去年の今日はこれを書いていたのか・・・・・
・・・このドラマが素晴らしいのは、過去に起きたことであっても、「現前」として描いていることである。・・・「現前」といえば今回は息子・優の陶酔感が半端なく良かった。・・・元カノの結婚式で会った謎めいた女性・ほのか(宮澤エマ)・・・彼女に虜にされた優の眼線の陶酔感が素晴らしい。
今回は、息子・優の陶酔感が半端ない位良かった。相葉雅紀は陶酔の眼線と表情を演じることにおいてアクターとして稀有な魅力があるのでは?と観ている間ずっと考えていた。
据え膳食わぬは男の恥・・・欲しいものは自分のものにする・・・二律背反だな、矛盾だらけの男の哲学・・・実際は一貫性のないただの事情でもあるのだ、が・・・それでも歳を経る毎に苔むすこともある・・・人それを重厚と呼ぶ?・・・人知れず、プライドとエゴを自身の外側と内側に繋がるように縫い付けること?・・・なんか、エンブレムにみえなくもない・・・恰好つけば、活力全開!・・・そのエンブレムはひとり咲きの刺繍では?・・・そうそれでいい・・・男は結構縫物が得意だったりする・・・祖父・寛(段田安則)と父・秀平(佐々木蔵之介)は結構なその道の達人である・・・では、息子・優(相葉雅紀)は?・・・まだ、苔の種まきあたりか・・・人生100年時代だ・・・焦ることはない。
このドラマが素晴らしいのは、過去に起きたことであっても、「現前」として描いていることである。例えば、祖父がプールサイドで出会ったバカンスが、草刈民代の存在感ある身体と所作として、追想であることを感じさせない、恰も今現在起きて眼の前に今みえますよ、として描いていることである。紛れもなく祖父による終わったバカンスの追想なのであるが、それを聞いている孫・優がその実在を3Dのように体感しているのが素晴らしい。回想とは過去に起きたことであるが、現在と五分五分の立ち位置になければインパクトはない。何故か?それを追想している祖父の顔と表情はいま・ここに「現前」しているのであり、そのバカンスの顛末と草刈民代の身体をありありと幻視ではなく脳細胞ひとつひとつが今も渇望しているかのような表情であるからである。・・・それでも・・・据え膳食わぬは男の恥・・・を貫いた男の哲学やら美学やらが・・・皺皺ながらも・・・活き活きと呼吸しているのが・・・苦渋に満ちたダンディズムである・・・紙幣の価値は皺の数ではないが・・・男の値打ちは・・・皺か?・・・まぁ、そう思えなくもない。
「現前」といえば今回は息子・優の陶酔感が半端なく良かった。・・・元カノの結婚式で会った謎めいた女性・ほのか(宮澤エマ)・・・彼女に虜にされた優の眼線の陶酔感が素晴らしい・・・ヒッチコック映画『めまい』で謎の女性・キムノヴァクに魅了されるジェームススチュアートの陶酔感の眼である・・・欲望の対象が眼の前にあること・・・そのようにアクションを禁じられた感?・・・いや、彼女をみることでしか、わたしがいまここにいません的な・・・我を失います・・・それでも僕は構いません的な理性の失い方が何やら・・・「現前」の魅惑といま・ここの認知喪失が映画のようであった。そう。『めまい』はサンフランシスコが舞台でスペインのエキゾチックな建物がさらに欲望を尖らせてしたのであるが・・・この、ほのかという女性も建物マニアであった。・・・東京の建物・・・遠くのものが欲しくなる彼女・・・何故、父親と祖父と会っていたのか?・・・嘘だろ、全部嘘だと言ってくれよ・・・そう思った、か?・・・知らなくていいこと・・・いや、知りたくてたまらないこと・・・凄く年上興味ないの・・・嘘だろ、遠くのものの方が欲しいと言ったのに・・・近いこと?遠いこと?・・・彼女は双眼鏡で近いとこみてた・・・近いようで遠いような・・・遠いようで近いような・・・それが欲しいのか?・・・“Where am I ?(ここは何処)・・・・・・嫉妬の螺旋をわざわざ身に纏ってみる・・・”These things happen.”(そういうこともある)
正しい欲望、いや欲動の使い道?
・・・そんなの知らないよ・・・知るわきゃない。
・・・だから、混乱した・・・我を失った・・・青春映画としても、このありかたは定石なのであるが・・・このパターン不変であり、普遍だと私は思う。
正しい欲望、いや欲動の使い道?
・・・それって以下ふたつの黄金比率では?
・・・据え膳食わぬは男の恥・・・欲しいものは自分のものにする
・・・祖父・寛と父・秀平は何となく知っている・・・優に伝承するのか?
・・・父・秀平は・・・息子の寝床前のドア越しに不気味な程生真面目に物言わぬ「現前」として立つ。
・・・そう・・・知るべきことは・・・自分で探して学ぶものだ
・・・祖父と父、三人の男騒ぎの中で何を知るか、なのだ。
