生方美久脚本の『いちばんすきな花』を観て何やら新たな「袖振り合うも多生の縁」では?と考えてしまった。

 

「私」が「私達」に?誰かに練習を強要されて「1人称複数」になるもんじゃない。また、「1人称複数」って彼氏・彼女とか結婚とかのGoalにならなきゃならないものではない。ネットにボールが刺さる気持ちよさはわかるのだが、それは何も彼氏・彼女とか結婚でなくてもいいわけだ。「達成」とか「結果にコミット」って人にとやかく言われることではない。彼らはみえないサッカーボールを蹴っている?みえないネットを揺らしている?いや、違う。彼らはちゃんとみえてるボールを蹴ってるし、みえてるネットを揺らしている。音だって聞こえる。ひとつ違うのは思い思いのそれぞれのボールやネットに触れているのだ。そう。偶々「どうですか?一緒に1個のボールを蹴ってみませんか?お時間あります?」のそれだけのこと。その「それだけ」が回を重ね、長い長い時間となり、季節となり、何十年となる。別に社会に背を向けたわけじゃない。まぁ、ちょっと1/3位に半身に構えていたら、眼線があって話し込む。そういうことだ。わたしとあなたが出会うとはそもそもそういうことだろう。最初から関わる社会やら世界を意識して話し込む必要はないのだ。既に作られたことなのにオリジナルにみんなのために考えました?と声高に語られると正直引く。collectiveであることの必要はない。・・・みんな、違う花なのだから。・・・世の中とか、社会とか、親とか、学校とか、に無理やりではなくとも、こうした方がいいよ、無難だよと言われて乗ったチームワークという名の電車…真っ赤な大噓ではないけど…この電車、かなりの欠陥車輛だった…まぁ、結果論、だけど。

 

…人生の「節目」って乗り合わせた電車で偶々誰かと長く話したかということ、では?

…それもちょっと違うな

…むしろ行くはずもなかった逆方向の電車

…それに乗り、偶々降りた駅で美味しい珈琲の店をみつけること

…日を改めて再度訪ねてみる…一度目程ではないけど…まぁ、美味しいかな?だったこと

 

…「まぁ、美味しいかな、」は感動ではないけど…持続性では◎になることが多い。

 

…このドラマは、そういうドラマである…まぁ、結構面白い。