人間が眠っているときの、ベッドに横たわる物質的身体とエーテル体の内部に宇宙空間・大宇宙から入ってくる流れは、よく調べてみると、非常に興味深いものです。この流れは、人によって異なります。
実際、眠っている人のなかに流れ込むものの独特の色合いが、道徳的な質をよく示しています。低い道徳的原則で生きている人には、高い原則で生きている人とはまったく異なった流れが見られます。昼間に自分の本心を隠しても、なんにもなりません。高次の世界の諸力に対して、人間はうわべを装うことはできません。
道徳的でない原則に少しでも傾斜している人のなかには、赤茶色系の輝きが絶えず流れ込んでいます。高い道徳的理想を持つ人には、藤色・菫色の輝きが現れます。
起床時あるいは入眠時に、上から下に流れるものとの相克が、松果腺のあたりで行われます。人間が目覚めているとき、知的な要素が光の形をとって、下から上に流れます。そして、本来の道徳的・神秘的な性質のものが上から下に流れます。・・・利口だながら低い原則で生きている人の場合、松果腺のあたりでの相克は激しくなります。高い原則で生きていて、知性が流れてくるなら、きらめく光が松果腺のあたりに静かににひろがるでしょう。
・・・静かな輝きが松果腺を包むのは、道徳的な気品を表しています。道徳状態が人間のなかに反映されます。静かな輝きは、しばしば、心臓のあたりにまで広がっていきます。このように、大宇宙からの流れと小宇宙の流れが人間のなかに示されます。
この二つの流れが人間のなかで出会うことによる影響は、知性・美・道徳という三極において示される心魂のいとなみが上方の脳から下方の心臓に流れてくるとともに、大宇宙における相応の現象が目の前に導かれるときに明らかになります。こうして、さきに心魂のいとなみについて外面的に述べたことの意味すべてが明らかになります。
人間の心臓のあたりで、血液が絶えずエーテル実質に変化しています。同様の経過が大宇宙においても行われています。
私たちは、目をゴルゴダの秘儀に向け、キリストの血が傷口から流れるのをみるとき、この変化を理解します。・・・
その血が流れ出て、地球に流れ込むことによって、ある実質が地球に与えられました。この実質が地球と結合するのは、地球の将来にとって最も意味のある出来事です。・・・
・・・その血は地球進化のなかで、エーテル化のプロセスを辿ったのです。私たちの血液がエーテルとして心臓から上に流れるように、ゴルゴだの秘儀以来、地球エーテルのなかに、キリストのエーテル化した血が生きているのです。・・・これは重要なことです。
・・・ゴルゴダの秘儀依頼、下から上への流れのなかに、キリストのエーテル的な血の作用が流れ込む可能性が絶えず存在しています。
地球のエーテル体のなかにナザレのイエスのエーテル的な血が存在することによって、心臓から脳へと流れるエーテル化した人間の血液と一緒に、ナザレのイエスのエーテル化した血が流れます。先に述べたものだけが人間のなかで出会うのではなく、人間の血液の流れとキリスト=イエスの血の流れとが出会うのです。
この二つの流れは、キリスト衝動のなかに含まれているものを人間が正しく理解するときにのみ結合します。そうでないときには、この二つの流れは衝突して、たがいに反発します。
地球進化のどの時代にもっとも適した理解の仕方においてのみ、私たちは正しく理解できます。キリスト=イエスが地上に生きていた時代には、彼の先駆者ヨハネのところに集まり、福音書に書いてある形式で受洗した者たちが、事実を正しく理解しました。彼らは罪すなわち前世のカルマを変えるため、そして、地球進化の最も重要な衝動が一個の物質的身体のなかに下ったということを認識するために、洗礼を受けました。
人類進化は、さらに前進します。今日、私たちは精神科学的認識を受け入れねばならないことを洞察し、心臓から脳に流れるものを人智学的に理解することが重要です。その結果、20世紀から把握され始めるもの、パレスティナの物質的キリストに対するエーテル的キリストを、人間は受け入れることができます。
「黙示録的な現代」p32