私は口臭、ワキガ持ちのアラフォーワーママです。これまで臭いに翻弄され、試行錯誤して生きてきました。
私は40年間、自分の放つ臭いと付き合ってきました。そのなかで、たくさん傷ついてきました。
でもそれは仕方のないこと。
恨み節はないんですよ。
傷つくことの多い人生だったからこそ、絶対的に自分の味方になってくれて、自分を受け入れてくれる人が傍にいてほしかった。
そしてそれが親であったなら・・・私はもっと強く生きていけた気がする。

私の母親は、私が小さい頃、私の口が臭いから、話したくない、と拒否したことがありました。
私は母親にコミュニケーションを拒否されたのがすごくショックでした。体調悪いの?って気遣ってほしかった。
私の母親は悪い人ではないんです。けど、思慮が浅いところがある。先程の話したくないって言うのも深く考えずに言ったのだと思う。
なぜなら、母親は口臭やワキガが全くない。母親の家系は皆そう。

母は母で小さいころから体型などの容姿に悩んでおり、そのことで傷ついた経験が多かったとのこと。だから、外見のことはすごく敏感だった。人の外見を揶揄することや、する人をすごく嫌った。
一方で、臭いには縁のない家系で、くさい自分に悩む、なんてことがなかったから、臭いの悩みは自分事としては考えられなかったのだと思う。

私が思春期になり、登校拒否気味になるほど臭いに悩みだして、やっと事の重大さに気づいたようだった。
もちろん、私は母の言った「話したくない」という発言に対して、母を責めたことはないんですよ。むしろ二度と口にも出したくない思い出だしね・・・。
(なぜかブログには書けるけど)
おそらく、これまでの私への臭いに関する自分の対応を後悔したのでしょうね。
思春期以降は、私が母に「私くさい?」って聞くと必ず
「ぜーんぜん!臭くないよ!」と大袈裟に言うようになりました。
もうそれすら信じられなくなっていたけどね・・

中学生のころかな。
いとこの家に遊びに行ったときの話。
いとこ、いとこの母、私、私の母の4人で何気ない談笑をしていた。すると、いとこがそういえばねーとおもむろに話し出した。
いとこ(中学生女子)のクラスに、体臭と口臭のキツイ外国人のクラスメイトがいること。
すごく独特の臭いがして、合唱の練習のとき隣になると吐きそうになって歌えない、ということ。

そのいとことは盆暮れ正月ぐらいにしか会わない関係でしたから、おそらく、私の口臭やワキガには気づいていないらしく、単なるちょっとした笑い話(といっても失礼ではあるけど)として話したようだった。
もちろん、そこに臭いで悩む私への遠回しの嫌みのような悪意はなかった。いとこたちは私の悩みは知らない。
私がもし臭いに全く悩まない無臭の人間ならば、その話しに
「ハハハ、それは困ったねー」なんて軽くリアクションしたのかもしれない。
でも、私は笑えなかった。返す言葉がなかった。

気まずそうにしている私の顔を見て、さすがの母も察したのだろう。
すごく真面目な顔をして
「いや、でも体調が悪かったりするのかもしれないし」
などと、会ったこともないその外国人のクラスメイトのフォローをし始めた。
しかし、いとこ、そしていとこの母は、何でそんな真面目なリアクションなのよ、と言わんばかりに、
「いや、たまにならわかるし、我慢できるよー。でも毎日臭いんだもん、大変だよー」
と無邪気に言った。

母も頭の回転が早いわけではないから、精一杯私が傷つかないように考えたんでしょうね。
すごく切ない思い出です。
臭いに悩む人間として、小さいころからいろんな経験をして、私が思うこと。
それは、私がもし、母親の立場で自分のような娘がいたら、臭いの指摘はするだろうけど、拒否はしない。
大好きだよ、いつでもあなたの味方だよって伝え続ける。
本人が希望すれば、ですが、病院に行って原因を調べる。そして、効果がある臭いケアのグッズは惜しみなく渡したい。
希望すればもちろん、手術や脱毛もサポートする。

これは私が母にしてほしかったことでもある。
当時はインターネットも普及してなくて、情報がなかったし、ましてや田舎でしたから、医療機関も少なかった。出来ることは今よりもずっとずっと限られていたかもしれない。
けど、とことん子供の味方になって、受け止めてあげることはいつの時代でもできるもの。

臭いを気にする子供にとって、母親のリアクションや対応は想像以上に大きな影響をもたらします。
「話したくない」と言われたことは、いまだに私の心に釘のように刺さって、たまに痛みだします。

だから、もしお子さんが臭いで悩んでいたら、現実的なサポートとともに、大好きだよ、味方だよって伝え続けてほしいなと思います。

