昔は子どもに飲ませる牛乳をどこで買ったらいいのと、牛乳の共同購入がはじまる。

加えて、団地には、共稼ぎの人がすごく多く、幼稚園や保育園とかも圧倒的に足りない。

そういう現実があって、その中で、居住者たちは、連携を組まざるをえなかった。

そうして幼児教室も自分たちでつくった。

もう一つは、過去の因習とか、古い共同体に縛られない「民主主義第一世代」であったこと。

大家族、下町の人情、農村の共同体を、経験してきた人たちだった。

おそらく連携を組むことの重要さ、ノウハウを持つ人たちが入ってきた、ということもたぶんあったんだろうと思います。