欠食児童はいなかったか | 花のしもべ日誌

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登場人物 
リコさん 花づくりに占領されたご婦人 1948年生まれ
えっさクン 何もしたくない人間 1941年生まれ

23/7/21(金

岡山県浅口市 小さな団地の小さな庭

リコさん&えっさクン 157才

 

秋の雲に見えますが

暑い

鴨山朝景 えっさクン家から

 

真夏は黄色が元気です

西日の当たる岩の真ん前なのにへこたれません

 

ミニヒマワリ

 

名前もいい

夏だ

 

しりとり 花&食・・・

きのうの酒 から続く

欠食児童

 

えっさクン

小学校入学は昭和23年

 

山口判事餓死事件の翌年だ

Wikipedia

(超要約)

闇米を取り締まる立場にあった山口判事

自身 闇米を食さず配給食糧だけで生活し栄養失調で死んだ

 

同級生は18人

東京から疎開してきた子供が3人おった

 

欠食児童はいなかったのだろうか

 

弥彦山から越後平野展望

大雑把な親父さんからお借りしました

生家はこの平野の中心辺り

 

えっさクン村は越後平野のど真ん中だ

敗戦直後であっても米だけはうなっていた

 

しかし

 

疎開一家は田んぼの一枚もない

 

雄太郎の一族は銀行オーナーだった

1929年の世界大恐慌に襲われ破産した

 

広い屋敷に残った本家に疎開してきた

納屋を改造して住んでいた

 

父親は代用教員になった

 

 

昭夫はえっさクンの又従弟だ

小さな店を開いて暮らしていた

 

もう一人は女の子なので記憶がない

 

えっさクン帰省の度に

昭夫とは顔を合わせていたのだが

 

「ちゃんとメシ食っていたんか」

「イジメられなかったか」

 

聞きそびれたままだ

もう会う機会はない・・・思う

 

欠食児童 - Wikipedia

明日のへつづく