天使が迎えに来てくれる? そのためにはどうしたらよいだろうか? その3 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日は主に創世記のソドム滅亡の話を取り上げて説明した。
今日はヨシュア記の「エリコ攻略」の話を考えていこう。


これも本でもブログでも何回も取り上げて説明したところだ。
まず、重要なことは、これを「ユダヤ人の過去の歴史物語」として読んでいくのではなく、天使の「創作的預言」として読んでいくことである。


それで、ヨシュアというのはイエスのヘブライ名であり、同じ名前なのでイエスの予型である。
だから、ヨシュア率いるイスラエル軍とは天使軍団(天使的未来人)の暗喩でり、カナンの地(約束の地)とはこの地球の暗喩である。
そして、カナン人とは地球人の暗喩である。


ヨシュア記というのは、ヨシュア率いるイスラエル軍の「国盗り物語」であるが、これは、

預言的には「天使軍団の地球奪回計画」を告知したものである。
ここでは、悪魔軍団は出てこないように思われるが、カナン人は「悪魔崇拝(バアル信仰)をしていた」という形になっている。
「カナン人(地球人)は悪魔崇拝をしているから成敗しなければならない」
という理屈だ。

 

そのヨシュア記の中でも第6章までが「エリコ攻略」という話である。
このエリコという町が地球の暗喩であり、エリコの住人が地球人の暗喩である。


それで、ヨシュアはカナンの地に侵入する前に、まず、二人の斥候(スパイ)をエリコの町に侵入させて町を探らせた。
この時、ヨシュア率いるイスラエル軍はまだヨルダン川の東側にいる。
ヨルダン川はカナンの地の境界になっているから、ヨルダン川の東側とは約束の地の外側、つまり宇宙を暗示している。
天使軍団がまだ宇宙にいる時に二人の斥候が派遣された、というのだ。

二人の使者はイエスの昇天から再臨、携挙までの間の期間に出現して任務を果たすのである。

 

この二人の斥候とは、ヨハネの黙示録11章の「二人の証人」の予型であるから、ここで「二人の証人がどういう働きをするのか?」
ということが説明されている。

 

それで、二人の斥候はエリコの町に入るが、ラハブという遊女の家に入った。
そこにエリコの王が来て「二人の斥候を差し出せ」と命じた。
すると、ラハブは機転を利かせて「その二人はもう出て行きましたよ」
と言ってやり過ごした。
ラハブの家は城壁の上に建っていたのだが、夜になるとラハブは二人の斥候を起こして、城壁に網を降ろして、二人の斥候を町の外に逃がした。

この時ラハブは、何故か二人の斥候がヨシュアから派遣されて町を探るために町に入ったことを知っていて、更にもうじきイスラエル軍が侵入してきてエリコが滅ぼされることも知っていた。
それで、二人の斥候を逃してあげたのだが、その時に、「エリコが滅ぼされる時に自分達の家族を助けて欲しい」、ということを申し出る。
交換条約だ。


ここの話はかなり簡略化されているので「何で?」というところが沢山あるが、とにかく原典のまま(日本語訳のまま)読んでいこう。
その中にこのシリーズのテーマに関係している重要な記述があるのだ。

 

2:17ふたりの人は彼女に言った、「あなたがわれわれに誓わせたこの誓いについて、われわれは罪を犯しません。
2:18われわれがこの地に討ち入る時、わたしたちをつりおろした窓に、この赤い糸のひもを結びつけ、またあなたの父母、兄弟、およびあなたの父の家族をみなあなたの家に集めなさい。
2:19ひとりでも家の戸口から外へ出て、血を流されることがあれば、その責めはその人自身のこうべに帰すでしょう。われわれに罪はありません。しかしあなたの家の中にいる人に手をかけて血を流すことがあれば、その責めはわれわれのこうべに帰すでしょう。(ヨシュア記)

 

二人の斥候は、「イスラエル軍がエリコに侵入する時には、家族を家に入れておきなさい、外に出してはいけない」
と命じたのである。

 

そして、第6章にいよいよイスラエル軍がエリコを攻略して町を滅ぼすシーンが描写されている。
先の記述はその伏線だったのだ。

 

6:21そして町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした。
6:22その時ヨシュアは、この地を探ったふたりの人に言った、「あの遊女の家にはいって、その女と彼女に属するすべてのものを連れ出し、彼女に誓ったようにしなさい」。
6:23斥候となったその若い人たちははいって、ラハブとその父母、兄弟、そのほか彼女に属するすべてのものを連れ出し、その親族をみな連れ出して、イスラエルの宿営の外に置いた。
6:24そして火で町とその中のすべてのものを焼いた。ただ、銀と金、青銅と鉄の器は、主の家の倉に納めた。
6:25しかし、遊女ラハブとその父の家の一族と彼女に属するすべてのものとは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブは今日までイスラエルのうちに住んでいる。これはヨシュアがエリコを探らせるためにつかわした使者たちをかくまったためである。 (ヨシュア記)

 

イスラエル軍がエリコに侵入して住人を皆殺しにしている時に、ヨシュアは二人の斥候に、
「ラハブの家に行って、その家にいる全ての者を助け出しなさい」
と命じ、二人の斥候はその通りにした。
ラハブと事前に交わした約束を守ったのである。
結局、エリコの町で助かったのはラハブの一族だけだった。

 

このエリコ攻略の話は今までさんざん読んでいて本(1999年に発売した「ノストラダムスは知っていた」)でも取り上げて説明したところなのだが、
「二人の斥候を助けたラハブが約束通りに救出された」
ということばかりに気を取られていて、その救出方法が意味するところまでは気が回らなかったのである。

 

どこを読み流してしまったのか?
というと、
二人の斥候が、ラハブの一族にイスラエル軍侵入の時には「家にいて外に出るな」と命じたことと、二人の斥候がラハブの家に直接迎えに行って、中に居た一族を助け出した」
というところだ。

 

「主(ヨシュア=イエス)が町を探らせるために二人の使者を派遣し、この二人の使者をかくまい、助けた者だけを救出した」
という点はソドム滅亡の話と同じである。
ヨシュア記で違うのは、
「二人の斥候を助けたラハブに、『その時には家で待機していなさい』と命じて、家まで迎えに行って救出した」
というところだ。


ヨシュア記の方がより詳細に説明されている、といえる。
これは何を意味しているのだろうか?

「二人の使者=二人の斥候=二人の証人、であり、それがノストラダムスとその後継者である」
とは説明した。


この二人は常に一緒に行動している。
「そのうちの一人はこうして、もう一人はこうした」
ということは全くない。
二人いるが、あたかも一人のように描写されている。

 

さて、ヨシュア記で明かされているのは、
二人の斥候は、「その時には家で待機していなさい」と命じて、ヨシュアの指令によって、二人が揃って直接ラハブの家まで迎えに行って救出した。
という点だ。

 

それに、ヨシュア(イエス)は二人の斥候に指示を出しているだけであり、義人(ラハブ)救出に携わっているのは二人の斥候である。
ラハブがヨシュアと会うのは救出された後である。


これは、

「実際の義人救出に働くのは二人の使者であり、義人がイエスと会えるのは救出された後である」、

ということを意味しているのではないか。


この構造をよく理解しなければならない。
キリスト教徒がただ(イメージ上の)イエスに祈ったところで、イエスが直接助けてくれる訳ではないのである。

ただ「イエス様を信じなさい」とだけ言っても無駄である。

 

さて、このシリーズが扱っている問題に移るが、義人(ラハブ)は、
その時=イスラエル軍侵入の時=審判の時=携挙の時にどうしていただろうか?
家から出て、どこかで「迎えに来て下さい」と祈っただろうか?
そう念じた、テレパシーを発しただろうか?
というと、そうはしていない。


ただ、自分の家に居て迎えが来るのを待っていたのである。
家で「迎えに来て下さい」と念じていた訳でもない。
何故なら、二人の斥候は自分の家を知っているから念じる必要もない。
ただ、ひたすら家に籠って救援が迎えに来るのをじっと待っていたのである。

 

この話をもう直ぐ予定されている携挙の実態に当てはめて考えてみよう。
どこかの広場か公園に行って「迎えに来て下さい」
と祈る=テレパシーを発する必要はない。
ただ、家に居て迎えが来るのを待っていればよい。

となる。

 

しかし、そのためには条件がある。
まず、二人の使者を助けていなければならない。
それと、二人の使者に自分の家の場所、自宅の住所を知らせておかなければならない、

ということだ。


天使としても、義人の居場所=自宅の住所を知らなければ迎えに行きようがないのである。
〇〇県〇〇市というだけでは広すぎて探しようがない。
普通の人がいくら念じても、そのテレパシーは天使には届かない、と考えられる。
「祈り、念じ」というのは無駄、無意味である。
ということは・・・