戦後最初のショパン国際ピアノコンクールの覇者達

 第1位次席 ベラ ダビドヴィッチ

 

 

ショパン ピアノコンチェルト第1番

第1楽章  YouTubeから

 

同 第二楽章

  彼女の亡命前後の頃の録音かと思います。

(同 第3楽章がYouTubeで見つかりませんでした)

 

 

ダビドヴィッチは旧ソ連のアゼルバイジャンの首都バク生まれ、モスクワ音楽院在学中にショパン国際ピアノコンクールで第1位になり、同音楽院の教授にも就任。1976年にバイオリニストの息子のために亡命し、78年アメリカ国籍を習得し、以降はアメリカでコンサートと音楽院で教鞭をとっています。(日本人ではYouTubeでも活躍しているピアニストでピアノ教師として大勢の生徒がコンクールに入賞している、長島 達也氏の先生でもありました)

 

 

 

ショパン国際ピアノコンクール第1位首席

ハリーナ チェルニー ステファンスカ

ピアノコンチェルト第1番

 第3楽章は29分40秒辺りから

この音源のCDは持っています。(DENON)

ピアノに同じく東欧圏のブリュートナーを使用していますので、スタインウェイより少し淡白な印象に…。

(カップリングのグリーグのピアノ協奏曲の方がよりブリュートナーらしい硬質な響きがしています←写真のピアノもその鉄骨からブリュートナーです)

 

H.C. ステファンスカの第1位首席は政治的な力が⁉︎

…当時のLiveが無いので何とも言えませんが、

ショパンピアノコンチェルト第1番で聴き比べてみると…、第1楽章は良い勝負⁉︎、第2楽章のロマン薫る濃い歌い回しはダビドヴィッチの優位⁉︎ …そのまま逃げ切るか!…と思われましたが、ショパンのピアノコンチェルト第1番.第2番の第3楽章にはポーランドの舞曲のリズムが散りばめられており、アゼルバイジャン生まれの彼女の独特のリズム感は…ショパンじゃ無い⁉︎…、

 

淡々と弾きながら、最後はポーランド人のハリーナ チェルニー ステファンスカが抜き去り圧勝‼︎ この自然と弾けるリズム感ばかりは他国人には出せません。彼女はポロネーズ、マズルカの達人とも言われています‼︎

後に、ショパン国際ピアノコンクールで第二位になった日本人、内田 光子さんや前回の反田 恭平さんも…素晴らしい演奏をしながらも…。

ハリーナ C. ステファンスカはショパン国際ピアノコンクールの審査員の常連となりましたが、例のブーニン フィーバーの時にも、彼のワルツはショパンのワルツでは無い!コサックダンスだ‼︎と酷評していましたが(次席だったB.ダビドヴィッチにも言っているのかなぁ…とも感じられます) 

 

追記)

ステファンスカのモノラル録音のショパンピアノコンチェルト第1番が長い間、ディヌ リパッティーの演奏と間違えられてEMIより発売されていました。英国のFM番組へのリスナーからの投書から検証番組が有り、その後に、EMIが彼女に正式に謝罪した事がセンセーショナルとなり、東欧圏だったことも有り、西側ではショパン国際ピアノコンクールの覇者である事も忘れられて⁉︎居た彼女の西側への再デビューとなり、以降、日本にも何回も来日し、ショパンのマヅルカ全集も日本でYAMAHA CFⅢSを使って富山県でレコーディングしています。

 

 この音源が多分、ディヌ リパッティーの演奏と間違えられたものでは…と。

USA.セラフィムの外盤のリパッティーのショパンの1番のLPを持っていて、(リパッティーの演奏だと思い)一番多く聴いたので…、只、当時はリパッティーのLPは数集めていたので、ピアノの音色に少し疑問が有ったので…、リパッティーの音⁇(USA製作はコピー原盤の為なのかなぁ…と⁇)

リパッティーはベヒシュタイン又はスタインウェイを弾いた筈と…、最高音域の響きが違う様な…。

 

この演奏のLPだと記憶しています。(家の建て替えの際に4/5のLP盤及びオーディオセットは3DKの賃貸マンションに持ち込めず、処分してしまいましたので)贋作⁉︎は処分してしまいました↓  YouTubeから

 ショパンピアノ協奏曲第1番 V.スメタナーチェック指揮 チェコフィルハーモニー管弦楽団   1955年モノラル録音  

 


1958年 ワルシャワフィルハーモニーと共演

  pf. H.C.ステファンスカ  初期ステレオ録音

第二楽章に音飛びあります。YouTubeから

 


…(リパッティーの演奏と思って)一番聴き馴染んでいたショパンのピアノコンチェルト第1番なので、この演奏を聴くと、(最初の第1楽章から)ステファンスカの圧勝‼︎と思えてきてしまいます。

(後のアルゲリッチの優勝Liveよりも上手い‼︎と)


(ディヌ リパッティーの演奏と間違えられた音源はエアーチェックされたオープンリールテープからのもので、それを(未亡人)奥様も確認の上で、発売…)

 いつも書いていますが、モノラル音源の方がピアノの音が太くて好きです!

 リパッティーは使うピアノはベヒシュタイン又はスタインウェイなので 音質が違うと思うのですが…。


チェコの録音はピアノがチェコの名器ペトロフ(エクストラベース付き90鍵) …ペトロフを知ったのはDENON 

PCM録音でスークトリオ1970年代なので、古いペトロフの響き(戦前⁈)は分からない。

同様に戦前のブリュートナーなのか(豊かな低音の響き)

高音域の鈴の様な鳴りは4本弦のアリコート⁉︎

戦前のブリュートナーの響きはdigital録音された1900年頃のものしか知らないので。

ベーゼンドルファーだとすると旧型275の90鍵(最低音Fファ)豊かな低音の響きと独特の高音域の鋼の響き⁉︎

…候補としては知らないペトロフか戦前ブリュートナーなのかなぁ…と、ベーゼンは第三候補。

チェコのプラハはハプスブルク家の夏の離宮が有った所で、ペトロフは 埃立った(ローカルな)ベーゼンドルファーとも呼ばれる。ウィーンのピアノの鉄骨はチェコで製造が殆どで、ペトロフはベーゼンドルファー275の鉄骨に良く似ている。92鍵を下2つ鍵盤を減らして90鍵とした!(鉄骨製造委託でスケーリングを真似された⁉︎) …、特に第3楽章でのピアノの響きが特徴的でスタインウェイでは無いし、ベヒシュタインとも違う。


ワルシャワ録音の初期ステレオ録音は、調律曲線がフラットに聴こえるので、共鳴アリコート弦付きのブリュートナーの旧型か、又は、最高音域に独特の鋼の響きが在る様にも感じるので(特に第3楽章では)旧型ベーゼンドルファー275かと。

(ベヒシュタインは上記の調律曲線を少し広めに取る)

(スタインウェイのベルサウンドシステム&カポ ダストロ バーの響きとも違う)

 

 


 

ベラ ダビドヴィッチのYouTube Live動画から

ショパンピアノコンチェルト第2番

NY 国連会議場からニューヨークですが、ピアノはハンブルク スタインウェイを使用。

  第3楽章は25分25秒辺りから

 

 亡命者でもある彼女が鉄のカーテンの無くなった、その時期に国連本部での演奏者に選ばれた事にも意義が…。

 

ショパンピアノコンチェルト第1番

  第3楽章は32分50秒辺りから

 全体に かなり ゆっくり目の演奏ですが、ハマると何回も聴きたくなる演奏です。第二楽章の濃くて美しい響きも、この味わいは日本人には出せません。

(新型のハンブルク スタインウェイから旧型の世界一と言われた頃の響きを醸し出すそのテクニックにも…)

 

スペインマドリードでのTV録音です。スペインでは拍手喝采‼︎…アゼルバイジャンとはヨーロッパの東西の果ての国、独特のリズム感は共に共通理解された‼︎

 

どちらも古いビデオなので映像、音に乱れが有りますが…。第三楽章は聴き慣れたリズムとは、やはり違いを感じます。

日本にも1度来日⁉︎…NHK響とのショパンの1番を聴いたと記憶が…。(日本ではショパンコンクールの覇者を讃える感じの反応では無かった様な…)

 

 

第二席のベラ ダビドビッチの方を多く取り上げてさたのは、(日本では異端⁉︎亜流系ですが)似たピアノの弾き方をしているプロのピアニストなので…。

 

私自身は転居もあり、生涯に?3人のピアノの先生に就いているのですが、東京音大を出られた先生の先生はモスクワ留学 (フランス→ロシア系→亡命アメリカで指導系)

ショパンに発して、リストの重力奏法…がロシアに伝わり(ロシアでは後に鋼鉄のタッチ系に進化?変化⁉︎) と(フランス→地中海を渡り?東欧 ハンガリーリスト音楽院→ピアニストがアメリカ亡命で指導系)

悪く言うと100年前の奏法…でも私の若かりし頃の日本で主流は明治に100年前の奏法(つまり200年前の)…ベートーヴェン.チェルニー+…伊藤 博文はフランツ リストに、東京音楽学校(旧芸大)での教鞭をと乞うたが、リストは当然断り、ユーラシア大陸の東の果ての国に来たのは彼の低い弟子の方で…、手首を上げて掌に卵を握った様な 古くさい弾き方が 明治から100年掛けて日本中に広がり、戦後の昭和ではそれが主流でした。(昭和の先生は怖いので⁉︎ それが出来ないと手の甲をバシっと指揮棒で叩かれたり!) …私の先生は幸い手は出ずに口数でしたが(禍には ならぬ様は気をつけましたが…、)

外国人ピアニストの演奏を見て、弾き方が一番似ていたのが、ダビドビッチ女史の演奏でした。

 

ショパンは どう弾いていた?…少ない記録によると、両手はハの字の形で 鍵盤の上を まるで蛇が口を開けて動いている様だったとか‼︎(彼女の手の動きも…そんな感じです!)←例の卵を握る弾き方とは違い、親指が真っ直ぐに伸びていて、親指は手首の近く(隠れた第三関節から、他の指と同じく第三関節から動かせて弾く為です)卵を握る弾き方では親指は第一関節を曲げるので、親指だけ第二関節から動かしてしまって、他の指とは動作、音色が違ってしまう害が生じるからです。

ショパンもピアノメソードを作ろうと草稿を残しましたが、未完に終わってしまいました。

 

リストの風刺画には腕を頭より高く上げてピアノを叩いて(鍵盤の壊れる様の) が有りますが、鍵盤に指が触れた瞬間に脱力しているので叩いていません。(日本でも理解されず、一打入魂的な…ブッ叩きストが多かった事か‼︎…それも昭和)

鍵盤に指を置く(弱い音は手の重量を利用して音を出す)

鍵盤を押す(そのスピードを上げる為、鍵盤を押すスピードの調節の為に腕を上げる高さが変わります)モーツァルトは膝から先で、ベートーヴェンは肩から先、ショパン.リストは上半身を、ラフマニノフは全身を(場合によっては椅子から少し腰を浮かせて)弾くと、(その点はフランス系は厳格に⁉︎結構厳しく)習いました。作曲家毎の演奏.表現の様式は、きちっと守って弾く…が昭和の指導方でした。

 画を描いた人や一般聴衆には、それが分からなかっただけです。

 

(フランス→ハンガリー リスト音楽院→アメリカ亡命系) 日本では楽譜通りに弾く事がクラシックの音楽では、最良の演奏と長く信じられて来ました。

(まぁ没個性です)明治時代の訳不足ですね…、

楽譜通りに聴こえる様に弾く(と何度も言われました)がそれが正しい訳です! どう弾いたかでは無く、どう聴こえたかが音楽での対話方なのです。

…これは別の2人の先生に常々言われた事で、2人の共通の接点はハンガリーのリスト音楽院に留学でした。(普段からもっとゆっくり弾きなさいも)

楽譜通りに弾いている つもり でも その通りに聴こえない‼︎ との指摘が多々でした(汗

その為には、日本人が こうだと思っている、一般的な譜面の読み方とは違うのですが…文字だけでの説明は難しいので…省略。

簡単に言うと 鍵盤を叩く(叩くと怒られました、置く、押す)指腕筋肉の使い方、しいては呼吸法迄も、日本での古くさい主流弾きとは全く逆で、それはアメリカのJAZZのダウンビート、アップビート感とも一致する筋肉の動きを使った弾き方と呼吸。

(日本では理解されなかった⁇がアメリカでは広まっていった⁇…快く迎い入れられた奏法)

 

前回のヴァン クライバーンコンクールでセミファイナリストだった日系フランス人の彼が似た弾き方でしたので、今も細々と残って居る奏法の様です。

(初代の弟子の方達も80.90歳と高齢になり、既に引退時期を迎えています)

日本でも安川 加寿子さんが亡くなられて以降、フランス奏法は、山岡 優子さん (青柳 いずみこ さん←名前違っていたらごめんなさい…最近YouTubeにフランス奏法として 安川さんの弟子としてup沢山しています)らも高齢になって来ましたので、コンサートでもあまりきかないです。(厳密には、このフランス奏法とも違いが在るのですが、フランス-ロシア系は)

 

彼女の演奏で一番のお薦めは実はショパンでは無くシューマン! フモレスケ YouTubeから

 

 …ウクライナ生まれのホロビッツとも共通するペーソスを感じさせる 良い感じの 仄暗さのあるシューマンの演奏です。

 


私は、趣味の世界で、プロになる気など毛頭無かったので…、その程度の練習、演奏で当然理解も…、ですが珍しいのを、日本では亜流な弾き方を習えて良かったと思っています(一応、先生方を6人、前に辿ると何と、フランツ  リストに繋がるそうな!(笑))←日本は家元制度…の好きな国ですから、昭和の先生は(代々引き継いでいるという それも)自慢気味に⁉︎話されて!)

 

今日は↓このピアノとお別れしましたので(ピアノは高田馬場へお嫁入りの為に家を出ました)

 再度のUP. 拙い演奏でお耳汚し…ですが)