食品廃棄の原因(3/18) | sakoのブログ

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日本の季節行事は「食品廃棄の温床」という現実


2月に撮影した、イタリア・トリノ市内大型スーパーの野菜売り場。大量に仕入れすぎたということか、20%オフの大セール中だった(筆者撮影)


お菓子を売るために発明されたと言われるホワイトデー。頂き物をしたら必ずお返しをする、という日本人のお行儀の良さ、義理堅さにピタリとハマり、定着した日本独自のイベントが、今では東アジア諸国にまで広まり人気を博しているという。だがイベント的に食べ物を売り買いするその陰で、廃棄の運命をたどるお菓子たちの存在が気になってくる。その日が目前に迫る今、日本と諸外国の食料廃棄について考えてみた。


「日本VSイタリア」どれぐらい食品を廃棄している?

世界では毎年25億トンのもの食料が廃棄されているという。2011年には13億トンだったというから、10年で2倍になってしまったのだ。この数字は総生産量の約40%、20億人分の食料を捨てている計算になる一方で、8億2800万人、10人に1人が飢餓状態で、31億人は健康的な食事が得られない状態だという(日本財団ジャーナル)。


作っておいて捨てている。世界中の人に十分に足りるだけ生産していながら栄養不良で死んでいく子どもがいる。人間って、自分も含めていったいどこまでバカなんだ、と悲しくなってくる。そのうえ、食べない食品を生産し輸送するエネルギーやコストも無駄にし、CO2の排出に貢献までしているのだ。世界の人口が激増し、食料難の時代がやってくるという近い将来に向けて、廃棄どころかすべての食料をすべての人に配分できるシステムを構築しなければいけないというのにだ。食料自給率が低い日本は、人ごととしてのんびりしている場合ではないのではないか。


農林水産省のサイトに公開されているデータによると、日本では1年間に523万トンもの食料を廃棄しているという(2021年度推計)。国民全員が、1年間毎日114g、おにぎり1個分の食べ物を捨てていた計算になるという。一方私が暮らしているイタリアの廃棄量は、1人当たり年間75g。パスタの1人前が100gとするなら、イタリア国民全員が毎日、1皿のパスタを4分の3も捨てている、そんなイメージだ。ヨーロッパではイタリアより多く捨てているのはドイツとフランスだけだという。


以上のデータを見ると、「日本は先進国の中で食料廃棄が多くて、遅れているんじゃないの?!」と言いそうになる。先進国、と条件をつけるのは、途上国の場合は家庭やレストランなどでの廃棄よりも、生産過程や保存の過程で設備、輸送施設の問題から食料がダメになってしまうケースも少なくないというからだ。だが世界の経済大国の中で、特殊な食環境にあると思える日本を他国と比べてみると、本当に日本は廃棄が多くてダメダメなのか?という疑問も湧いてくる。日本の特殊な食環境の具体例と共に、私が暮らしているイタリアの例を交えて、比較考察してみたいと思う。


トリノのあるスーパーマーケットのパスタ売り場。両側ともぎっしりパスタが並んだ商品棚は、さすがパスタの国。かつては豊富にあるという安心感から、イタリアの家庭ではパスタやパンの廃棄が多かったという。フードロス問題が多く語られる昨今、捨てない工夫をする人が増えているそうだ(筆者撮影)


日本の季節のイベントは食品廃棄の温床

2月の恵方巻き、バレンタインのチョコレート合戦やクリスマスケーキなどなど、経済効果、巨大な利益を狙ったマーケティング戦略に踊らされて、市場を賑わす商品が日本には溢れかえっている。


日本中が大騒ぎをして買い、食べまくり、挙句毎年廃棄が問題になる恵方巻きは、そもそも日本の節分の伝統食ではなかった。私は27年前からイタリアで暮らしているが、東京で生まれ育った私が日本で暮らしていた頃に、恵方巻きを食べたり見聞きした記憶はない。調べてみると発祥には諸説あるのだが、大阪あたりの花街から生まれ、それを広島県のセブン–イレブンが「恵方巻き」という名前で1989年に販売を開始、爆発的に人気を博し全国に広まっていったのだという説が有力ということだ。


魚や卵などの具材も入っているから、売れ残れば廃棄の運命が待っている。それでも多く売りたい企業側は、日付が変わるギリギリに買いに来る客にも対応できるよう多めに生産し、商戦を盛り上げる。その影響で恵方巻きの廃棄が社会問題になったので、最近は予約販売にシフトした意識の高い企業も出てきた一方、コンビニの社員が売れ残りを自腹で買わされ、売れ残りがなかったかのようにカモフラージュをする、などという惨事も起きているようだ。


バレンタインデーで全国民もれなくチョコレート!のような風潮も日本だけの特殊な現象だ。1930年代に「モロゾフ」がバレンタインデー向けの広告を出したのが始まりだとか、1958年にチョコレート会社「メリーチョコレートカムパニー」がバレンタイン用のチョコレートを作り始めたのだという説はもはや有名で、キリスト教世界の本物のバレンタインデーと違っていようがなんだろうが、世界中の美味しいチョコレートが日本に居ながらにして手に入るのだから、それでいいのだ、といったところだろう。ちなみにイタリアでは、フランスやベルギーなどお隣の国の高級チョコレートが簡単に手に入る、なんてことはあまりない。自分の国で作られたチョコレートが一番美味しいと誇りに思い、食べている人がほとんどだ。


イタリアのバレンタインデーは、「恋する人たちの日」として若いカップルから老夫婦までが花束やちょっとした物をプレゼントしあい、お祝いする。特にチョコレートと限らず、好きなものを好きなように贈るし、女性から男性へ、という決まりもない(むしろ男性から女性へ、というケースの方が主流に見える)。最近では「どうも日本ではバレンタインデーにチョコレートが爆売れするらしい」と聞きつけた商売人たちが、バレンタインにかこつけたハートのチョコレートなんかを売ったりしているが、かつての日本で繰り広げられた義理チョコだの本気チョコだの、そういう風習は生まれてこない。


フードロスの問題だけではない

大量廃棄といえば、クリスマスになくてはならないイチゴのショートケーキだ。生クリームやイチゴという、新鮮さが命の食材が使われているから日持ちがしない、だからフードロスの危険が大というだけではない。本来は春が旬のイチゴを真冬に栽培するために、重油を使って温室の温度を上げるからカーボンフットプリントがものすごく高い、というのは記事(3年ぶりに帰国した日本人が驚いた「ヤバい日本人」)に書いた通りだ。


イタリアではクリスマスシーズン中ずっと、パネットーネやパンドーロという発酵生地のケーキを食べる。昔、小麦粉がとても貴重だった時代に、クリスマスのお祝いに食べる大切なご馳走として生まれたケーキだから、日持ちがするようにできている。「パネットーネなんて、あんなにまずいものをよくイタリア人は食べるね」なんていう声を時々耳にするが、それは輸出用の大量生産極安商品を「イタリア直輸入の高級菓子!」とかなんとか騙されて食べた不幸な人たちの意見で、これも日本が食をビジネスのネタに荒稼ぎしまくっていることの弊害かもしれない。天然酵母を使って丁寧に手作りされる本物のパネットーネは、イタリアで買ってもとても高価で、シンプルなのに毎日、毎年食べたくなる美味しさだ。賞味期限は3カ月ぐらいあるので、売れ残っても廃棄されることはない。


イタリアに住んでフードライターをしていて、よく困ることの1つに、日本の編集者の人から「今、イタリアでブームの食べ物を教えてください」などと聞かれることだ。


ちょっと前に爆発的ブームになって驚いたマリトッツォ、今も現在進行中らしいトリュフ、そして古い話で恐縮だがティラミスなどなど、どれも日本ではすごいブームを巻き起こしたらしいが、イタリアでは食べ物があんなふうにブームになったりはしないからだ。


あれだけ日本で大ヒットしたマリトッツォはローマのお菓子だから、そもそも他の州の人は知らないし(ローマから700キロ離れたトリノに住んでいる私も、日本でブームになってから初めて知った)、トリュフはお金持ちのグルメたちが季節になったらレストランへ出かけて行って贅沢に食べるものであって、トリュフ風味のラーメンだのポテチだの、ファミレスでもトリュフだのと、富豪から庶民まで右へ倣えと食べまくる日本の現象は不思議としか言えない。


ティラミスは今も昔も大好きで、ブームが去ったからもう食べないなんていうことはまったくなく、ずっと愛され続けている。だから爆発的に製造して、ある日、急に飽きられて廃棄されることもないし、流行に乗った店舗自体ができては消え、消えてはできる、なんていう反持続可能性な現象もあまり起きない。


食品の種類が多すぎる日本

日本は商品の数が異様に多いこと、そしてどの商品もパッケージデザインが凝っていて魅力的なことも、海外から見たらびっくりする点だ。


イタリアにはコンビニがないから、日本に一時帰国する度に面白くて、ついフラフラと入ってしまうのだが、そんな時、毎回のように驚くのが、たとえばお茶や清涼飲料水など、飲み物類の種類の多さだ。緑茶ひとつとっても、同じような商品のメーカー違いが何種類も並んでいる。種類が多いだけでなく、ボトルのデザインやネーミングも凝っていて、ついつい手に取り、あげく買いたくなってしまうのだ。


世界中で人気の「ヌテラ」のコレクション瓶。私が暮らすピエモンテ州生まれ、ヌテラを生み出した「フェレロ」が繰り出す、季節やイベントごとにデザインが変わるヌテラのパッケージ。イタリアで数少ない「必要ではないけれど買いたくなってしまう」食品だ(筆者撮影)


このついつい買ってしまうという、購買意欲を掻き立てる現象は、飲み物に限らず、日本のデパートやスーパーにぎっしりと並ぶあらゆる食料品に言えることだ。必要以上に何種類もあるお茶の類や、本当に効果があるのか怪しいヘルシードリンクの数々、日本の子どもは虫歯が多いと言われるにもかかわらず溢れかえる清涼飲料水たち。


それらは生活を楽しくしてくれるかもしれないが、イタリア人から見たら、ちょっとtoo much感が否めない。イタリアでは喉が渇いたら水、お茶は家やカフェでゆっくり淹れて飲む、食事の時は水かワイン、というのが一般的だからだ。いつでもどこでも好きなものが飲めて、食べられる便利な暮らしを追求した結果、日本には商品の種類が溢れかえった。その結果、売れ残ってしまうもの、賞味期限が切れてしまうものなどなどが続出し、廃棄の運命をたどることになるのではないだろうか。


日本人のDNAに宿るMOTTAINAI精神を

イタリアでは(おそらく他の欧州諸国でも)、こと食品に関して言えば、みんなが買っているから、流行っているから、自分も買わなければ、という強迫観念のようなものはあまりない。流行のようなものはもちろんあるが、みんながそれに飛びつく、ということはない。流行ろうが、流行っていなかろうが、自分の食べたいものを、必要な分だけ買って食べていればいい、そう考えていると思う。それでも国民全員が毎日75gの食料を廃棄する。


一方の日本はあふれんばかりの魅力的な食料を買って買って買わされまくり、その結果として114gを廃棄する。この2つの数字をどう捉えたらいいのか。日本人はイタリア人よりもずいぶんたくさん捨てていると考えるのか。それとも、莫大な資本主義の誘惑にさらされながらも日本人のDNAに宿るMOTTAINAI精神を発揮して1人114g、世界のワースト14位にとどまっていると考えるべきだろうか。


スーパーの果物売り場。カラフルで一目、わーっと目を惹くが、よく見るとレモンとオレンジばかりで、種類はあまり多くない(筆者撮影)


(宮本 さやか:フードライター)


https://news.livedoor.com/article/detail/26014783/


土用の丑の日とかのウナギなんかは

売れ残っているだろうなぁと思います。