森下佳子脚本の『ファースト・ペンギン』(第1回)を観て思ったのは、何故彼女がこのドラマを新作として選んだのか?ということである。漁業という男ならではの仕事。荒波は、3次元に立っているはずの私達の象徴のはずが、まさかの停滞・沈滞。また、何故か停滞に馴れ合いの折り合いを付け、そこに立っていることが生きていることの証なんじゃないの?的な無意識の考え、或いは座して死を待つスタンスに対する激高を正面から描いている。要するに、改善意欲も何もない。明日という日が普通に明日また、来ると思ってるひとたち。明日は普通に来るとは限らないのは、もういろんなことで知ってるはずなのに。・・・・・・主人公・和佳(奈緒)の日頃は卵のような滑らか輪郭が凄味を利かせた「変化」もまた、これまでの森下佳子のドラマの数々のドラマにおける男達以上の心意気を女性が屹立していることの延長線にあると思う。
停滞・沈滞。座して死を待つような場所・・・こんなに魚が美味いのに?主人公・和佳は嘆きに嘆き、起死回生の策に出る・・・漁業第6次産業化?・・・生産*加工*販売/流通・・・第二次産業X第三次産業とは?
・・・・・・漁業の幅・奥行を高さ化するということであるが・・・私は、6次という意味では、これは意欲を失ったただ、ボーっと立つ男達の持つ3次元・・・それをX2で=6次元化することではないかということである・・・そんな次元はないのだが、止まった3次元の男気を失った男達を男に直すこと?戻すこと?・・・幅も奥行すら正直ない・・・お薄い絆とやら・・・それで繋がっているだけ
・・・X2の意味をちゃんと明らかにしてみる・・・私も考えてみる。
まぁ、最近の日本テレビに多い、荒療治ドラマ?ではあるが、このドラマは森下佳子脚本だけに、単あるガンバリズムではなることはないと期待する
・・・「・・・神は乗り越えられない試練は与えない」・・・森下佳子がこれまでのドラマで苦境にある主人公達に投げかけて来たその言葉・・・私が、X2で6次元化すると言ったのはバディの数である・・・別に2名だけということではない・・・何かの対立とか相容れないことを超克すること・・・そう、それだけバディの数が増えること・・・X2の数を増やすこと・・・
話し手(自分)に対して、聞き手(相手)のことを 「あなたたち」、「君たち」などと表するのは、二人称複数
・・・・・・ここで対になるのは?・・・・・・話し手(自分)自身を含む眼の前の全体のひとたちことを 「私たち」、「僕たち」、「俺たち」などと表するのは、一人称複数。
主人公・和佳が最初に漁師たちに心を動かされたのは、魚を好きでなかった彼女の息子が「美味しい」ということに始まる・・・シングルマザーの彼女と息子・・・・・・根本がX2である。
このドラマ、X2の果てに構築される高さを望むのでは?・・・いつか二人称複数から一人称複数へ、と。
・・・・・・数年後の息子の声で説話的に語られる
・・・・・・「母は」の一人称単数→「僕たち親子」の一人称複数のベースがある。
主人公・和佳の放った言葉が余りにも激しいので、「高み」への志を感じた。
