第二章 三 貨幣 (b)支払手段 ② | kmhamのブログ

kmhamのブログ

資本主義的生産様式の現状と資本論を中心にブログに掲載します。
また、ウオーキングの歩数の記録を継続して掲載します。

「経済学批判」                                      2017.7.17
第一部 資本について 第一篇 資本一般 
第二章貨幣又は単純流通 三 貨幣 (b)支払い手段 ②
 
・(p188)一般的支払手段としては、貨幣は契約の一般的商品となる。ーはじめはただ商品流通の部面の内部でだけだが。しかし貨幣のこの機能の発展につれて、他のすべての支払いの形態は次第に貨幣支払に解消していく。貨幣が排他的支払手段として発達している程度は、交換価値が生産をどれだけ深く又広く捉えているかという程度を示している。

・(p189)支払手段として流通する貨幣の量は、まず第一に支払の総額、つまり、譲渡された商品の価格総額によって規定されるのであって、単純な貨幣流通の場合のように、譲渡されるべき商品の価格総額によって規定されるのではない。けれども、こうして規定された総額は、二重に修正される。第一には、同じ貨幣片が同じ機能を繰り返す速度によって、修正される。
その速度は、一方では同じ商品所有者が彼らの間の債権者と債務者との関係の連鎖に依存し、他方では、様々な支払期日という時間の長さに依存する。この諸支払の連鎖は、貨幣流通で表わされる諸変態の連鎖とは質的に違っている。後者は時間的に連続して現れるだけでなく、時間的に連続するなかで初めて連鎖となるのである。(p189)(※この外面的関連においては、既に出来上がって現存している社会的関連が明るみに出るだけである。(p190))
・(p190)同じ貨幣が色々な人々の手を通っていくのは、それが支払手段として登場するからではなくて、色々な人々の手が既に繋がり合っているからこそ、それが支払手段として流通するのである。だから、貨幣が支払手段として流通する速度は、貨幣が鋳貨として又は購買手段として流通する速度よりも、個人が流通過程にはるかに深く入り込んでいることを示している。
・(p190)同時的な、従って空間的に並んで行われる売買の価格総額は、流通速度が鋳貨量の代わりをするうえでの限界をなす。この制限は、支払手段として機能する貨幣にとってはなくなる。・・・諸支払は、AはBに支払わなければならないが、同時にCから支払を受けるはずである。等々という訳で、正負の大きさとして相殺される。
だから、支払手段として必要な貨幣総額は、同時に実現されるべき諸支払の価格総額によって規定されるのではなく、諸支払の集中の大小と、それらが正負の大きさとして相殺されたあとに残る差額の大きさによって規定される。この相殺の為の独自の施設は、たとえば古代ローマでのように、信用制度が少しも発達していなくてもできてくる。
・(p191)緒支払が正負の大きさとして相殺される限り、現実の貨幣の介入は全く行われない。
この場合には、貨幣はただ価値尺度としての形態で、一方では商品価格において、他方では相互の債務の大きさにおいて、展開する。だからここでは、交換価値はその観念的定在のほかには、なんら独立の定在をもたず、価値章票としての定在さえ持たない。言い換えれば、貨幣はただ観念的な計算貨幣となるにすぎない。
・(p191)だから支払手段としての貨幣機能は、次のような矛盾を含んでいる。
即ち、貨幣は一方では緒支払が相殺される限り、ただ観念的に尺度として作用し、他方では支払が実際に行われなければならない限りでは、瞬間的な流通手段としてではなく、一般的等価物の休止的な定在として、絶対的商品として、一言でいえば、貨幣として流通に入っていくという矛盾がこれである。

・(p191)だから緒支払の連鎖とそれらを相殺する人為的制度が既に発達している所(資本主義が発達している所)では、緒支払の流れを力ずくで中断して、それらの相殺の機構を攪乱する激動が生じると、貨幣は突然に価値尺度としてのその気体状の幻の姿から、硬貨即ち、支払手段に急変する。・・・そういう発達したブルジョア的生産の状態のもとで、貨幣は突然に、流通の媒介者としてではなく、交換価値の唯一十全な形態として、貨幣蓄蔵者が考えているのと全く同様な唯一の富として再現する。(p192)

・(p192)貨幣が富のこのような排他的定在としてその姿を現わすのは、・・・すべての素材的富が単に頭の中で価値を減少し、価値を喪失する場合ではなく、それらの富が現実に価値を減少し、価値を喪失する場合である。これが貨幣恐慌と呼ばれる世界市場恐慌の特殊な契機である。こういう瞬間に唯一の富として叫び求められる至上の善は貨幣であり、現金であって、これと並んでは、他のすべての商品は、それらが使用価値であるというまさにその理由から、無用なものとして、くだらないもの、がらくたとして、・・・現れる。

・(p192)信用制度から重金主義へのこういう突然の転化は、実際のパニックに理論上の恐怖を付け加える。(※ボアギュベールがまたもや見落としている事は、貨幣の観念的形態から外面的な現実性への直接的な急変であり、ただ考えられただけの価値尺度のなかに、既に硬貨が潜在的に含まれているということである。)
・(p192)緒支払は、それとしてまた準備金を、支払手段としての貨幣の蓄積を必要とする。こういう準備金の形成は、もはや貨幣蓄蔵の場合のように流通そのものにとって外的な活動としても、又鋳貨準備の場合のように鋳貨の単なる技術的停滞としても現れないで、むしろ貨幣は将来の一定の支払期日に手元にあるように、だんだんに積み立てられなければならない。
・(p193)だから、致富として考えられている抽象的形態での貨幣蓄蔵は、ブルジョア的生産の発達につれて減少するのに、・・・一般に商品流通の部面内で形成される蓄蔵貨幣の一部分が、支払手段の準備金として吸収される。ブルジョア的生産が発達していればいるほど、この準備金はますます必要な最小限度に限られる。
・(p193)流通する貨幣量についての法則は、支払手段の流通によって本質的に修正される。
貨幣の流通速度が与えられていれば、ある期間内に流通する貨幣の総額は、実現されるべき商品価格の総額(プラス)その同じ期間中に満期となる緒支払の総額マイナス相殺によって相互に消去しあう緒支払の総額によって規定されている。流通貨幣の量は、商品価格によって決まるという一般的法則は、これによって少しも動かされない。というのは、緒支払の総額そのものは、契約上決められた価格によって規定されているからである。(p193)
・(p193~p194)だが、流通速度と支払の節約とが同じままであると前提しても、例えば1日のうちに流通する商品総量の価格総額と、同じ日に流通する貨幣総額とが、決して一致しない事は、誠に明らかである。なぜならば、その価格が将来初めて貨幣で実現される多数の商品が流通しているし、それに対応する商品がずっと以前に流通から脱落してしまっている多数の貨幣が流通しているからである。
・(p194)既に見たように、金銀価値の変動は、価値尺度又は計算貨幣としてのそれらの機能に影響しない。しかしこの変動は、蓄蔵貨幣としての貨幣にとっては、決定的に重要となる。
というのは、金銀価値の騰落につれて、金銀蓄蔵貨幣の価値の大きさが増減するからである。
支払手段としての貨幣にとっては、なお一層重要となる。支払は商品の販売よりも後でやっと行われる(からである)。
・(p194)言い換えれば、貨幣は2つの違った時期に2つの違った機能で、まず価値の尺度として、ついでこの計量に照応する支払手段として作用する。もしこの2つの時期の間に、貴金属の価値、即ち、その生産に必要な労働時間が変動するならば、同じ量の金又は銀は、支払手段として現れる時には、それが価値の尺度として役立ったとき、即ち、契約が結ばれた時に比べて、あるいはより大きい、あるいはより小さい価値をもつであろう。
・(p194)この場合には、金銀のような特殊な1商品の、貨幣即ち、独立化した交換価値としての機能は、その生産費の変動にその価値の大きさが依存している特殊な商品としての金銀の本性と衝突する。ヨーロッパで貴金属の価値低落が引き起こした大きな社会革命は、・・・周知の事実である。(p195)
(※異時における価値比較の問題として:広松(「資本論の哲学」・マルクスのベイリー批判p93以降参照、キー概念は、「再生産に必要な社会的労働時間」である。)
 
以上、第二章 三 貨幣 (b)支払手段 ②   了    2017.7.17