲学的記事<悪の凡庸さ>の指摘が巻き起こしたセンセーショナルな
事件を題材にしたものである。最後の学生を前にした講義(考える事で人間は強くなる)
がアーレントの主張を根拠づけている。ナチ党員にもなったことがあるハイデッガー
の愛弟子でもあるアーレントの主張は、ユダヤ人という”人種的な問題”ではなく、より
普遍的な”人間の問題”として説くことで、確かに偏狭なドグマティックな俗耳には入り
にくいが、やはり科学的社会主義の学習や教育のあり方がマルクスの言う「生みの苦しみ
を和らげる」(資本論第一版序文)というのは、今回の3本の映画に共通する通奏低音と
思われた。今後は、マルクスの資本論を想起させる内容(下部構造)の剔抉も、特に戦争
を生みだす資本主義の社会的構造的問題も次回には取り上げてほしいですね。
特に27日の山本薩夫監督の「戦争と人間」は見たかったですが都合により割愛した。
五味川純平原作の「人間の条件」を読んでみたくなりました。