このシリーズも「その7」まできた。
残るは3行目である。
もう一度、この詩の全訳を記す。
10-91
ローマの聖職者よ、千六百と九の年、
その年の初めに、汝らは選挙を行うだろう。
仲間から出た灰色と黒の中から、
かつてないほどの悪しき者が。
(ノストラダムスの大事典の訳)
ただ、この3行目は日本語訳にも問題がある。
3行目を山根和郎氏は、
灰色と黒色の者ひとりカンパーニアより登場する
と訳していて、ノストラダムスの大事典の
仲間から出た灰色と黒の中から、
とは全然違う。
原典は
D'vn gris & noir de la Compagnie yssu,(山根氏のサイト)
http://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Centurie_10.htm
D'vn gris & noir de la Compagne yssu, (ノストラダムスの大事典のサイト)
http://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/198.html
となっていて、Compagnie と Compagne でスペルが違っている。
訳が混乱している理由について、ノストラダムスの大事典では、
>3行目 Compagneなら「仲間」、Compagnieなら「集団」、Campagneならイタリアのカンパーニア地方となる。
と注釈している。
つまり、「研究者の間でも、この3通りの説、解釈がある」
と言うのだ。
山根氏のサイトの Compagnie なら「集団」でいいはずなのに、山根氏はCampagne (イタリアのカンパーニア地方)と取っている。
このように、原典と訳に混乱がある。
ピーター・ラメジャラーの「ノストラダムス予言全書」では、Compagne となっているので、こちらの方が正しい、つまり、山根氏のサイトのページがミスプリだと思われるのだが、異版があるのかもしれない。
あるいは、研究者達は、
「Compagne というスペルから Campagne(カンパーニア)が連想される、
Cが大文字なので「地名なのでは?」
と考えて、
「ノストラダムスはカンパーニアを暗示したのではないか?」
と考えたのかもしれない。
ちなみに、「ノストラダムス予言全書」では、この詩を
「1609年にローマの教皇選挙秘密会議が「黒と灰色」の教皇を選出するが、この教皇が未曾有の悪党であることが判明する。
と注釈している。
まあ、文字通りの解釈だ。
解釈と言う程でもない。ただ文字通りに読んだだけだ。
また、ノストラダムスは「似ているスペルの語を混合、合成して書いた」という手法をよく使っているので、
「どれが正しい」というのではなくて、
「3通りの説がある」、
「これら3っつの語の合成語であり、3っつの語それぞれに意味があり、それぞれの語に沿った解釈ができる」
と考えていいのだろう。
それで、動詞だが「ノストラダムスの大事典」では「動詞は無い」としているが、山根氏は「登場する」と補っている。
それで、両者を合わせた訳で考えると、
仲間から出た灰色と黒の中から(登場する)、
集団から出た灰色と黒の中から(登場する)、
カンパーニアから出た灰色と黒の中から(登場する)、
という3通りの訳ができるので、これで解釈していこう。
それで、この行をこの詩全体の文脈から考えると、1,2行目の
ローマの聖職者よ、千六百と九の年、
その年の初めに、汝らは選挙を行うだろう。
と繋がっている、と思われる。
つまり、
1999年の前半に全地球人のキリスト教の聖職者は選挙をする、
というのだが、
その選挙には、灰色と黒(に象徴される者)が立候補する。
あるいは、
(全地球人は)灰色と黒(に象徴される者)から、どちらかを(主人として)選ばなければならない。
と解釈できる。
私は、先に
「1999年の選挙で地球人は(未来の主人に)天使軍団か、悪魔軍団か、のどちらかを選ばなければならない。二者択一である」
と書いた。
だから、「灰色と黒は、天使軍団と悪魔軍団を喩えている」
と考えられる。
では、どちらが天使でどちらが悪魔なのだろうか?
というと、まず、黒は悪魔に決まっている。
とすると、「じゃあ、灰色は天使なのか?」
となる。
灰色とは天使軍団を、黒とは悪魔軍団を指している、
と考えられる。
ここで、「何故、天使軍団は自分達を灰色に喩えたのだろうか?」
という疑問が出る。
「普通、天使のイメージカラー、シンボルカラーって言ったら、当然ホワイト、白だろ」
と思うはずだ。
ここに深い意味が隠されているのだが、説明すると長くなるので、その説明はまた後で。
それで、この解釈の上で、更に「仲間」、「集団」「カンパーニア」がどういう象徴的意味を持っているのか?
を考えよう。
「仲間」とした場合は、
「天使軍団と悪魔軍団と言っても、どちらも未来人であり、地球人の子孫である。
だから「仲間=同じ人間、同じ地球人」という意味だと解釈できる。
「集団」とした場合は、
「灰色と黒」といっても、それぞれが一人の人間ではなくて、天使軍団と悪魔軍団という集団、グループなんだよ。
と暗示した、と解釈できる。
あるいは、「仲間と集団」を併せて、
「天使軍団も悪魔軍団も共に、元史において地球から脱出した人達の子孫であり、元は同じ仲間の集団だったが、途中から分裂していった」、
ということを暗示した、と解釈できる。
さて、問題は「カンパーニア」だ。
このカンパーニアについて、どう考えても解釈できなかった場合は、
「カンパーニア」はもともとノストラダムスの意図に入っていなかったんだろう、
で済ませられるのだが、私は考えていくうちに「こういう意味ではないか?」
というのがあった。
カンパーニアとはイタリアの南部、ナポリがある州の地名である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E
外国人は、「カンパーニアってどこ?」と思って調べると、
カンパニア州(イタリア語: Campania)は、イタリア共和国南部のティレニア海沿岸にある州。州都はイタリア第三位の人口を擁する都市であるナポリ。
とある。そうすると、
「ああ、ナポリがある州ね」と理解する。
つまり、カンパーニア=ナポリ、と言ってもよい。
私も、ノストラダムスは「カンパーニアでナポリを暗示したのではないか?」
と思った。
つまり、「カンパーニアの象徴的意味の謎を解く鍵はナポリにあり」
と直感したのだ。
それで、「ナポリ」を調べてみた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AA
それで、この説明をざっと読んで「何かヒントになるものはないかな?」
と探すと、
「歴史」のところに、
>ナポリ市は、紀元前6世紀に古代ギリシア人(特にアテネ人)の植民活動によって建市されたと考えられている。「ナポリ」の語源はギリシア語の「ネアポリス」(新しいポリス)であり、
という記述があった。
「ああ。これかあ」
と直感的に解った。
「ギリシア、新しい(ポリス)」がキーワードだ。
「ギリシア」については以前、このブログでも説明したと思うが、
「新約聖書」を暗示しているのだ。
というのは、旧約聖書の原典はヘブル語で書かれてあるが、新約聖書の原典はギリシャ語で書かれてあるからだ。
カンパーニア~ナポリ~ギリシャ~ギリシャ語~新約聖書、と連想していける。
結局、「ノストラダムスは、カンパーニアで新約聖書を暗示していた」、と推測できる。
では、「新約聖書」とは何を象徴(暗示)しているのだろうか?
まず、「旧約聖書」というのは、「ユダヤ人(だけ)のための聖書」である。
もともと「ユダヤ人の、ユダヤ人による、ユダヤ人のための聖典」なのである。
旧約聖書の基本はモーセ五書であり、これは「元史の地球脱出」の予型だった。
ここで救出されたのはモーセに率いられたイスラエル人(ユダヤ人)だけだった。
それに、旧約聖書というのはユダヤ人を対象に書かれてあるから、(未来において)救済されるのはユダヤ人だけだ。
ヘブル語の「メシア」というのは「油注がれた者」と言う意味で「ユダヤ人の王」を意味する。
つまり、メシアというのはユダヤ人(旧約聖書)にとっては、
「全人類の救世主という意味ではなくて、ユダヤ人に主権と安心をもたらしてくれる(ユダヤ王国の)王」
という意味なのである。
イエスが出現した時代は、ユダヤはローマ帝国の属領で、ユダヤ人達はローマ帝国の圧政に苦しんでいた。
それで、当時のユダヤ人は、
「もしかしてこのイエスという男がユダヤ人をローマ帝国の圧政から救ってくれるメシアではないのか?」
と思ったが、その期待が裏切られたので、
「イエスはメシアじゃなかった。騙された」
と思って「十字架につけろ」と言ったのである。
それに対して、新約聖書というのは主に「イエスの生涯とその言葉」を記述した書物である。
イエスは天使軍団から派遣された使者であり、ユダヤ人の枠を超えて全人類に福音をもたらした。
イエスは「ユダヤ人だけ」ではなくて「全人類の救済」を考えていたのである。
ギリシャ語のキリストとは「救世主」と言う意味であり、旧約聖書のメシア=ユダヤ人の王、とは違う意味なのだ。
まあ、メシア=キリストという意味で使われる場合が多いが、本来の意味は違う。
さて、旧約と新約、旧約から新約へ、という流れを、「歴史の変遷」に置き換えて考えてみよう。
旧約聖書というのは、象徴的には、
元史の地球脱出組しか助からなかった歴史と、
前史の悪魔軍団だけが未来から戻って来た歴史、
を描写している。
どちらも「全人類の救済」では無かった。
救済されたのは、元史では地球脱出組、前史では悪魔軍団だけだった。
これ以外の一般の地球人は殺されたか、奴隷にされたのである。
いずれも苦しんで死んでいった。
それに対して、新約聖書というのは、
今史の天使軍団が遅れて未来から戻って来て、福音、預言書を歴史に付加した歴史、
を描写している。
ここで初めて「全人類が救済される方法、道」が示されたのである。
とはいっても、救済されるのは「天使の指示に従った者=義人」だけだが。
だが、一般の人々でも「救済される可能性ができた」という意味は大きい。
だから、新約聖書で「喜びなさい。主(イエス)の到来を褒め称えなさい」と言っているのだ。
これは、「元史と前史では、一般の人達は救済される可能性は無かった」
と解って初めて理解できる言葉である。
今史になってから初めて天使達がその可能性をもたらしたのである。
ギリシャ~新約聖書、というのは、この「今史」を暗示している。
では、この10-91の詩において、ギリシャ~新約聖書というのがどういう意味を持ち、どういう働きをしているのか?
というと、
「この選挙というのは、黒(悪魔軍団)も灰色(天使軍団)も両方とも戻って来ていて、両方揃っている歴史(=今史)の話なんですよ」
という意味を表している、と考えられる。
>灰色と黒の中から
と書かれてあるように、「天使軍団と悪魔軍団のどちらかから選ぶ」というように天使も悪魔も両方存在しているのだから、「今史なのは当たり前だ」、と言えば当たり前なのだが、
カンパーニア~ナポリ~ギリシャ~ギリシャ語~新約聖書~今史~福音の出現、
と連想していって、
「これは今史の話なんですよ」と更に駄目出しをした、というか強調しているのだろう、と解釈できる。
ただ、前に、「その4」で、
>この詩が、
「天使が地球復帰に失敗して、相変わらず悪魔帝国が継続していった前の歴史、を描写した詩」、
だとしたら、
と書いたのだが、これは、
「天使が戻って来て福音預言書を授けた歴史」なのだから「今史」に入る。
「前の歴史」といっても、ここで書いている「前史」ではない。
「今史も更に11回の細かい歴史に分かれるが、その中の前の歴史」、と言う意味なので、誤解しないようにしていただきたい。
まあ、「天使が戻って来て、せっかく福音をもたらしてやった歴史なのに、地球人(ローマ~バビロンの大淫婦)は、悪魔軍団を自分達の主人に選んでしまって、
『本当に救いようが無い馬鹿どもだなあ』
という呆れ、憤りの気持ち、感情が込められている」
のかもしれないが。
う~ん、簡単に済ませようか、と思ったのだが、やはり説明しだすと長くなってしまうな。
「灰色と黒」の説明はまた次回に。
今晩、7時から「やり過ぎ都市伝説」があるので見ておこう。