ノストラダムス 3-50 トランプ大統領出現の予言だと噂されている詩だが。その3 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

このシリーズも3回目になった。
ノストラダムスの第3巻50番の詩を解釈している。

大都市の共和政体は
大変な強情さで同意したがらないだろう、
王が喇叭手 〔らっぱしゅ〕 を通じて外に出るよう命じたことに。
壁に梯子、都市は後悔する。

 (ノストラダムスの大事典の訳)

昨日の「その2」では1行目と2行目と4行目を解釈した。

大都市の共和政体は
大変な強情さで同意したがらないだろう、
壁に梯子、都市は後悔する。


簡単に纏めると、これは、
>「1999年の期限に天使を呼ばなかった頑なな地球人は、艱難が始まってから後悔するだろう」

という意味だろう、と解釈した。
つまり、天使(天使的未来人)が再臨失敗(地上復帰失敗)してしまったことを述べた詩だ。
天使が自分達の視線で素直に述べた詩だ。
だから、それが理解できれば非常に解り易い詩だ。


これだけだったら、「この詩はこういう意味だ」
で済ませていただろう。
だが、この詩の3行目に

>王が喇叭手 〔らっぱしゅ〕 を通じて外に出るよう命じたことに。

 

という行が挿入されている。
これがこの再臨失敗という解釈にとっては異質なのだ。
「外に出る」というのは「地球の外に出ること、つまり、地球脱出」を表しているとしか考えられない。
「再臨」というのは「天使が地上に降臨してくること」だから「地球の外から地球の中に入ってくること」であり、「外に出る」とは正反対である。
だから、「3行目は再臨について述べたものではない」、としか考えられない。

では、3行目はどう解釈したらいいのだろうか?
以前はこの行は、
元史(最初の歴史)の地球脱出について述べたのかな?」
と考えた。
地球脱出とは、「スペースコロニーに避難した人達が地球と地球人を攻撃して破壊してしまった、というスペースコロニー計画の顛末」
である。
天使軍団も悪魔軍団もその地球脱出組の子孫なのだから、それについて説明したんだろう、
と考えたのである。
そうすると、「歴史の変遷」から考えると、これが一番最初、1行目にくるべき行である。

>王が喇叭手 〔らっぱしゅ〕 を通じて外に出るよう命じたことに。

これを
>王が外に出るように命じた、

とした場合、
「王」とはその歴史(元史)における当時の「地球の支配者=地球人の中で一番権力を持っている者、組織」
を指している、と考えれば、

その当時の実質的な権力者か、そういう組織がこの計画を立案し実行した
と解釈できる。

あるいは、「王」とは「神」を指している、とも考えられる。
聖書では神、主は王に喩えられている。
元史の地球脱出計画も『神の計画』の一環として、神が計画して仕組んだものだ」、
ということを暗示している。
と考えればこう解釈できなくもない。


神の目的は地上に神の国を確立することだが、そのためにはまず、天使と悪魔を造らなければならない。
その天使と悪魔も地球人の中から造らなければならない。
それで、一部の選ばれた人達を宇宙に引きずり出して、その子孫を天使と悪魔に仕立て上げて、彼らを過去の歴史に遡らせて、歴史を再構築していって、いずれ期限(1999年までに神の国=地上天国を出現させよう、
というのが壮大な「神の計画」である。
一度は破壊してしまった地球も、その子孫(天使と悪魔)が歴史を再構築していけば破壊されないで復活できるのだ。


まあ、こうも解釈できるかな、と考えていた。
この解釈も間違いだ、とは言えないのだが、

だが、3行目をよく読むと、
>王が喇叭手 〔らっぱしゅ〕 を通じて外に出るよう命じたことに。

とある。
この喇叭手 〔らっぱしゅ〕 とは、ヨハネの黙示録に出てくる「ラッパを吹き鳴らす7人の御使い」を伏線にしている、と考えられる。
これは、一般には「この世の終わりにおいて最後の審判(の開始)を告げる合図だ」
と考えられている。
聖書でその象徴として書かれてあるものだ。
教会には「最後の審判」という絵画やフレスコ画が見られるが、そこにはラッパを手にして吹き鳴らしている天使が描かれている。
これはこの記述をイメージしてパターン化したものだ。

だが、聖書は天使軍団が未来から戻って来てから歴史に付加したものである。
元史のスペースコロニー計画が実行された歴史においては聖書も天使もイエスも存在していなかった。

だから、この解釈では何となく不自然であり、釈然としない。

それに、この日本語訳では、他の行との関連で文脈を考えると、

王が喇叭手 〔らっぱしゅ〕 を通じて外に出るよう命じたことに(対して)。
大都市の共和政体は大変な強情さで同意したがらないだろう、


と繋がる、と受け取れる。
こう続けて読んだ場合は、
これは携挙=天使による義人救出作戦、について述べたのではないか?」
と考えられる。
この場合の「王」とはイエス・キリスト(天使軍団)を指している、と考える。
つまり、


王が喇叭手 〔らっぱしゅ〕 を通じて外に出るよう命じたことに(対して)。
~天使が、ラッパを吹いて(最後の審判の時だぞ、選別の時だぞと知らせて、義人に)地球から脱出するように促した。

大都市の共和政体は大変な強情さで同意したがらないだろう、
~だが、それにも係わらずそれに応じようとした人はほとんどいなかった。
(従来の古い常識に縛られたほとんど大部分の人達はその意味が解らなかったので、天使を呼んで地球から脱出しようとしなかった)

という意味だと解釈できる。

つまり、

「天使を呼んだ人、更には天使が義人=合格者と認めて引き取った人(携挙された者)はほんの少ししかいなかった」
というのだ。


確かに現状でもそうなっている。
携挙が今年の7月に予定されているとして、今はそのわずか5か月前だが、それなのに、今の段階でこの説を正しく理解して信じて「本気で携挙されたい」と願っている人はせいぜい100人くらいしかいないと思われる。
「携挙されたい」と漠然と考えている人はもう少しいるかもしれないが、私からすると、かなり甘く考えていて、

「そう思っていても今のままでは義人=合格者とは認められないだろう」
という人も多い。

 

甘く考えている人は、まだ間に合うから(といってもあと最大5か月間しかない)、今のうちにもっと指示に従って真剣に考えた方がいい。

 

クリスチャンは「私はイエス様を信じて祈っているから救済(携挙)されるだろう
と思っているかもしれないが、

携挙の構造も実態も予定期間も何も解っていないのだから残念ながら救済されない。


こう解釈すると、
この詩は携挙について述べたものだ
と考えた方が整合性が取れている。

この場合、4行目の
>都市は後悔する。

は、
こういう解釈を嘲笑して、あるいはこの解釈を全く知らないで携挙の予定期間中に天使を呼ばないで地上に残った人達、レフトビハインドされた人達は、艱難が始まってから「救済のチャンスを逃してしまった」
と初めて気付いて後悔する。

という意味だろう。

勿論、これは昨日説明した「再臨失敗説」を否定するものではない。
この詩は「再臨失敗と携挙少数者説」の両方の解釈ができる~この二つの意味を込めて作成された詩だ」
と考えられるのだ。

昨日、
>ただし、この詩はそう単純ではなく、よく読むと、この詩は「再臨と携挙の二重預言になっている」と解る。
 再臨(天使の地球復帰)と携挙(義人救出)の意味がダブって記述されているのだ。

 
と書いたのだが、それはこういう意味である。