2年後にの受験を見据えて最も効率の良い勉強をすれば、目の前のテストでは少し点を落とすかもしれない。
目の前のテストでベストな点を取るための勉強が、遠い未来で活きるとは限らない。
オリンピックのエンブレムでは、目の前のテストでも点を取り、さらにそれが遠い未来に活きるようなデザインが求められているのかもしれない。
華やかでわかりやすいデザインは、熱烈に受け入れられる代わりに飽きられるのもはやい。
地味だが普遍的なデザインは、良さがわかりにくく受け入れられずらい。
どっちつかずのデザインは最悪だ。
未来を見通し、さらに目の前の課題もクリアする。これは当たり前のようで難しい。
エンブレム単体ではなく、それと連動したキャンペーンなどまで考えれなければ不可能ではないかとさえ思う。
けれどそんなことをすれば、また利権だのムダ遣いだのと叩かれるかもしれない。
キャンペーンそのものに反感を持つような人々も存在するだろう。
「真に優れたエンブレムなら宣伝など必要ないはずだ」と
けれど完璧なものなど存在しないのだ、キャッチーで普遍的で日本的でオリンピックの精神を表し、国際的なイベントにふさわしいレベルのデザイン性があり、わかりやすく、見た瞬間デザインのコンセプトが伝わってきて、似たものは存在せず、作者は生まれてこのかた1ミリの悪事も働いておらず、色盲の方にも配慮し...
そんなものは存在しない。
何をとってなにを捨てるか。
そのバランスの問題だ。
あるいは複合的に展開するか
単体で万能なものはないのだから。
もちろん、画像盗用が常態化しているようなデザイン事務所の代表では勤まらない仕事だし、審査過程や選出理由をもっと分かり易く説明する必要はあるだろう。
それでもわかってほしい、デザインとは瞬時に理解できるものだけではないのだ。最初は大していいと思わなくてもだんだん馴染んでいくような、そういうものもデザインなのだと...
