第1回目を観た段階で私は以下のような感想とも批評ともつかないことを書いたりしたのだが、何やら面妖な気分になった。
・・・・・・【第1回のふたりの少年と、少女の窓越しの距離感を見るにつけても、その眼差しの力学と関係性がくっきりと彫られているのが印象に残る。
そう。ひととひとの距離感、もうひとりの私を引きずり続けるわたしが、わたしではなく、はっきりと違う、真っ赤っかな他人のあなたを好きになるということ?】
・・・・・・まぁ、私は頻繁に「もうひとりのわたし」云々をひとつ覚えのように使うのではあるが、ふたりの少年とひとりの少女の関係性が第一回の予兆だったのだが、回を経るに辺りひとりの少女にはふたりの少女が居て、双方が反発かと思えば共鳴に淘汰するかのように思えるややこしさが回を経るに辺り最近の展開である。この捻れた関係性は堂に入って来た。・・・つまりは、・星砂(松岡茉優)という女の中にふたりの女が居て、ふたりの男達の為に心を眼玉のように動かし動かされるという事である。
・・・・・・まぁ、大分第1回目を観た際の私の記述とはかけ離れてはいるのではある、が。
・・・・・・何を言いたいかと言えば、ひとが人を好きになるということは、あなたという真っ赤な他人という、“EXIT”に進みつつあるということ、では?・・・想いとそれに突き動かされるアクションは紛れもなく、「外に向かって放出」されているというわかりきった話、なのであるが。このドラマの中では内→外への勢いが螺旋のように捻れながら迸る。まるで夏の日に庭の植物に水をやる為に捻れたホースのように、だ。・・・“Body feels EXIT”という昔のヒット曲のタイトルを最初に聞いた時に、この表現ありか?と思ったものだが、言いえて妙な、そうとしかいえないような感じだと今は思う。・・・そう。出口を身体が探している・・・心がそうさせている、のだ。
・・・・・・そう。” introvert”(内向的)→"extovert(外交的)"になった。
・・・”Comingout”とはそういうことでは?
・・悠日(仲野太賀)の兄・朝陽(毎熊克哉)もまた、雪松署長(伊藤英明)に出会って、
初恋のときめきを覚え、“extrovert”になったのだ
・・・初恋に裏切られたと思った、朝陽の心情は?・・・推して知るべし
再度また私の初回時のものだ。何度も恐縮である。
【警察を舞台としながら、異色な人間関係がなぞられる。「らしさ」と「らしくなさ」は天敵のようでありながら、無二の親友になるのである。警察「らしくない」ことが「らしく」なり、嫌いなことが好きになること?そんな風に彼らは出会った。】
そうなのだ。もはや「らしさ」と「らしくなさ」の区別など何の意味もなく、お構いなく進むのである。
警察署長なのにとか・・・裏方事務職だとか、・・・怯えた少年だからとか関係ないのだ。
・・・・・・犯罪は非日常であったはずなのに、日常に胡坐をかいている?
・・・・・・おにぎり食べながらの凶行?・・・・・・それはないだろう、いくら何でも。
・・・・・・犯罪とは螺旋で絡み合いながら、突然に豹変をみせること?
・・・・・・彼らの“extrovert”・・・意味も動機もわからない
・・・???の連鎖、だ。
