連休の全国大会予選では、市の第一代表になることができました。うちの市からは、四チームが県大会に進みます。その後の県大会では、残念ながら決勝で負けました・・・・・・少年野球は七回戦なんですが、そのときで、0対0。その後は促進ルールに進みます。促進ルールというのは、延長戦をワンナウト満塁から始めます。一番バッターが三塁ランナー。二番バッターが二塁ランナー。三番バッターが一塁ランナー。四番バッターが打席に入ります。まあ、点数を入れやすくするわけです。これでも、八回まで決着がつかず、九回にうちにミスが出て負けました・・・・・
ただ、うちは準優勝なので全国大会には出られませんが、うちの近くのたくさんの県のチームが集まる、〇日本大会に出ることになりました。近くの都会で開かれます。この大会は、優勝することができました。久しぶりの全国大会とはなりませんでしたが、それなりの結果を残すことができて僕は満足でした。
うちのチームは、三年生からしか入部を認めていません。低学年から入れているチームもありますが、うちは普段、平日の練習は、ほとんど僕しかいないので、怪我が心配なのです。だから、三年生からしか入れないようにしています。最初は、投げられない、捕れない、走れない、打てないから始まるのが普通です。ここから少しずつ、毎日少しずつ進歩するように練習メニューを組んでいきます。一歩ずつ、少しずつ練習を続けていきます。六年生になるときには誰もが、運動能力に関係なく、野球がある程度できるように鍛えます。野球はかなり特殊なスポーツです。待つ時間がかなりあります。サッカーやバスケのように常に動いていなくてもいいのです。ということは、運動能力に優れていない子でも、必ず守ることができるポジションがあります。努力をすると誰でも、報われるスポーツだなと僕は思っています。あと、僕は一学年に10人以上は入れないようにしています。実はこの年、近隣からたくさん入部希望者が、試合結果につられて来たのですが、指定小学校以外からはすべて断りました。あと、先着で10人を決めてそれ以外は断ることにしました。結果だけを求めるのなら、違うやり方もあるのでしょうが、僕は、僕が住んでいる地域の子ども達に野球を好きになってほしい・・ただ、それだけでやっているので、こういうやり方になってしまいます。
僕の練習は基礎練習を徹底的に行います。試合形式の練習もやることがありますが、それだとレギュラーメンバーだけの練習になってしまいますし、時間が無駄になるので、ほぼ基礎練習です。それでも、子ども達は上手になっていきます。僕は、少年野球で早い時期からレギュラーを決めて、実戦練習ばかり行い、レギュラー以外の子にはボール拾いばかりやらせるチームが・・・・嫌いです。
基礎練習よりも前に子ども達にきちんと教えることがあります。ユニフォームの着方、かっこよく着ることができるようにしっかりと教えます。あとはあいさつ、グランド整備です。
これ、実は僕が子どものときから教えられてきたやり方とほぼ正反対だと思います。でも、僕はこのやり方を続けていこうと思います。野球が好きで入ったのに、まともに教えられないなんてそんなに悲しいことはないと思うからです。
ただ、僕の練習は厳しいです。妥協は許しません。できなければできるまで何度でも、やらせます。泣いたって許しません。例えば、五六年、塁間キャッチボール、100周程度、できなければ、次の練習はやらせません。塁間キャッチボールっていうのは、ホームから、一塁、二塁、三塁、ホームとそれぞれのベースに立ってキャッチボールをします。誰かが悪送球をしたり、捕れなかったりすると、0周からやり直しです。これだけで練習が終わることもあります。
・・・・・・・・僕は、野球の指導法かなり悪戦苦闘しました。選手でやるのと指導者では全く別だったからです。
僕が少年野球の指導を始めたのは都会の二校目の学校からでした。最初の学校は全校生徒9人しかいなかったので、難しい・・・
都会の学校に赴任して、野球少年団のチームがあるのは知っていました。めちゃくちゃ弱いチームだったことも。
僕は最初、野球の指導者を志して、教員になったのにも関わらず、そのことは無視していました。僕には教員として学ぶことがたくさんありすぎて、時間がなかったからです。
ただ、夏休みに、父兄対教員のソフトボール大会があり、僕は若手ということもあり、無理やり駆り出されていました。実は僕は野球経験者だということは黙っていました。人数合わせということもあり、僕を経験者だということも知らないうちの教員たちは、僕をライトで9番におきました。
ライぱちならぬライ9かよ・・・・手を抜いていればよかったのに、僕は結構・・・ムカついていました。他の先生たちのプレーがあまりにだらしなかったからです。三年のブランクがあるとはいえ、僕は大学まで体育会系でバリバリやっていたからです。
お、来ました。ライトゴロ。僕はファーストに投げて、アウトにしてしまいました。バックホームも、らくらく、低い球でノーバンで投げてしまいます。
他の先生「僕先生やってたの・・?」
僕「はい、大学まで野球部です。」
僕は途中からサードに入りました。
バッティングでは、全打席ホームランで、気分良くなっていました。
ソフトボールの遅い球をホームランにしても、自慢にはなりませんが、僕も若かったなー・・・
我慢できなかったんです。
数日後、父兄がやってきました。
「僕先生、うちの弱小野球部の監督になってください。」
僕「ええーーー。僕はまだ教員の勉強をしている身なので、そんなことはできません。」
「ぜひーーーお願いします。」
ちなみにこのときに頼みに来たのが、あの寿司屋のOさんでした。
あらー野球の話ばかり書いてしまいました。すいません。
ただ、次回からは、S先生話に戻ります。野球の話は又落ち着いたらじっくりと・・・


ただ、うちは準優勝なので全国大会には出られませんが、うちの近くのたくさんの県のチームが集まる、〇日本大会に出ることになりました。近くの都会で開かれます。この大会は、優勝することができました。久しぶりの全国大会とはなりませんでしたが、それなりの結果を残すことができて僕は満足でした。
うちのチームは、三年生からしか入部を認めていません。低学年から入れているチームもありますが、うちは普段、平日の練習は、ほとんど僕しかいないので、怪我が心配なのです。だから、三年生からしか入れないようにしています。最初は、投げられない、捕れない、走れない、打てないから始まるのが普通です。ここから少しずつ、毎日少しずつ進歩するように練習メニューを組んでいきます。一歩ずつ、少しずつ練習を続けていきます。六年生になるときには誰もが、運動能力に関係なく、野球がある程度できるように鍛えます。野球はかなり特殊なスポーツです。待つ時間がかなりあります。サッカーやバスケのように常に動いていなくてもいいのです。ということは、運動能力に優れていない子でも、必ず守ることができるポジションがあります。努力をすると誰でも、報われるスポーツだなと僕は思っています。あと、僕は一学年に10人以上は入れないようにしています。実はこの年、近隣からたくさん入部希望者が、試合結果につられて来たのですが、指定小学校以外からはすべて断りました。あと、先着で10人を決めてそれ以外は断ることにしました。結果だけを求めるのなら、違うやり方もあるのでしょうが、僕は、僕が住んでいる地域の子ども達に野球を好きになってほしい・・ただ、それだけでやっているので、こういうやり方になってしまいます。
僕の練習は基礎練習を徹底的に行います。試合形式の練習もやることがありますが、それだとレギュラーメンバーだけの練習になってしまいますし、時間が無駄になるので、ほぼ基礎練習です。それでも、子ども達は上手になっていきます。僕は、少年野球で早い時期からレギュラーを決めて、実戦練習ばかり行い、レギュラー以外の子にはボール拾いばかりやらせるチームが・・・・嫌いです。
基礎練習よりも前に子ども達にきちんと教えることがあります。ユニフォームの着方、かっこよく着ることができるようにしっかりと教えます。あとはあいさつ、グランド整備です。
これ、実は僕が子どものときから教えられてきたやり方とほぼ正反対だと思います。でも、僕はこのやり方を続けていこうと思います。野球が好きで入ったのに、まともに教えられないなんてそんなに悲しいことはないと思うからです。
ただ、僕の練習は厳しいです。妥協は許しません。できなければできるまで何度でも、やらせます。泣いたって許しません。例えば、五六年、塁間キャッチボール、100周程度、できなければ、次の練習はやらせません。塁間キャッチボールっていうのは、ホームから、一塁、二塁、三塁、ホームとそれぞれのベースに立ってキャッチボールをします。誰かが悪送球をしたり、捕れなかったりすると、0周からやり直しです。これだけで練習が終わることもあります。
・・・・・・・・僕は、野球の指導法かなり悪戦苦闘しました。選手でやるのと指導者では全く別だったからです。
僕が少年野球の指導を始めたのは都会の二校目の学校からでした。最初の学校は全校生徒9人しかいなかったので、難しい・・・
都会の学校に赴任して、野球少年団のチームがあるのは知っていました。めちゃくちゃ弱いチームだったことも。
僕は最初、野球の指導者を志して、教員になったのにも関わらず、そのことは無視していました。僕には教員として学ぶことがたくさんありすぎて、時間がなかったからです。
ただ、夏休みに、父兄対教員のソフトボール大会があり、僕は若手ということもあり、無理やり駆り出されていました。実は僕は野球経験者だということは黙っていました。人数合わせということもあり、僕を経験者だということも知らないうちの教員たちは、僕をライトで9番におきました。
ライぱちならぬライ9かよ・・・・手を抜いていればよかったのに、僕は結構・・・ムカついていました。他の先生たちのプレーがあまりにだらしなかったからです。三年のブランクがあるとはいえ、僕は大学まで体育会系でバリバリやっていたからです。
お、来ました。ライトゴロ。僕はファーストに投げて、アウトにしてしまいました。バックホームも、らくらく、低い球でノーバンで投げてしまいます。
他の先生「僕先生やってたの・・?」
僕「はい、大学まで野球部です。」
僕は途中からサードに入りました。
バッティングでは、全打席ホームランで、気分良くなっていました。
ソフトボールの遅い球をホームランにしても、自慢にはなりませんが、僕も若かったなー・・・
我慢できなかったんです。
数日後、父兄がやってきました。
「僕先生、うちの弱小野球部の監督になってください。」
僕「ええーーー。僕はまだ教員の勉強をしている身なので、そんなことはできません。」
「ぜひーーーお願いします。」
ちなみにこのときに頼みに来たのが、あの寿司屋のOさんでした。
あらー野球の話ばかり書いてしまいました。すいません。
ただ、次回からは、S先生話に戻ります。野球の話は又落ち着いたらじっくりと・・・