なぜ僕が30代の極度のうつ病から脱出できたのか? | デスペラード・ミズタの発達障害ラジオパーソナリティー奮闘記

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発達障害(ADHD)持ちで精神障がい者三級の手帳を持っています。仕事は交通誘導警備員として働いています。発達障害があっても一般社会で生きて行けることを証明していくためにブログ発信しています!よろしくお願いいたしますm(__)m

世間では今日からお盆休み明けというところが多いかと思う。

僕の方は昨日の15日が休日出勤だったので11日から14日までがお盆休みだった。

しかし、猛暑の中での連日の警備の仕事とボクシングのトレーニングの疲れがいっぺんに出てしまい、お盆休み期間、ほとんど寝っぱなしだった。

30代の時に精神科の先生に言われたことがよくわかった。30代の時は極度のうつ病でフツーならドクターストップなのだが「あんたの場合は家にいたら余計に悪くなるから、就労のストップはしない」と言われたことがある。

今の警備会社に入社して年末年始やお盆休みなど大型連休が取れるようになった。8年半いた警備会社はスーパーや商業施設などの交通誘導警備だったので、大型連休取れるなんてことはまずなかった。

前回、言葉足らずだったので30代の極度のうつ病からなぜ生還できたのか?をもう少し書こうと思う。

それまで印刷や工場系の仕事にこだわっていたのだが、最後にクビになった工場で仲良くなった人の前職が警備員で話し聞いて行ってみてダメなら障がい者枠で探そう!と思ったらうまくはまった。

今もそうだが、警備員のなり手が少ないことから、試用期間で切られるということがなかったことが助かった。

僕の場合は元々、物覚えが極端に悪いことと、発達障害の特徴である臨機応変の対応ができないことからことごとく使用期間でクビになるか辞めざるを得なくなっていた。

警備員になっても物覚え悪いのは相変わらずだったが先述したなり手が少ないため、僕が覚えるまで待ってもらえたのが大きかった。

一般的に発達障害の方は一度覚えると伸び代が一気にくる。

それで入社して3年目で役職に就いた。それから交通誘導二級試験受けるチャンスをいただいて2回すべったものの、3度目の正直で何とか合格できた。

ちょうど会社が持っていた彦根の方の現場が交通誘導二級指定現場だったので2,3年行かせてもらった。

そこで滋賀県出身の元WBC世界バンタム級チャンピオン・山中慎介さんと出会ってボクシングやる方を勧めていただいて今もボクシングやっていて今日に至る。

彦根出張に行ったことによってボクシングとラジオの人脈が広がって僕にとって彦根という地が大きな分岐点になった。

もし交通誘導二級取れずに彦根呼ばれてなかったらボクシングやる方もなかったし、ラジオパーソナリティーになることもなかったと思うとある意味、ゾッとする。

9月に彦根に行く予定があるので楽しみだ。彦根の空気を吸ってリフレッシュしてボクシングの方は年内二戦予定しているので、連勝できるよう心身鍛えていきたい!!