将門塚

 

平将門の乱の後、

将門は自らを"新しい天皇”を意味する「新皇」

と称し始めました。

 

朝廷に反逆したとみなされた将門は

平貞盛の軍と交戦し、下総の地で討死。

その首は藤原秀郷により

平安京の七条河原で

さらされることになりました。

 

この話にはもう一つ、

語り継がれている逸話があります。

平安京でさらされた平将門の首は、

数ヶ月経った後も

目を開いたり閉じたりを繰り返し、

ときには「首を繋げて再戦したい」

と叫ぶなどして

民を恐怖に追いやりました。

 

その後、平将門の首は怨念により

故郷の東国に向かって飛んでいき、

その途中の土地土地に落ちた、

という伝説があります。

その首が落ちた場所の一つが、

ここ「将門の首塚」なのです。

 

更にその伝説は続き、

その後13世紀になると首塚は荒廃し、

平将門の亡霊は怒り

江戸の民を祟ったと言い伝えられてきました。

 

祟りを恐れた江戸の民は、

また改めて手厚く

平将門を供養することにしたそうです。


なお、塚そのものは関東大震災後、大蔵省再建の際に崩されています。

 

ちなみに「将門塚」があるこの土地は、

江戸時代の大名、

酒井雅楽頭の上屋敷の中庭でした。

その中庭は、山本周五郎の歴史小説

「樅の木は残った」の、

原田甲斐の刃傷事件の舞台となっています。

 

また「将門塚」以外にも、

千代田区には「神田明神」や「築土神社」など、

平将門の所縁の地があります。

 

〜千代田区HPより〜

 

 

 

 

 

 

 

NHK「歴史探偵 平将門 平安の反逆児 」

の視聴率がものすごくよかったそうです。

 

大河ドラマ「光る君へ」

NHKプラスの視聴者数が好調で

歴史好きとしては2024年は

平安旋風が巻き起こってほしいと

願っております。

 

上掲のHPにもあるように

呪いの話や怨念の話が飛び交うようですが

実際そのような怖いお話ではなかったとか。


 

そして、この土地自体が

パワースポットだそうです。

 

 

皇居が聖地なので

土地のパワーが流れて

きているのかもしれません。

 

 

 

 

 

パワースポットは長時間いると

体によい作用が働くそうですが

こちらの場所は敷地がせまいので

わたしの場合は参拝したら

長居は控えてすぐ帰ってます。

見上げれば、ビル。

カラスの眷属さんがいるそうです。

 

 

 

帰りに日本橋三越へ寄ってきました。

 

大正3年に誕生した東京名物ライオン像。

 

 

 

 

ロンドンのトラファルガー広場にある

ネルソン記念塔の下の

4頭の獅子像がモデルとされています。

 

 

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noix de beurre (ノワ・ドゥ・ブール)

焼きたてフィナンシェを買いました。

かなり、並びます。

 

 

焼きたては、外側がカリっとしていて

中がじゅわっとするフィナンシェです。

 

 

 

 

将門塚 

住所:東京都千代田区大手町1-2-1