『ファースト・ペンギン』(第4回)を観て、主人公・和佳(奈緒)の奮闘が何を意味するか?を更にまたまた考えてしまった。何故こんなに考えるのだろう?私には彼女の採算を度外視したかのような「ロマン」には正直ついていけない部分がある。実話とはいえ、この過程では、彼女の「ロマン」は空転では?と正直なところ考えてしまうのだ。まぁ、それは彼女の孤軍奮闘が、今のところは「独りよがり」に見えてしまうからなのだろうが。いずれ、彼女の「ロマン」を実体感あるものにする、深さ・幅・高さが出て来るには違いないとは思う、のだが。漁師たちの和佳の友人の女性たちの知恵が串刺しになる、それが「深さ」。不揃いながら彼らは集まり結集し、知恵の群れを成す、それが「幅」。では、「高さ」とは?言うまでもなく、数字である。
・・・・・・前回書いたことなのだが、『ファースト・ペンギン』で描こうとしているのは、これまでに脚本家・森下佳子が描いた仰角の「天」とその視線が立つ「地」の果てしない距離感とは違うかもしれないが、瀬戸内?→東京間の、新幹線を使えば毎日移動・往復できるのだけど、どうにもなり難い距離ではないかということである。搬送するボックス内の魚の傷み具合、それは手が届きそうで届かない隔たった距離ではないかと思うのである。・・・私には、傷んだ魚が、破れかけた知佳の夢の藻屑にもみえた。そう。傷んだ魚は、無惨の象徴にもみえなくはない。私には、この「みえなくはない」の位置が良いと思うのである。明確に過剰に例えるのではなく、傷んだ魚の佇まいと、彼女の無茶な「ロマン」の暴走が、「並列」の位置で、そこに「ある」程度の控えめな例えなのが良いと思うのである。今回は、東京で何か夢破れて帰郷した若い漁師たくみ(上村侑:好演!)に重点が置かれるが、知佳にしてもたくみにしても、何に夢破れたのかなかなか推し量ることが出来ないのだ。まぁ、たくみの場合には、東京に馴染めなかったことが、漠然ながら深い傷を与えたということである。・・・そう。彼はそこに「ある」ものに馴染めなかったので、そこに「いる」ことができなかったのである。
港町に居る面々。彼らは紛れもなくそこに「ある」。
「深さ」・「幅」・「高さ」を湛えながら、そこに「いる」ことになるには、まだまだ前途多難である。
何故か?・・・「深さ」・「幅」・「高さ」がなければ「実体感」にはならず、つまりは「実話」には遠すぎるからである。・・・ボーッとしたジワジワ感からやがてあぁ、なるほど、そういう「実話」があったんだなぁ、と近づくこと?・・・それが、ドラマではないだろうか?
