去年の今日はこれを書いていたのか・・・・・

・・・新シリーズも始まった

・・・妄想チックな像と現在の正しい像とがすれ違いながらも、刑事と犬とが視線を通わせ、視線等位置で向かい合うべきだという自由さに伸び伸びすることが鉄則であることにオダギリジョーは自覚的であることが素晴らしい。そして、刑事・青葉の心象風景を演じる彼の着ぐるみの着こなしのかったるさが何やら退廃の匂いまで感じさせるのだから愉しくなるのだ。ヤニくさい犬?しかも警察犬?それを人間が演じる?

 

 

『オリバーな犬、 (Gosh!!) このヤロウ』は、オダギリジョーが主演・脚本・演出を手掛けた刑事ドラマである。チャップリン並みの自作自演であり、独特のアングルでドラマを創造する才覚に溢れている。何しろ、彼が演じるのは、警察犬であり?、まぁ、着ぐるみ刑事とも見える内容であるが、その悪ふざけには紛れもなく虚構が宿っている。・・・・・・警察犬が主役で、刑事がバディ・・・・・・物の例えをそのまま描写するとは?・・・・・・妄想擬きの客観?・・・・・・意味混沌とした表現が思いつく・・・・・・この主観・客観きちんと使い分けること?・・・・・・それが妄想それ自体としても愉快である。

 

何しろ、着ぐるみで経って歩くのであり、横になる場面はあるが、前者の方がかなり多い。何やら『オズの魔法使い』等の着ぐるみ演劇のようでもあり、そこに活劇の予感が関わるのであるから、相当に込み入った作風である。私が眼を瞠ったのは、池松壮亮演じるバディの刑事との視線の位置である。ほぼ、等位置である。まぁ、元々この刑事・青葉が、オリバーなる警察犬が、人間のオジサンにみえ、煙草吸って管を撒いたり、ふてたりするのは、他の人間にはみえない一種の心象風景以前の妄想に過ぎない。しかし、この妄想が独り歩きするかのように、あーだこーだと、雑多な会話をするのであるが、妄想チックな像と現在の正しい像とがすれ違いながらも、刑事と犬とが視線を通わせ、視線等位置で向かい合うべきだという自由さに伸び伸びすることが鉄則であることにオダギリジョーは自覚的であることが素晴らしい。そして、刑事・青葉の心象風景を演じる彼の着ぐるみの着こなしのかったるさが何やら退廃の匂いまで感じさせるのだから愉しくなるのだ。ヤニくさい犬?しかも警察犬?それを人間が演じる?この退廃は、フランス旧作の『美女と野獣』のような詩情?にスラップスティックな迷走が掛け合わされたようでもある。石井輝男の地帯シリーズのようなノワールチックな夜の街。まぁ、永瀬正敏も登場して来たし、EGO-WRAPPINの歌もまたいいので、『濱マイク』シリーズも連想させる。でも、根本は異なると私は思う。着ぐるみ装ったかったるい活劇?そもそも走るのにそのコスプレ邪魔になりそうだし、狭苦しいノワールの街にはタップンタップンではないだろうか?でも、この頭でっかちになりがちな妄想が、頭突きばりに街の障壁を砕き、ナイスバディになることだろう。このかったるいけど、一度火が付いたら手に負えないこと?・・・・・・これがオダギリジョーのアングルに相違ない。期待している。