「経済学批判への」序説 ⑤ | kmhamのブログ

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「経済学批判」序説(Einleitung)(1857.8月末~9月半ばに執筆)  2017.8.14
国民文庫版 新訳 「経済学批判への」序説 ⑤ p298~p306
【三】経済学の方法  (2)
 
・(p298)労働はまったく簡単な範疇のように見える。このような一般性においての-労働一般としての-労働の観念も非常に古いものである。それにも関わらず、経済学的にこの簡単性において把握されたものとしては、「労働」は、この簡単な抽象を生み出す諸関係と同様に近代的な範疇である。(p298)

・(p298)例えば重金主義は、富を、まだまったく客体的に、自分の外に貨幣の姿をとっている物として、定立している。マニュファクチュア主義又は重商主義が、対象から主体的活動に-商業労働とマニュファクチュア労働に-富の源泉を移しているのは、重金主義に対して大きな進歩だった。とはいえ、まだこの活動そのものを金儲けという局限された意味でしか把握していないのであるが。
・(p298)この主義に対して、重農主義は、労働の一定の形態-農業-を、富を創造する労働として定立し、また対象そのものを、もはや貨幣という仮装の中でではなく、生産物一般として、労働の一般的結果として、定立するのである。しかしまだこの生産物を、活動の局限性に対応して、やはりまだ自然的に規定された生産物-農業生産物-とくに土地生産物-として考えているのである。(p299)
 
・(p299)富を生み出す活動のあらゆる限定を放棄したのは、A・スミスの大きな進歩だった。マニュファクチュア労働でもなく、商業労働でもなく、農業労働でもないが、しかもそのどれでもある単なる労働。富を創造する活動の抽象的一般性とともに、今や又、富として規定される対象の一般性、生産物一般、あるいはさらに又、労働一般、といっても過去の対象化された労働としてのそれ。この移行がどんなに困難であったかは、A・スミス自身もまだときどき再び重農主義に逆戻りしているという事からも明らかである。

・(p299)ところで、これによっては、ただ、人間が-どんな社会形態のもとであろうと-生産をするものとして現れる最も簡単で最も古い関係を表わす抽象的な表現が見いだされただけのように思われるかもしれない。これは、一面から見れば正しいが、他面からは正しくない。
労働の一定種類に対する無関心は、現実の労働種類の非常に発展した総体を前提するのであって、これらの労働種類のどの一つももはや一切を支配する労働ではないのである。
・(p299)こうして、最も一般的な抽象は、一般にただ、ある一つのものが・・・すべてのものに共通に現れるような、最も豊富な具体的な発展のもとでのみ成立するのである。その時は、ただ特殊な形態でしか考えられないという事はなくなる。

・(p299)他方、このような、労働一般という抽象は、単に種々の労働の具体的な総体の精神的な結果であるだけではない。特定の労働に対する無関心は、個々人がたやすく1つの労働から他の労働に移り、彼らにとっては労働の特定の種類は偶然であり従ってどうでもよいものになるという社会形態に対応する。(p300)
・(p300)労働は、ここでは単に範疇としてだけではなく現実にも富一般の創造の為の手段になっており、職分として個人と一つの特殊性において合生したものではなくなっている。このような状態は、ブルジョア社会の最も近代的な定在形態-合衆国-で最も発展している。だから、そこで、「労働」、「労働一般」、単なる労働という範疇の抽象が、近代的経済学の出発点が、はじめて実際に真実になるのである。
 
・(p300)だから、近代的経済学が先頭に立てている最も簡単な抽象、そしてすべての社会形態に当てはまる非常に古い関係を表わしている最も簡単な抽象は、それにも関わらず、最も近代的な社会の範疇として初めて、実際に真実にこの抽象において現れるのである。ある人は、合衆国では歴史的産物として現れるものが、例えばロシア人の場合には-特定の労働に対するこの無関心が-生まれながらの素質として現れるのだ、と言うかもしれない。しかし第一に、未開人が何にでも用いられるという素質を持っているという事と、文明人が自分自身を何にでも用いるという事との間には、大変な違いがある。そして第二に、ロシア人の場合には、労働の特定性に対するこの無関心には、彼らが1つの全く特定な労働に伝統的に固着していて外からの影響によらなければそこから投げ出されないという事が、実際に対応しているのである。
・(p300)この労働の例が示しているように、最も抽象的な範疇でさえも、それが-まさにその抽象性の故に-どの時代にも妥当するにも関わらず、このような抽象の規定性そのものにあってはやはり歴史的諸関係の産物なのであって、ただこの歴史的諸関係だけに対して、又ただこの諸関係の中だけで、十分な妥当性を持っているのである。
・(p301)ブルジョア社会は、最も発展した最も多様な歴史的な生産組織である。それ故、ブルジョア社会の諸関係を表現する諸範疇は、またブルジョア社会の編制の理解は、同時に、すべての滅亡した社会形態の編成と生産関係との認識を可能にするのである。ブルジョア社会はこれらの社会形態の破片や要素で築かれてきたのであり、これらの要素のうちのまだ一部克服されていない遺物がブルジョア社会の中でまだ余命を保っていたり、単に暗示されていただけのものが完成された意義をもつまでに発展していたりするのである。

・(p301)人間の解剖は、猿の解剖の為の1つの鍵である。ところが、下等な動物種類に見られる高等なものへの暗示は、この高等なもの自身が既に知られている場合にだけ理解されうる。
こうして、ブルジョア経済は古代その他の経済への鍵を提供するのである。といっても、決して、一切の歴史的差異を抹消してどんな社会形態にもブルジョア的形態を見るような経済学者たちのやり方でそうなのではない。

・(p301)地代を知れば、貢租や十分の一税などを理解することもできる。とはいえ、これらのものを同一視てはならない。その上に、ブルジョア社会そのものが1つの対立的な発展形態でしかないのだから、それ以前の諸形態の諸関係は、しばしばまったく萎縮してブルジョア社会のうちに見いだされるにすぎないか、又は奇妙に歪められてさえもいるのである。例えば、共同体所有がそうである。

・(p301)それ故、ブルジョア経済学の諸範疇が他のすべての社会形態について真実性をもつという事は本当だとしても、それは控えめな意味にとられなければならない。ブルジョア経済学の諸範疇は他の社会形態を、発展した、萎縮した、漫画化された、等々の形で含む事はできるが、そこには常に本質的な区別がある。(p302)

・(p302)およそ歴史的発展と言われるものは次の事に基づいている。即ち、最後の形態は過去の諸形態を自分自身への諸段階と見なすという事、そして、この最後の形態は、まれにしか、しかもまったく限られた条件のもとでしか、自分自身を批判する事ができないので-勿論ここでは自分自身を崩壊期と考えるような歴史的諸時期は問題にならない-、過去の諸形態を常に一面的に把握するという事に基づいている。
・(p302)キリスト教は、その自己批判が、ある程度まで、いわば可能的に出来上がった時に、はじめてそれ以前の神話の客観的理解を助ける事ができるようになったのである。そのように、ブルジョア経済学も、ブルジョア社会の自己批判が始まったとき、初めて封建的、古代的、東洋的社会の理解に到達したのである。
・(p302)ブルジョア経済学が神話をもてあそぶ事によって自分を過去のものとまったく同一視しない限りでは、以前の社会に対するその批判、殊にそれがまだ直接に闘争の相手にしなければならなかった封建的社会に対するその批判は、キリスト教が異教に加えた批判に、あるいはまたプロテスタント主義がカトリック主義に加えた批判に、似ていた。

・(p302)およそどの歴史的、社会的科学の場合にもそうであるように、経済学的諸範疇の歩みの場合にも常に次の事が銘記されなければならない。即ち、現実界でそうであるように頭の中でも主体が、ここでは近代ブルジョア社会が、与えられているという事、従って、諸範疇は、この特定の社会の、この主体の諸定在形態、諸存在形態を、しばしばただその個々の面だけを、表現しているという事、従って又、近代ブルジョア社会は、科学的にも、それがこのようなものとして問題になる時にはじめて始まるのでは決してないという事である。(p303)
・(p303)このことが銘記されなければならないのは、それが同時に区分についての決定的な手引きを提供してくれるからである。例えば、地代、土地所有から始める事以上に自然的な事はないように思われる。なぜならば、土地所有は、土地即ち、すべての生産と存在との源泉に結びついており、またある程度固定したすべての社会の最初の生産形態-農業-に結びついているからである。

・(p303)しかし、これ以上の間違いはないであろう。ある一定の生産が他のすべての生産に、従ってまたこの一定の生産の諸関係が他のすべての諸関係に、順位と影響力とを指示するという事は、どの社会形態にもあることである。それは、1つの一般的な照明であって、他のすべての色彩はその中に浸されて、それぞれの特殊性に応じて修正されるのである。それは1つの特別なエーテルであって、そのうちに出現するすべての存在の比重を決定するのである。
・(p303)例えば牧畜民族の場合。彼らの場合、ある種の農耕形態、散在的な農耕形態が現れる。土地所有はこの形態によって規定されている。それは共同的土地所有であって、これらの民族がなお彼らの伝統に固着している程度に応じて、多かれ少なかれこの形態を保持する。
例えばスラブ人の共同体所有。
・(p303)定着的農耕を行う諸民族にあっては-この定着が既に大きな段階なのであるが-、
即ち、古代諸民族や封建的諸民族でのように定着的農耕が優勢な諸民族では、工業やその組織でさえ、又それに対応する所有の諸形態でさえ、多かれ少なかれ土地所有的な性格を帯びている。即ち、古代ローマ人の場合のようにまったく定着的農耕に依存しているか、又は中世に見るように、都市やその諸関係でも農村の組織を模倣しているのである。
・(p304)中世には資本そのものが-それが純粋な貨幣資本でない限り-、伝統的な手工業道具などとして、このような土地所有的性格を帯びている。ブルジョア社会ではそれが逆である。農業は次第に単なる一産業部門となってきて、まったく資本によって支配されている。地代も同じである。土地所有が支配している形態ではどの形態でもまだ自然的関係が優勢である。資本が支配している形態では、社会的に歴史的に作り出された要素が優勢である。

・(p304)地代は資本なしには理解できない。ところが、資本の方は地代なしでも理解できる。
資本はブルジョア社会の一切を支配する経済力である。資本が出発点にも終点にもならなければならない。そして、土地所有よりも先に展開されなければならない。資本と土地所有とが別々に考察されてから、両者の相互関係が考察されなければならない。

・(p304)それだから、経済学的諸範疇を、それらが歴史的に規定的範疇だった順序に従って配列する事は、実行もできないし、間違いでもあろう。むしろ、諸範疇の順序は、それらが近代ブルジョア社会で互いにもっている関係によって規定されているのであって、この関係は、諸範疇の自然的順序として現れるものや歴史的発展の順序に対応するものとは、まさに逆である。

・(p304)ここで問題にされるものは、経済的諸関係がいろいろな社会形態の継起の中で歴史的に占める関係ではない。まして、「観念のなかでの」(プルードン)経済的諸関係の順序などではなおさらない。問題は、近代ブルジョア社会の中でのこれら諸関係の編制なのである。

・(p305)古代世界で商業民族-フェニキア人やカルタゴ人-が示した純粋性(抽象的規定性)は、まさに農業民族が優勢だったという事自体によるものである。商業資本又は貨幣資本としての資本は、資本がまだ社会の支配的要素になっていないところでこそこのような抽象性で現れるのである。
・(p305)同じ諸範疇が種々の社会段階で違った地位を占める事の例としては、次のようなものがある。即ち、ブルジョア社会の最近の諸形態の一つである株式会社がそれである。しかし、これは、ブルジョア社会の初期にも、特権を認められ独占権を与えられた大商事会社として現れている。

・(p305)国富の概念そのものも、17世紀の経済学者たちの見解には、富はただ国家の為だけに作り出されるもので、国家の力はこの富に比例するという考え方-一部は18世紀の経済学者たちにもまだ残っている考え方-として忍び込んでいる。これこそは、富そのものと富の生産とが近代国家の目的として告知され国家がただの富の生産の為の手段でしかないものとみなされる事のまだ無意識的な偽装的な形態だったのである。

・(p305)区分は明らかに次のようにされなければならない。

(1)一般的な抽象的な諸規定。従って、それらは多かれ少なかれすべての社会形態にあてはまるが、しかし以上で説明した意味でそうなのである。(2)ブルジョア社会の内部編制をなしていて基本的な諸階級がそれに立脚している諸範疇。資本、賃労働、土地所有。これらのものの相互関係。都市と農村。3つの大きな社会階級。これらの階級のあいだでの交換。流通、信用制度(私的)。(3)国家形態でのブルジョア社会の総括。・・・「不生産的」諸階級。租税。国債。公信用。人口。植民地。国外移民。(4)生産の国際的関係。国際的分業。国際的交換。輸出入。為替相場。(5)世界市場と恐慌。(p306)
 
以上、「経済学批判への」序説 ⑤ 【三】経済学の方法(2) 了  2017.8.14