第2回は、小~中学生時代の同級生の結婚式と同窓会の話。
そもそもこれらの催しは、「仕方なく」を学ばされ余儀なくされた原点回帰にたち戻る顛末である。
「仕方なく」決められた席に座ってたなれの果ての群れなのになんか期待してしまうのは、ひとの「性(さが)」である。
群れに生きるというつもりもなく、まぁ、やむを得ずどれかの集団に属し続け来ても、
やっぱり「仕方なく」は仕方ないものだったということか?
このドラマはここまでは、井戸端会議の枠内を大きくは出てはいない。しかし、その延長がみたい、と思った。
何より多部未華子の学習塾教師がそうであるように、彼女の集団に生きる「裏目読み」が繊細ながらしたたかなのが面白い。「しかできない・しかない」女の子達と「しかない」男の子達。
関係性という表現があるが、その「性」はよくいうそっちの方の性の繋がりではなくて、幾つになっても幾つもある、人の「性(さが)」ではないだろうか?coreなことがあるはずだ。
「裏目読み」ってその人にとっては「表読み」?じゃないか、と思った。
その個「性」の集まりは、あだ花という言葉のネガティブな意味を変えてしまえばいい、と私は思った。
あだ花って実はちゃんと咲いているんじゃないのか?私はそう思った。
「ひとり咲き」は凛々しくみえることがある。
