『ファースト・ペンギン』を観て、主人公・和佳(奈緒)の奮闘が何を意味するか?

・・・・・・毎回この疑問とも言えない不思議な問いかけが私の頭を過る。何故なのだろうか?・・・・・・今回観て思ったのは、それは、何とも仕組まれたことではないのだが、何か法則がかった運命の糸?が意図されているのではないだろうか?ということである。そう。何か登場人物達が、操り人形のようなぎこちなさを感じるのである。この感じは決して悪い感じではなく、オフビートではないのだが、「不思議な不自然」とでもいうべき風情なのである。

 

今回観て思ったのは、脚本家・森下佳子の「・・・神は乗り越えられない試練は与えない」の視線が、天から地上に舞い降りた観があるということである。そう。私が注目したのは、片岡(堤真一)の亡き妻(中越典子)の視線である。ペンギンを愛する彼女の遺志或いは意思が働いて様々なことが働いているのではないだろうか?彼女の遺児・琴平祐介(渡辺大知)は、生さぬ仲の義父・片岡と仲違いしていた。医師になった彼は、その蟠りから故郷の漁業再生を想い、主人公・和佳が息子の喘息のことで来院を重ねるうちに、ペンギン好きの彼は主人公・和佳とその息子と動物園を楽しむことになる。目当ては勿論ペンギンである。・・・亡き妻の遺恨・・・漁業の衰退・遺した息子と夫・その仲違い。積もった遺恨をペンギン好きの輪が紡ぐこと?その中で医師・祐介は女性を愛することが出来ないことをカミングアウトする。

 

・・・お魚ボックスに多種類の魚が詰まるように生き方はそれぞれである。

 

不思議な不自然は独特なリズムに思えて来た。生きること、それは天衣無縫ではない。ギクシャクを重ね重ねやがて自然に近づくのではないだろうか?