友人お勧めの本です。病院牧師としてホスピスに勤める理恵さん、大学で死生学を教える美和さんという双子の姉妹の共著です。
美和さんは、元はジャーナリストとして働いていましたが、急性多発性根神経炎という病気になり、全身麻痺の状態におちいりました。懸命のリハビリの後、死生学を修めます。
理恵さんは、多くの患者さんと出会い、さまざまなことを学びます。自己満足ではなく、本当に病む人に向き合う活動をしておられます。
「あなたは、つらいのですね」と寄り添っても、完全に病気の方の気持ちがわかるわけではない、やはり最後は本人が何をつかむか、なのだとおっしゃっています。「なぜ、自分は病気になったのだ」という問いは、大いなるものの存在を信じることで救いがあると述べられています。わたしは、キリスト教徒ではありませんが、大いなるものの導きというものがある気がします。
いくつか、覚えておきたいことがありましたので抜書きします。
ー神は最後に一番よい仕事を残してくださる。それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。「来れよ。わが友よ、われなんじを見捨てじー(『人生の秋にーヘルマン・ホイヴェルス随想集』
「苦しんでいる人ほど孤独になる」-苦しんでいる人はよい表情を出せない、良い表情が出せないほど苦しんでいる、それなのにそのような人は、周囲から煙たがられ相手にしてもらえない、だから結局苦しんでいる人ほど孤独になっていくのだ」
美和さんの言葉
「自分自身の病気を通して何が大切なものであるかを知りました。それは社会的な地位やお金や名誉というような目に見えるものではなく、実は目に見えない心の豊かさや平安、人間としての生き方、そしてその生き方を根本から支えるものでした」
「死について考えることは、実は豊かに生きることにつながるのです」